194話 狐の隠し事
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「この度は、春日大社のほうで大変お騒がせ致しました」
春日山での決戦から一夜明けた日曜日。
一樹は元々予定していた豊川稲荷に訪問して、良房に頭を下げた。
良房に頭を下げたのは、春日大社が、藤原氏の氏神・建御雷神を祀るためだ。
藤原氏の流れを汲む一族が、表と裏から全面的に支援しているに決まっている。
「なかなか盛大だったようだね」
「未熟でお恥ずかしい限りです」
あからが奈良市に出現した件について、奈良県支部の公式見解は次の通りだ。
・『あから』は、大昔から奈良県に住んでいた妖怪である。
・『あからがしら』という祀りで静めていたが、近年は規模が縮小していた。
・静める祀りが弱くなった結果、封印が解けて復活したものと考えられる。
・現場に偶然居合わせたA級の賀茂陰陽師によって、その場で調伏された。
・嗅覚の鋭い妖怪が、餌となる大きな呪力に引き寄せられた可能性は有る。
・だが遅かれ早かれ、復活した『あから』による被害は、発生していた。
・今回の復活による犠牲者は、一人も出ておらず、最良の結果となった。
・なお今回は賀茂陰陽師の自発的な調伏であり、調伏費用は発生しない。
以上である。
奈良県の統括陰陽師は、沙羅の父親である五鬼童義輔だ。
五鬼童家への貸しが幾許か差し引かれたが、その代わり一樹には、責任が無い形に落ち着いた。
なお朱雀達は蒼依に連れられて相川家へ送還となり、沙羅は奈良県で調整と後始末だ。
あとは、藤原北家の元当主で、今でも絶大な影響力を持つ良房に謝罪すれば、万事解決である。
「春日大社には寄進を申し出ました。こちらは豊川稲荷への奉納品でございます」
一樹が奉納したのは、講師の派遣依頼のために準備した品の一部だ。
それらは閻魔大王の神気が籠められた秘符、鎮札、紙の人形の撫物である。
一樹にとっては、回復する呪力で量産できて、売り飛ばしてもまったく心が痛まない品々。だが他人にとっては、延命や病気の快癒が叶う泰山府君祭、様々な祭祀に使える貴重品だ。
一樹と他人とでは、それらに対する価値尺度や交換レートの評価が、まったく異なる。
そのため物々交換を試みた場合、相手との取り引きは容易に成立する。
互いに物凄く得をしたと思うのだから、非常に良い取り引きだ。
「受け取っておこう」
「恐縮です」
買収成立である。
これにて「妖怪が現れた現場に居合わせて調伏した際、お騒がせした」という公式見解が、表と裏の両方に通った。
「今日の訪問は、香苗君の話かな」
話題を変えた良房は、一樹が連れてきた香苗に視線を送った。
「それも理由の一つでございます。弁才天の従者様というご縁を頂きまして、誠にありがとうございました」
「ありがとうございました」
一樹が頭を下げると、香苗のほうも頭を下げた。
香苗の音楽に関する悩み対策で、良房は正月に浮かれ猫の救出を依頼した。
それによって香苗は小白と出会い、琴引浜の鬼女に引き合わされ、師事するようになった。
そこまでは、概ね良房が想定した範囲内に収まるだろう。
「こちらも解決してくれたことには礼を言うよ」
「恐れ入ります」
「だが、一つ得心がいかぬ」
香苗をしげしげと観察した良房は、顔を隠している白面を傾げた。
「何がでございますか」
「香苗君だ。木行が強くなって、呪力が弱い大鬼級ほどに上がっていないかね」
「……はっ?」
一樹は唖然としながら、香苗のほうを振り返った。
豊川稲荷で五狐から魂の欠片を受け取った香苗は、国家試験の頃にC級中位となっていた。
そして菜々花や琴里を使役しに行った頃には、魂の融合が進んで、C級上位になっていた。
だが力の上昇は、そこで打ち止めになったはずである。
少なくとも一樹は、そのように認識していた。
そんな一樹に思い当たる節は、一つしか無い。
――絵馬で過ごした経験か。
小白が導いた絵馬の世界は、瞑想で気を高める修行の極みだろう。
地獄で過ごした一樹には変化をもたらさなくても、香苗にとっては影響が大きかったのだ。
振り返った一樹に視線を合わせた香苗は、肯定の意を込めて、小さく頷いた。
まんまと化かされた。
平然と頷いた香苗を見た一樹は、そのように思った。
もっとも手の内を明かさないことは、陰陽師にとっての生存戦略だ。
手札は隠していればこそ、効果的になる。
「賀茂氏も知らなかったようだね。これは拙いことを聞いてしまったか」
「いえ、理由は分かっております。これは香苗が髪を切ったことに、私が気付かなかったような話でございますので、良房様はお気になさいませんよう願います」
「そうかね。ならば良いが」
香苗が頷いたので、良房は引き下がった。
