184話 音楽室にて
休日明け。
休み中に目的の絵馬を獲得した一樹は、学校生活に戻った。
学校行事としては、冬休み明けの実力テストが行われた。
「2月に期末テストがあるのに、1月にも実力テストをするなよなぁ」
テストの頻度について、一樹は理事長でもある小太郎に愚痴をこぼした。
もちろん大勢の前で言うのではなく、放課後になり、同好会室に来てからである。
「知らん。俺に言うな」
言われたほうの小太郎は、愚痴をバッサリと切って捨てた。
実際に小太郎は、テストのスケジュールに関与などしていない。休み明けのテストは、生徒の気を引き締めることを目的として、小太郎が生まれる前から行われている。
「うちのクラスは、進学コースだぞ。進学の勉強は、させるだろう」
「それもそうだな」
一樹は自ら進学コースに入学している。
小太郎の真っ当な主張に対しては、愚痴を取り下げざるを得なかった。
そんな花咲高校は、公立よりも金が掛からず、敷地内にある花咲大学の施設も使用できて、将来の就職先に花咲グループもあるなどの理由から、高い人気がある。
花咲高校と連絡通路で繋がる花咲大学のR棟などは、人気になる理由の一つだ。
1階に、お洒落なカフェや売店、休憩スペースがある。
2階が大講義室と管理室。3階から5階は、講義室や教室。6階と7階が会議室などで、7階の一室が陰陽同好会室となっている。
とても恵まれた環境であり、新たな恩恵も得られることになった。
後輩の大規模な入会が見込まれる陰陽同好会に、新たな部屋の割り振りがあったのだ。
「音楽用の部屋を用意するから、祈理と確認してくれ」
「了解」
新たな使用許可が出たのは、R棟の6階と7階だ。
一樹達が渡されているIDカードで、6階と7階の各部屋に入れるようになっている。
音楽用途の部屋を用意するのは、それに基づいての行動だった。
「音楽用の部屋があって、大丈夫ですか?」
香苗が確認したのは、現メンバー6人で、音楽室を使うのが香苗だけだからだ。
現時点では、ほぼ自分のために部屋を渡されることになる。
「神仏への歌唱奉納は、祭儀の一つだろう」
「はい。そうですね」
「それなら同好会の活動の一環だ。目的内利用だから、何も問題はない」
小太郎が断言したとおり、歌唱奉納は祭儀の一つで、神仏から加護や御利益を得られる。
それらは、陰陽師の活動と符合している。
実際に香苗は歌唱奉納を行っており、御利益も得ているので、目的内利用で間違い無い。
「皆は、しないのですよね」
問われた一同は、検討する素振りすら見せなかった。
一樹は閻魔大王の神気を持ち、蒼依は自身が女神で、他所の神気は不要。
沙羅は鬼神の血統なので、子孫の立場を以て祖霊に祈願したほうが良い。
神子の柚葉は母の龍神に頼むべきで、他所の神に祈願しては駄目だろう。
小太郎には犬神という氏神が居るが、演奏よりも直接撫でるほうが早い。
歌唱奉納しても意味のないメンバーばかりなので、音楽室は不要だった。
「俺達には不要だけど、必要な後輩も居るだろうから、音楽室は作っておけば良いと思う」
「そんなに居ますか」
「陰陽師は、妖怪調伏では命を張る。100の力が101になるだけでも、何人かはやるだろう。もちろん全員に向いているわけでは、ないけどな」
「でも101の力になるのなら、やって損は無いですよね」
「いや。音楽に不向きなら、練習時間を別の修行に充てるほうが効率的だ。人それぞれだと思う」
奉納される側の満足度と、与えてくれる御利益には、相関関係がある。
音楽には向き不向きもあるので、歌唱奉納の練習を別の修行に充てるほうが、良い場合もある。
それでも一定数には効果があるので、環境を用意しておこうというのが、今回の意図である。
「後輩の安全が増すから、一応用意する。音楽は分からないから、香苗が部屋を確認してくれ」
「6階に、音楽室3つと楽器室3つ。合計6室をもらう形で良いのですか」
「後から足りなくなったら困るから、先に3学年分を確保する。小太郎も、それで良いんだよな」
「ああ、それで問題ない。使わないなら、また別のことに使えば良い」
小太郎は同好会の会長であると同時に、学園全体の理事長でもある。
つまり小太郎が認めれば、そのまま決定事項になるわけだ。
なお音楽室と楽器室の合計6室は、防音改修も行われることになっている。
「楽器の予算は1000万円だ。祈理が選んで一覧を渡してくれれば、うちで買う」
「何人分ですか」
「平均10万円で、100人分と考えたが……楽器の種類は、祈理が使えるものなら何でも良い。最低でも50人分は選んでくれ。自前で持っている奴も居るだろうが」
「分かりました」
太っ腹な会長に見送られて、一樹と香苗は部屋を出た。
