192話 因果的決定論
「さて、今日の目的を果たすか」
鹿と戯れた後、一樹達は奈良公園の東へと向かった。
奈良公園の東には森が広がり、紀伊半島の広大な妖怪の領域へと繋がっている。
妖怪が境界線まで来ることは珍しいが、数キロメートルも奥へ進めば、無数に徘徊している。
言わずもがな、一般人が立ち入ってはいけないエリアだ。
「今回の目的って、小鬼の霊の使役でしたっけ」
「そうだ。花咲市と周辺には、もう居ないからな」
「クワッ!」
一樹の肩に乗る朱雀が、誇らしげに鳴いた。
人を襲う小鬼を倒すのは良いことなので、それを誇ることに問題はない。蒼依姫命の神域も正常に機能しており、倒された小鬼の霊も残っていない。
だが今回、一樹は小鬼の霊を使役する必要があった。
そこで協会本部と五鬼童一族に大物が間引きされて、結果として食物連鎖の下に位置する小鬼が増えた奈良県までやって来た次第だ。
「小鬼の霊は、後輩達の一次試験の練習用に使う」
「一次試験って、柚葉と香苗が受けた呪力の確認テストですよね」
「そうだ。霊が見えるか、霊に触れられるかという試験だな」
霊が見えて、霊に触れられることは、陰陽師に成るために必須の能力だ。
世間では霊感とも呼ばれるが、要するに呪力のことである。
呪力が無ければ、同好会で試験対策を教えても、お互いに時間の無駄になってしまう。
「霊でしたら、幽霊巡視船員さんが居ませんか」
「いや、ちょっと強すぎるんだ」
一樹は幽霊巡視船員を使役しているが、その力は幽霊としては強い。
幽霊として力が強いと、どうなるのか。
霊感が無い一般人にもハッキリと見えてしまって、試験にならない。
水仙であれば隠形も出来るが、そうすると存在が希薄になりすぎて、今度は気付けなくなる。
そのため一樹は、調整が不要な弱い霊を使役しようと考えた。
一次試験に用いられる霊は、F級未満、格付けするならG級の霊だ。
F級に届かない霊は、墓場に行けば彷徨っているが、一樹は小鬼を選んだ。
それは墓場から幽霊を連れ帰った場合、事前確認を行う数百人の後輩達に知られて、遺族や世間の耳にも入ると思ったからだ。
『死んだお父さんに結婚の報告をしたくて』
『孫が生まれたんです』
遺族が会いたいと望んだ時、幽霊巡視船員であれば、海上保安庁が請け負う。
『父君は殉職されましたが、元海保の職員として、瀬戸内海の航路を立派に守護しておられます。成仏されるまで見守って下さい』
『分かりました。本来は認められませんが、今回は一度だけ、特別に調整します』
海上保安庁が対応してくれるのは、幽霊巡視船の使役が、瀬戸内海の安全と引き替えに政府から公認されているからだ。
つまり公務なので、一樹が個人で家族対応する必要は無い。
それが墓場の霊だと、海上保安庁は関係なくなって、一樹自身が対応しなければならなくなる。無縁仏でも扱いが悪ければ、幽霊巡視船員を使役している一樹は、世間から苦言を呈されかねない。
だが小鬼の霊であれば、遺族の小鬼が来ても「知らんがな」で済む。
「使役の理想は、G級の小鬼の霊だな。お前ら、妖怪の霊を連れてきてくれ」
「「「「「クワアッ!」」」」」
八咫烏達は、「任せて!」と言わんばかりに威勢良く鳴き、一樹達の下から羽ばたいていった。
八咫烏達は、小鬼を見つけるのがとても上手い。
必ず連れてくるはずだと、一樹は確信した。
そして待っている間、蒼依に今回の意図を補足することにした。
「そもそも同好会に来る大半は、一次試験に受かって、二次試験に落ちた連中だと予想している」
「はい」
「そいつらは一次試験を再受験だし、次に受かるとは限らない」
「そうなのですか」
「試験官が使役する霊には、個体差がある。柚葉の試験官は、G級の霊で試していた。だけどG級にも下位から上位の幅がある」
「試験の難易度は、変わるのですね」
「そういうことだ」
前年度とまったく同じ試験にならないのは、ほかの国家試験でも同じだ。
二次試験のように、毎年同じ試験にできるほうが少ない。
「一次試験の免除資格は有りませんが、去年受かり、A級陰陽師の事前確認でも問題が無ければ、試験官も落とし難いですからね」
沙羅が、異なる視点から補足を加えた。
「一次試験の免除は、中級以上の陰陽師に1年以上師事して、推薦を貰うのでしたっけ」
「はい。去年に落ちてから協会に師匠の斡旋を受けた人は、師事して1年が経過していないので、免除の対象外です。それに斡旋される師匠も、元下級が多いです」
「元中級の人は、引退しても推薦資格があるのですか」
「ありますよ。陰陽師の定年は60歳ですが、引退しても国家資格は無くなりませんから」
