185話 狐の嫁入り
肌寒さを感じて、一樹は目を覚ました。
夜着と呼ばれる掛布団に身体を丸めて周囲を見渡すと、見慣れた屋内があった。
囲炉裏の木炭は、すべて燃え尽きている。
木炭は手前で作るが、『炭焼き一生』と言われる職人芸だ。
片手間では、そう易々とはいかない。
「昨夜の炭は、火持ちが悪かったかな」
盛冬は過ぎたが、まだまだ山は寒い。
渋々と起きた一樹は、囲炉裏に薪を入れて、火種の藁に火を付けた。
それから鍋に適当なものを入れて、朝餉を作る。
「はあ、まったく。寒い、寒い」
一樹が暮らしているのは、領域の取り合いで人が負け、撤退した村の一軒家だ。
少し昔は、人間が妖怪を押していた。
周囲の村々に、かつて名を馳せた陰陽師の子孫が居た頃の話である。
その血が薄れ、呪力が落ちていき、妖怪から村を守れなくなっていった。
人が襲われなくても、田畑の収穫物が荒らされれば、暮らしていけない。そして廃村が増えると、残った村に妖怪が集中していく。
そのため周囲の村々は、雪崩を打つように放棄されていった。
残っても年貢を納められないので、廃村にするしかなかったのだ。
――昔は、普通に暮らせていたけどな。
慶長五年(1600年)の検地帳には、賀野庄は2301石だと記されていた。
1石1人とすれば、2301人が暮らせていたことになる。
だが今では、ほとんど廃村となった。もしかすると2300人が居なくなって、1人だけ残っているのかもしれない。
廃村になった村の人々が合流したのは、錦川を南に下った1000石の長穂村、3000石の須々万村、2000石の中須村などだ。
さらに南下すると、海沿いに沢山の村があって、全員がどこかに収まった。
そんな中、陰陽師の子孫である一樹だけは、廃村に残った。
豊かな水資源もあり、土地は田畑の耕作に向いている。
多少の術は使えるので、妖怪が居ても、自分一人を守ることくらいはできた。
「すべてを自分だけで賄うのは、流石に無理だが」
置き捨てられた村の資源は、残った一樹が自由に使える。
持ち運べない家々、古い大道具、置き捨てられた様々なもの。
家の木材は廃材にして、残りも補修して使えば、一樹が暮らしていく分になる。それに村単位で暮らせていた周囲の山は豊かだ。稲わらがあれば、笠や蓑、草履は編める。
だが服は用意できず、塩や醤油も手に入らない。
川下の長穂村や須々万村で売買をしており、全てを一人で賄っているわけではなかった。
「合流は、有り得ないな」
一樹に十分な呪力があったならば、村でも重宝されただろう。
だが呪力不足で役に立てず、故郷を廃村にしてしまった陰陽師など、誰がアテにしようか。
小作人として暮らすなら受け入れてもらえるが、それは酷い生活になる。
自分一人を守ることくらいは出来るので、一樹は廃村に一人で暮らしていた。
もっとも人間は一人だが、相棒は居る。
「牛太郎、行くぞ」
「モーッ」
朝食を済ませて家から出た一樹は、耕作用に飼っている農耕牛を引き、畑に歩き出した。
相棒の牛太郎は、妖怪の血を引いているらしく、物凄く力の強い牛だ。
背中に大きな荷物を取り付けて、川下の村々との行き来が出来る。
それに小鬼が現れた時は、小鬼に突進して、軽々と弾き飛ばしていた。
妖怪の血を引くので寿命も長くて、一樹はとても重宝している。
「今日は、あまり天気が良くないな」
よく晴れた空を見上げながら、一樹は呟いた。
廃村で1人暮らしだからといって、畑仕事をサボるわけにはいかない。
自給自足しているのだから、自分が食べる分は自分で作らなければならない。それを怠れば、廃村で餓死か、川下の村で小作人である。
幸いにして廃村なので、検地帳から消えており、年貢や賦役は課されない。
牛太郎を引っ張っていった一樹は、錦川沿いにある畑の一つに辿り着いた。
一樹は村の各地で、小さな田畑をいくつも耕している。
それは季節ごとの作物を作るためと、妖怪や獣、野分を見越しての安全策だ。
「さあ耕すか。頼むぞ、牛太郎」
「ウモーッ」
元気に鳴いた牛太郎が、一樹と共に畑の土を耕し始めた。
しろかき馬鍬を引かせて、荒起こしをする。
冬の間に寒起こしをして、虫を減らしていた畑だ。
それほど固くない畑であり、力が強い牛太郎は、ズンズンと進んでいった。
すると掘り起こされた土からは、小さな虫が這い出してくる。
一樹達が通り過ぎた後、5羽のカラスが飛んできて、ほじくり返された虫を突いた。
「しっかり食べろよ」
「カァーッ」
元気に鳴いたカラスの一羽が、くわえた虫を投げ飛ばした。
野生のカラスなど、気まぐれなものである。
