02話 牛鬼と山姥 前編
「あの閻魔大王、絶対に赦してないだろ」
1人の男が輪廻転生して、14年が過ぎた。
今世の男は、賀茂一樹という名前を得た。
父親の和則は、国家資格を持つ陰陽師の1人だ。一樹は弟子の立場で活動しており、未だ資格は持っていない。
輪廻転生した日本の総人口は、前世よりも少ない8000万人前後。
地域差はあれど、世界規模で同様に人類は減少しており、今世で跳梁する妖怪や魔物が影響していると考えられた。
そんな日本で、国家資格を持つ陰陽師は、1万人ほど居る。
陰陽師には等級があって、国際基準に合わせた和則の等級はC級だ。これは実力的には『中の上』と見なされて、相当に稼げる立場だ。
もっとも、一樹が手を貸すまでの和則は、D級陰陽師だった。
D級は『中の下』とされ、下級の妖怪を相手にすれば安定して稼げるが、和則は中級に拘って呪具に大金を使い、収支は赤字になりがちで、複数の借り入れで自転車操業に陥っていた。
そのため一樹の両親は、離婚している。
母親が、貧しい生活に耐えられなかったのか。
父親が、不満を持つ母親に気を使わなさ過ぎたからか。
息子が、黙々と陰陽道を学んでいたのが不満だったのか。
理由は単純に1つだけではないかもしれないが、いずれにせよ一樹の母は妹だけを連れて出ていった。
故に一樹は、『貧しい転生先を選んだ裁定者』に、苦言を呈した次第だ。
「一樹、何か言ったか」
「言っていないよ」
和則が聞き咎めたので、一樹は問題ないと答えた。
現在は、依頼を受けている最中だ。故に、気を散らせた一樹が悪い。
息子を質した和則は、依頼人に向き直って、改めて礼を述べた。
「この度は、賀茂和則陰陽師事務所にご依頼を頂き、誠にありがとうございました。それで相川さん、妖怪は『牛鬼』であるとか」
「そうさ。暴れ回って、凶暴なやつじゃよ。そこに川があるじゃろ」
依頼人である白髪の老婆が、手に持った細長い杖で指し示した先には、田舎の山奥を緩やかに流れる川が見えた。
川幅は広く、水量も少なくない。
水は透明で、川底の小さな石が色まで分かるほどに澄んでいた。
「その川を挟んだ向い側、杉林の手前に立っているのを見たよ。それはもう大きくて、頭の高さは2階建ての家の屋根くらいだったかね。うちには孫娘も居るんだ。早く、何とかしておくれよ」
山の地主である老婆は、しわくちゃな顔に、忌々しそうな感情を滲ませながら訴えた。
そして孫娘に向き直って、柔和な笑みを浮かべる。
「蒼依、直ぐに何とかしてもらうからねぇ」
「はい、お婆ちゃん」
依頼人に着いてきた孫娘の蒼依は、『大和撫子』が似合いそうな少女だ。
大和撫子とは、女性を草花の撫子に例え、色白で黒髪、謙虚で礼儀正しいなどと表わす言葉として使われる。
年頃は一樹と同じで、雪国を思わせる白い肌と、きめ細やかな黒髪を持ち、内向的で大人しそうな雰囲気を醸し出している。
洋服よりも着物が似合いそうな古風な日本人の体型だが、それがより一層の謙虚さを印象付けている。
そんな、か弱い孫娘を見せられた和則は、依頼人の老婆に力強く応えた。
「お任せ下さい。本当に牛鬼が出ても、大丈夫ですので」
牛鬼とは、牛の頭部に鬼の身体を持った怪物、あるいは牛の頭部に蜘蛛の身体を持った怪物だ。
清少納言の『枕草子』に「名恐ろしき怪物」として登場し、多くは川岸や海辺に現れて、人を喰う存在だと伝えられる。
枕草子における牛鬼は、地獄の獄卒である牛頭馬頭の『牛頭』を指す。
牛頭は、牛の頭に人間の身体だ。そして牛頭のまま、身体だけ鬼にしたのが牛鬼である。
(川岸に現れるのは、合っているな)
一樹が学んだ牛鬼は、C級陰陽師が立ち向かえる相手では無い。
それは牛鬼の背丈が、2階建ての家の屋根に届く話からも想像が付く。
2階建ての民家の屋根であれば、全長8メートルに届く。
陸上生物で、最大級の大きさのアフリカ象の全高が、3.5メートル。老婆の話から考えた牛鬼の大きさは、アフリカ象の2倍以上となる。
牛鬼とアフリカ像の体格差を何かで比較するならば、人間と犬だ。
身長160センチメートルの人間と、体高70センチメートルのセントバーナードは、大きさを5倍にすると牛鬼とアフリカ象になる。
アフリカ象に対して、上から犬のように眺められるのが牛鬼だ。
(しかも牛鬼は、大きいだけではない)
牛鬼は、名が体を表わすとおり、牛の頭と鬼の身体を持った怪物だ。
さらに素手ではなく、巨大な棍棒などを持った絵姿で描かれる。
牛鬼とアフリカ象の戦い様は、巨大な棍棒を持つ人間とセントバーナードとの戦いで想像できる。
そして牛鬼に対峙するのは、アフリカ象ではなく、人間だ。
牛鬼と人間の大きさは、8メートルと160センチメートル。
両者を5分の1にすれば、160センチメートルの人間と、32センチメートルの大きめの靴となる。
人間の身体は細長いので、靴の形状は太い運動靴では無く、細い女性用のパンプスだろう。
牛鬼の大きな手であれば、人間の胴体を片手で掴めてしまう。
牛鬼と人間とでは、まるで戦いにならないと容易に分かる。
牛鬼と戦いたければ、自衛隊の部隊かB級陰陽師を投入すべきだ。
それでも和則が依頼を受けたのは、一樹の莫大な呪力を知るが故だ。和則は一樹の力で、軽々とD級からC級に昇格した。
「一樹、牛鬼を探せ」
「分かったよ、父さん」
和則に指示された一樹は、懐から5枚の式神符を取り出した。
そして両手の上に乗せながら、呪を唱える。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。生は死、有は無に帰すものなり。ならば死は生、無は有に流転するもまた理なり……』
臨兵闘者皆陣列前行とは、呪力を持つ九字だ。意味は『臨む兵、闘う者、皆、陣列べて前を行く』となる。
続く『天地間在りて、万物陰陽を形成す』は、『天地間の一切のものは、全て陰陽を為す』と述べている。
その後は『生きる者は死に、有は無に帰す。ならば逆に、死から生、無から有も生まれる』と唱えた。
無から有が生まれる事は、地球の生命の成り立ちを考えれば、おかしな事ではない。生命の循環は、理なのだと、一樹は唱えた。
『……この者、木より流転し無の陰なれど、我が陽気を与えて生に流転せしむ。然らば汝、陰陽の理に基づいて、我が式神と成れ。急急如律令』
もしも『有の木が、無の紙になる』ならば、『無の紙が、有の式神になる』のも、流転する陰陽の理だ。
一樹が言霊を唱えながら呪力を注ぎ込むと、式神符が五色の輝きを放ち、光の中から5羽の鳩が飛び出した。
5羽の鳩には、一樹が陰陽五行の力を込めている。
陰陽五行とは、天の星にも、地に満ちる万物にも適用でき、四方八方の空間、過去から未来までの時間にも通じる世界の法則だ。
戦国時代の『陰陽主運説』では、『木』『火』を陽、『金』『水』を陰、『土』を陰陽半々と記している。
陰陽は循環するために、陰陽師は陽気を持つ男性も、陰気を持つ女性も、五行の全てを扱える。
男性が、金行や水行を使うと効果は落ちるが、一樹は例外だ。
一樹が持つのは、大焦熱地獄で浴び続けた穢れを十二分に抑え込める陽気、そして陽気と同量で得た裁定者の神気だ。
多少落ちる程度など、全く気にしなくて良いほどの呪力量があった。
「「「「「ポポッポー」」」」」
「牛鬼を探せ」
世界に産声を上げた5羽の鳩達は、生みの親である一樹の命令を受けて、『臨む兵、闘う者、皆、陣列べて前を行く』が如く、一斉に飛び立った。
なお使用した紙は、中学校で情報の授業中に使えたA4のコピー用紙だ。それに大量の呪力を篭めながら、授業用の筆と墨汁で、使役陣を書き上げている。
普通の式神符は、そんな風には作らない。
生漉きの和紙に、毛筆を使い、朱墨で書く。その他にも、日取り選び、潔斎、鎮宅霊府神への祈願と供え物、入魂といった手順が必要だ。
それら一切を無視して、その辺の紙に莫大な呪力を籠めて式神符を作り出せてしまう一樹の呪力は、現世の陰陽師とは比較にならないほど高い。
もっとも一樹の場合、経費を安く上げるために、致し方がなく安物を使っているだけだが。
そんな莫大な呪力こそ、和則が太鼓判を押す根拠であった。
目を見張って驚きを露わにした依頼人の老婆は、和則に質した。
「お子さんも陰陽師なんですかね」
「左様です。我が賀茂家は、非常に古い系譜でして……」
賀茂という苗字は、平安時代末期の『今昔物語集』に、陰陽師である安倍晴明の師匠として登場する。
また陰陽の世界では、歴道系の賀茂、天文道系の安倍として、二大陰陽道の宗家の1つとしても有名だ。
賀茂は1000年以上も前に実在した人物であるため、直系以外の子孫も含めれば、日本中どこにでも居る程度の血統となるが。
程なく、一樹が声を上げた。
「牛鬼を見つけました。徒歩で20分くらいの場所です」
「ええっ、もうかい!?」
依頼人の老婆は、驚きの声を上げた。
C級陰陽師への依頼でありながら、これほど早く見つけるとは、想像だにしなかったのだろう。
もっとも一樹には、驚く様がわざとらしく思えた。
(見つけた牛鬼は、ツバキの根に宿った神霊だった)
牛鬼は文献や伝承から、人を食い殺す悪鬼だとの先入観を持たれる。
だが牛鬼の伝承は様々にあり、その中には生まれて間もない頃に人間に助けられた牛鬼が、人に災いを為す悪霊を祓い、その後は神霊としてツバキの根に宿った話もある。
この世界における妖怪変化は、概ね伝承の通りだ。
従って、人間に助けられたツバキの神霊が、人に仇為すのはおかしい。
だが依頼人の老婆は、牛鬼を『暴れ回って、凶暴なやつだよ』と宣った。
「どうした、行くぞ一樹」
「あたし達も確認に行くよ。依頼人だからね」
父親に促された一樹は、依頼人の老婆と孫娘と共に、杉林の中へと踏み入った。