7階は半分がベランダになっており、残り半分が多目的室が4つと、倉庫部屋だ。
それに対して6階は、ベランダが無くて、その代わりに大小の教室があった。
「多目的室が3つで良いのか」
「はい。ちょうど良いと思います。音は、煩いかもしれませんけど」
一樹と香苗が入った6階の多目的室は、7階の同好会室と同様の造りだった。
同じ部屋であれば、大学で使用予定が被った時に、別の部屋で代替出来る。そのような目的で、敢えて同じ規模と内装にしたのだろうと一樹は予想した。
「この部屋を、防音に改装するのですね」
「そうらしいな。壁に防音材を詰めて、窓も二重にするそうだ」
「どれくらい防音できるのでしょうね」
「プロが工事するのなら、通販の防音室よりは高性能だろう」
一樹が想像したのは、屋内に設置するボックス型の防音室だった。
それは歌や音楽の配信者が使用する防音室の一つで、導入したために自室が埋まり、防音室と部屋の壁の隙間で寝ることになったと自虐ネタにも使われる。
防音室内は、空調が効き難くて、暑くもなる。
「通販で買う防音室よりは、良い部屋だろう」
「良い部屋でお願いします」
適当に答えた一樹に対して、香苗は念を押した。
「それで香苗自身の音楽練習は、どんな感じだ」
一樹が確認すると、香苗は弁才天の御利益と呪力で、琴を生み出した。
現れた琴に香苗が手を添えると、香苗の手元から琴引浜の鬼女の手が浮かび上がる。
現れた鬼女の手が弦を指し示して、自ら弾く仕草をして見せた。
琴の傍には小白も姿を見せており、和やかに香苗を見守っている。
「琴の鬼女と、小白様に教わっています」
「ふむ」
一樹が気になったのは、香苗が普段使っているのがギターであることだ。
だが音楽について門外漢の一樹は、小白と鬼女の指導について、口出しを自重した。
――ほかの楽器が上手くなれば、ギターも上達するのかな。
同じ演奏という行為には、共通する部分がある。
ほかの楽器で演奏することで、より理解が深まることまでは、一樹にも想像できた。
指導者の小白を眺めた一樹は、ふと思い付いた。
「そういえば小白様は、絵馬にもお詳しいのですよね」
「はい。大明神様は、絵画も司られます。そしてわたくしは、その従者です」
「実は先日、塗りつぶしの絵馬というものを使役したのですが」
一樹は使役した絵馬の大根を顕現させた。
すると小白は、穏やかな表情で絵馬を観察する。
「何も描かれておりませんね」
「はい。以前は牛若丸と弁慶が描かれており、見事な姿で現れました。ですが使役すると、消えました。後輩が霊符を作成する練習用にと思い、試しに牛鬼を描きましたところ、牛が出ました」
「牛ですか?」
話を聞いていた香苗が尋ねて、一樹は渋い表情で頷いた。
「それはイメージが足りないのでしょう」
「イメージでございますか」
「絵馬は、画材であり、下地です。そこに描かれるものの姿は、描く者次第です」
そのように語った小白は、絵馬に手を翳す。
すると絵馬の表面に、白鳥が集う美しい川が現れた。
一瞬で現れた川に目を見張って驚いた一樹は、それが弁才天の元となったサラスヴァティー川で、白鳥達は小白達なのだろうと思い至った。
「綺麗ですね」
香苗の率直な感想に、小白が嬉しそうな表情を浮かべた。
「霊体で入れますよ。出入りと維持には神気が必要ですが、賀茂殿はお持ちのようです」
「小白様が憑いた香苗だけではなく、私も行けるのですか」
「はい。賀茂殿は、神気を自給できる様子。それなら長く居られるでしょう」
一樹が持つ閻魔大王の神気は、一樹の魂に宿っている。
総量はS級下位ほどで、使用しても休めば、体力のように回復する。
肉体ではなく魂に宿っているのだから、霊体になろうとも尽きたりはしない。
そこまで考えた一樹は、小白が二百数十年も、浮かれ猫の絵馬に宿っていたことを思い出した。
「長居は、ご遠慮致したく」
震えながら答えた一樹に対して、小白は微笑んだ。
「大丈夫ですよ。百年が過ぎる絵を見ても、見た者は百年も経ちませんでしょう」
そのように語りながら、小白は絵馬に手を翳して、美しい川の絵を消した。
「世界を鮮明に思い浮かべれば、その世界へと旅立てます」
「残念ながら、良い景色は思い浮かびません」
牛鬼を牛にするような男には、真っ当な世界など描けそうにない。
自覚した一樹が香苗に視線を向けると、まっさらな絵馬を前にした香苗も、困った表情を浮かべていた。
その時、香苗の身体から、眩い青光が迸った。
「木行……護法神?」
『その世界に行かれるのですね』
小白の声が響く中、一樹と香苗は、何かが描かれた絵馬に引き込まれていった。
 
