「ですが良房様は、良くお気付きになられましたね」
「三尾の霊である私が、熟知する五狐の魂を視て、ようやく気付けた。生者には、不可能だよ」
「左様でございますか」
「然り。だが香苗君の技は、百年では身に付かぬはずだ。良ければ理由を教えてくれぬかな。万が一があってはいけない」
良房は、香苗の身を案じている様子だった。
香苗は五狐から魂の欠片も託されており、良房は見捨てておけないのだろう。
一樹は香苗に、教えたほうが良いのではないかという視線を送った。
すると香苗は、視線で了承する意志を一樹に返した。
以心伝心があって、一樹が説明役となる。
「弁才天の従者様を解放した後、塗り潰しの絵馬という神木の分霊を使役しました」
「ふむ」
「従者様は、弁才天は絵画も司っており、その中に入れると仰せでした。私と香苗は、木行護法神の記憶にある周防国の鹿野に入り、そこで死ぬまで一緒に暮らしました」
「それは幾年であるか」
「私は50年ほどで、香苗は……」
「あたしは木行護法神の生涯、750年ほどです」
一樹は大口を開けて、呆然と香苗を見返した。
「あなたも、あたしと会う前の記憶があったでしょう」
「確かに、童の頃の記憶もあったが」
「あたしも同じですよ。500年分は記憶を見ただけで、経験したわけではありませんが」
一樹が驚愕する中、話を聞いていた良房も、驚いた様子だった。
暫く言葉を失った後、話の内容を反芻して、ようやく噛み砕いて飲み込んだ。
「香苗君の体験は、木行護法神の魂に刻まれたもの。賀茂氏の体験は、鹿野の地に刻まれたものを木行護法神が引き出したか。絵馬となった神木の分霊の力もあろう」
「神の御業は、計り知れぬと思いました」
そこで会話が途切れて、沈黙の時間が流れた。
やがて気を取り直した良房は、香苗に向き直った。
「そのような経験を積んだのであれば、二尾でもまったく問題は無い。これからも精進しなさい」
「ありがとうございます」
良房は、香苗の力が問題無いと保証した。
そこで一樹は、直感的に香苗が黙っていた理由を思い付いた。
――二尾の寿命が、900年だからか。
妖怪の血を引く程度であれば、多少寿命が長くなるだけだ。
だが妖狐の二尾は、900歳まで寿命が伸びる。
一樹との関係で、その部分を気にしたのではないかと思い至った。
「理解は及んだ。それで今回の訪問は、ほかにも理由があるとのことだが」
香苗の変化に納得した良房は、一樹に本題を尋ねた。
「講師の依頼でございます。来年度、陰陽師を志す者達が、私と花咲で設立した同好会の門戸を叩きます。正しき手順を踏んで訪れ、賀茂と花咲の名にも関わる故、無下には出来ません」
安倍晴明の師匠であった賀茂家、花咲高校を運営する花咲家。
その両家のA級陰陽師達が、自分達で設立した同好会に入会した後輩達を放り投げてしまうと、世間からの風聞が悪くなる。
陰陽師は依頼人がある客商売なので、慈善事業で名声が上がるのであれば、多少の手間は惜しまずにやったほうが良い。
大した手間ではないし、最終的には得をする。
「ふむ。そういうこともあろうな」
「はい。周りが概ね納得する程度には、手を貸す所存。ですが明らかに指導者が足りませんので、妖狐あるいは妖狐の子孫を斡旋願いたく」
一樹の本題は、妖狐ないし妖狐の子孫を同好会の講師に招くことだ。
報酬のために用意した奉納品の一部は使ったが、元々多目に持ってきている。
病を治す品々は、それによって病が治る者や家族を講師に引っ張れる。
人間社会で活動する資金も充分に支払えば、引き受ける者は必ず居ると、一樹は考えていた。
なお霊符は、仏教、神道、陰陽道、道教、修験道、密教のいずれであろうと作成できる。
豊川稲荷はお寺なので、講師は仏教系統で教えるかもしれない。仏教では、梵字や真言を入れて御札を作っている。
だが目的さえ果たせれば、いかなる系統でも構わないと一樹は考える。
「講師の派遣は、4年を願いたく。対価は十二分に納めます。如何でございましょうか」
「奉納が十二分であるのは、良いことだ」
「恐れ入ります」
「講師の紹介は、任せたまえ。暇にしている妖狐など、いくらでもいる」
講師に目処が付いた一樹は、安堵の表情を浮かべた。
「今回の用件は、これだけかな」
「左様でございます。お時間を頂戴しまして、ありがとうございました」
一樹が感謝を述べると、白面が二度ほど縦に、小さく振られた。
「ところで話は変わるが」
「はい、何でございますか」
「妖狐は、一度番いになると伴侶を変えないことは、知っているかな」
問われた一樹は、さしあたって沈黙を保った。
良房には、一樹よりも様々な事柄が見えているようだった。
