一樹が呪力の高い陰陽師ならば、カラスくらいは楽に使役できただろう。その時はカラス達も、大活躍しただろうか。
「使役しても、カラスが役に立つ姿は考えられないな」
「クワアアッ」
自分は役に立つとでも、抗議したのだろうか。
一樹は抗議を聞き流して畑を耕し、その後に畝を作り、指で穴を掘った。
蒔いているのは、カブの種である。
カブは夏と冬を避けて、春か秋に植える。一月から二月で収穫できて、古くから日本で重宝してきた。
穴の深さは指先で軽くと教わったが、それを教わったのは童の頃で、大人と指の長さは異なる。だが村人は、誰も気にしていなかったので、わりと適当なのだろう。
ほかにはゴボウも種蒔きの時期だが、そちらも適当にやっている。
一樹が作る量は、ほどほどだ。
廃村に残った最初の年は沢山作ったが、食べきれずに捨ててからは、減らしていった。
錦川を下った先には村々があるが、森に飲まれかけた川沿いの古道を、歩かなければならない。日の出と共に出発しても、帰って来るのは夜になる。
沢山の作物を抱えて気安く行ける場所ではなく、作るだけ無駄だ。
なお年貢の取り立ても、行われない。
「年貢欲しけりゃ取りに来い。山で天狗が待ってるぞ。取りに来たなら背負って帰れ。川で河童が待ってるぞ」
山の天狗も、川の河童も、人間が勝てる相手ではない。
もちろん陰陽寮で最上級の陰陽師を呼べば、勝てるだろう。
だが廃村が属していた萩藩を治めるのは、関ヶ原の戦いで敗北した毛利家だ。
幕府から睨まれており、都から名だたる陰陽師に来てもらえるような藩ではなかった。
――萩藩が命がけで来ても、得られるのは村人一人分の年貢だからなぁ。
年貢を取り立てに行っても、男は死んでいるかもしれないし、別の廃村に移動するかもしれない。
年貢は村請制といって、個人ではなく村に課される。
したがって村を移られると、年貢を取り立てられないのだ。
一樹が役人であれば、検地帳に廃村1石とは書かない。
そのような場合、廃村に残った村人を無宿人の扱いにして終わりだ。
そしてもう一つ、石高を無理に増やそうとはしなかった事情がある。
慶長15年(1610年)に萩藩は検地を行い、石高を53万石だと幕府に報告した。
すると幕府は、関ヶ原で功績を立てた隣国の広島藩主が49万8000石であるのに、負けた萩藩が広島藩よりも上であることは認められないとして、36万9411石を表高とさせた。
頑張って石高を増やしたところ、幕府から「お前は増やすな」と怒られたのだ。
鹿野の廃村が、石高の計算から外される所以である。
「気楽で良いなぁ」
錦川を下った村々で小作人など、まっぴら御免なわけである。
一仕事終えたところで、空は晴れているのに、なぜか小雨が降ってきた。
「狐の嫁入りか。牛太郎、帰るぞ」
日が照っているのに小雨が降ることは、昔から狐の嫁入りと呼ばれる。
そんな雨に降られた一樹は、牛太郎を引っ張って、畑から家に向かった。
道中、一樹が廃材にした家々を通り過ぎるが、雨宿りには向いていない。
放棄されてからは野分で痛みっぱなしで、屋根が抜けていたり、すきま風が吹き込んだりする。それに雨は降り始めると、どれだけ続くか分からない。
廃村で一番まともな自分の家……元村長の家に戻るのが、一番である。
「お前も、牛小屋が良いよな」
「ウモーッ」
素直に従う牛太郎を引き連れて、一樹は家に帰った。
先に牛太郎を小屋に入れて、自分も軒下に入り、手で雨水を振り払う。
ホッと溜息を吐いて屋内に入ると、土間に、若い女が倒れていた。
「おい、どうした?」
慌てて駆け寄ったが、女には意識が無かった。
行き倒れそうになって、助けでも求めてきたのか。
だが生憎と、廃村には一樹しか住んでいない。
一樹が留守なら、どこの家に行っても、誰も居ないのだ。
「とりあえず休ませるか。風邪ならレンギョウの生薬はあるが」
薬は一樹の手製で、気休め程度のものだ。
それでも土間に転がしておくわけには行かないと思った一樹は、女を抱えて持ち上げた。
女の身体は、とても冷えている。
まずは寝かせて、囲炉裏に火を入れようと考えたところで、違和感を覚えた。
持ち上げた女の身体に、人間には無い感触があった。
一樹は恐る恐る女を運び、布団に寝かせた時に、目でチラリと確認した。
すると運んだ女には、二房の尻尾が生えていた。
◇◇◇◇◇◇
その話は、山口県都濃郡鹿野町(現・周南市鹿野地域)に伝わる。
昔、山深い里の一軒家に暮らす若者の下に、熱を出した娘が宿を求めてきた。
男の懸命な看護で回復した娘は、恩返しに、彼の身の回りの世話をするようになった。
その娘は、人ではなく、妖狐であった。
