協会は、引退者を人数外にして、有事の際の頭数からは省く。
役所や一般企業だって、退職者を職員数には含めないだろう。
だが引退した医師や弁護士が国家資格を失わないように、引退した陰陽師も国家資格は失わない。そもそも引退者には、技術の継承と後進の育成が期待されている。
推薦資格を中級以上にするのは、推薦した弟子が使い物にならなかった場合、教育した師匠に責任を取らせるためだ。
中級以上の実務経験があり、新人を指導できる体力と気力もあれば、下級の新人が出来なかった仕事を代わりに片付けられる。
もしも中級で片付けられなければ、その仕事は下級に振るべきではなかったということだ。
依頼人の情報か、斡旋した支部の判断が誤っていたことになり、対応の責任は支部に移る。
なお最初から三次試験に合格して中級になっていれば、敵を倒す意志と能力は有ると確認されているので、そもそも使い物にならないとは見なされない。
下級陰陽師に推薦資格が無いのは、被推薦者の代わりに責任を取れないからだ。
「クワーッ」
一樹達が話をしていると、最初の一羽が帰ってきた。
足には、しっかりと小鬼の霊を掴んでいる。
「最初は黄竜でしたね」
「黄竜は、外に行くのを嫌がるからなぁ」
中国の黄竜は、『東西南北を守る四神の長』や、『中央を守る存在』とされる。
それが名前の由来となった八咫烏の黄竜は、神気を送って育てた一樹のイメージに影響されて、あまり遠出をしない性格になった。
小鬼を狩ることを褒めて育てたので、小鬼を狩ることはするが、相川家に居ることのほうが多い。
今回も早々に蒼依の下へと戻るべく、真っ先にノルマを果たした様子だった。
「まあ、仕事をしたなら良いか」
一樹達の下に飛んできた黄竜は、運んできた小鬼の霊をポイッと投げ置いて、蒼依の肩に戻った。
「よしよし、偉かったね」
「クワッ、クワッ、クワッ」
蒼依に褒められ、撫でられた黄竜は、ご満悦そうに顔を上げて何度も鳴いた。
褒めることを蒼依に任せた一樹は、連れて来られた小鬼のほうを観察した。
霊体なので判別し難いが、一樹が凝視すると、肌の色は赤褐色だった。
赤鬼と黒鬼の血が混ざっており、五行は相性の悪い火行と水行が混ざっている。それが原因なのか、火行が打ち消されて、水行も浪費されて、呪力はG級中位程度だった。
身体の大きさは、チンパンジーほどだ。頭部には二本の角が生えており、ふんどし姿で、身の丈に合った小さな棍棒も持っている。
典型的な小鬼で、身体の色や大きさが、弱さを表していた。
――これは見事に弱いな。
黄竜は、とても良い仕事をしていた。
連れてくるまでに力の差を見せつけたからか、連れてきた場所に上級陰陽師が群れていたからか、小鬼はヘビに睨まれた蛙のように固まっている。
この小鬼で良いかと思った一樹は、呪を唱えた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、霊たる汝を陰陽の陰と為し、生者たる我が気を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝、この理に従いて我が式神と成り、顕現して我に力を貸せ。急急如律令』
小鬼一匹に、正式な手続きを踏んで契約を結ぶのは、如何なものか。
そのように一樹は思ったが、役に立つのだから仕方がないと、不承不承ながら自分を納得させた。
不要になれば、退職金代わりに呪力を増させた上で解放するのも、致し方がない。
鬼は人に害を為すが、使役しておきながら殺すのは、流石に一樹の良心に憚った。
使役している間に一樹達の力が恐ろしいと分かるはずだし、奈良県であれば、解放しても人里に下りてくるようなことは滅多にない。
正当な契約が結ばれると、沙羅が錫杖を下ろして尋ねた。
「小鬼の呪力、上がったみたいですね」
「G級上位なら、許容範囲だろう」
使役された赤鬼は、一樹達への警戒が無くなっていた。
言葉で理解は出来ずとも、呪力で繋がった使役者の一樹、同じ式神の蒼依や黄竜、一樹と一部の気が同一である沙羅のことは分かるのだろう。
あまりの呪力差や、自分の力が増したことに、戸惑っているようだった。
「名前は何になるのですか」
「いらない……いや、要るか」
蒼依に問われた一樹は、赤鬼の固有名詞が必要に思えた。
一次試験の事前確認で「アレを使って確認しよう」と言っても、アレが何なのかは分からない。だが固有名詞があれば誤解せずに済む。
「鬼太郎ですか?」
それは疑問文の形を取りつつも、実態は確定事項への確認であった。
哲学の世界では、それを因果的決定論と呼ぶ。
























