183話 式神・大根
翌朝の日曜日。
相川家の縁側に座りながら、一樹は使役した塗りつぶしの絵馬を眺めた。
絵馬の表面はまっさらになっており、敗北した牛若丸と弁慶は姿を消している。
「どうして消えたのですか」
お茶を運んできた蒼依が、不思議そうに尋ねた。
「描かれている絵よりも、俺の術のほうが強いと言ったから、だったら好きに描けという意味で、表面を明け渡したのだろう」
「そんなことがあるのですね」
「描かれた絵じゃなくて、絵馬のほうが主だった。どこぞの神木の分霊だろうな」
一樹は絵馬を顕現させたり、消したりして見せた。
生物であれば消せないが、霊であれば呪力で顕現が自在となる。
塗りつぶしの絵馬の正体は、絵馬となった神木の分霊の類であった。
「お前の名前は、大根だ」
絵馬を掲げて見上げた一樹は、呼びかけながら絵馬に命名した。
「どうして大根なのですか」
「群馬県太田市には、大昔に巨大な神木が生えていたそうだ。倒れて昔の地名の大根になったが、その神木は、高御産巣日神の地上での化身の一つだったのだと思う」
「高御産巣日神って、天地開闢の際に現れた造化三神の一柱でしたっけ」
「ああ。高木が神格化された存在で、別名は高木神。神代には、高天原から葦原中国に神々を降ろす神でもあった。そんな立派な存在を期待して、その神木を由来に名付けた」
もしかすると絵馬は、本当に地名の由来となった高木の木片から作られたのかもしれない。
一樹の使役前でA級下位、使役後にA級中位という非常識さには、相応の由来があるはずだ。
広域で地名になるほど巨大だったのだから、倒れた後には、たくさんの木材が採れただろう。すると世の中に出回って絵馬になったとしても、何ら不思議はない。
「信君殿以来の式神だな。それに神木の神霊だ」
一樹は、一つの樹という名前の由来通り、木行に特化した陰陽師だ。
木行に限っては、『賀茂家の陰陽道を用いて使える術』よりも一段階上の効果を引き出せる。
さらに神霊ならば、一樹が有する神気が、捧げる呪力として最高の燃料となる。
「4月からは、後輩達が守護護符を作る練習に大根も使いたい。神の分霊は、花咲の犬神みたいに増やせるから、練習する絵馬は後輩全員分を用意できる」
「大丈夫なのですか」
杉林の一画を吹き飛ばした牛若丸を思い浮かべた蒼依が、懸念を表明した。
「200分の1にしたら、C級下位だから大丈夫だろう。上手く行くことを確認するために、柚葉を呼んだ」
「それでわたしが、呼ばれたんですか」
一樹が声を掛けると、呼び出されていた柚葉が、納得の表情を浮かべた。
「俺だって鬼じゃないから、日曜日の朝に必要もなく呼び付けたりはしない。俺が使役した式神の力を把握しておくために、柚葉が必要だった」
必要だと言われた柚葉は、気を良くして笑みを浮かべた。
「だったら仕方がありませんね。わたしは身請けされたわけですし!」
蒼依と沙羅が、名状しがたい複雑な表情で柚葉を見た。
そして気を取り直すように沙羅が名乗り出る。
「使役者である一樹さん以外で顕現させられるのかでしたら、私でも試せますよ」
沙羅が自薦したとおり、一樹以外が絵馬を使えるのかを試すだけなら、沙羅でも良い。
だが一樹は、首を横に振った。
「修験道を修めたB級陰陽師の沙羅だと、意図せずに技量で不備を補ってしまうかもしれない。沙羅に出来るからと言って、ほかの人間に出来るとは限らない」
「それはそうかもしれませんが、柚葉さんもC級ですよ」
沙羅が指摘すると、柚葉は得意げな表情を浮かべた。
すると一樹は、すかさずダメ出しをする。
「柚葉は学んで1年未満だ。国家試験を受ける連中は、柚葉くらい使えるだろ」
ガックリと肩を落とした柚葉を見て、一樹は悪いことをしたような気分になった。
だが調伏で命を張る陰陽師は、力量不足なのに上手いと調子に乗せるほうが不味い。
気を引き締めた一樹は、残る蒼依でも駄目な理由を説明した。
「蒼依の場合は、世間でいう名無しの女神さまだ。沙羅よりも参考にならない」
「どうしてですか?」
柚葉に問われた一樹は、自らの想像を口にした。
「国生みや神生みのイザナミから枝分かれした女神様に描かせたら、神話が発生するかもしれない。神使の八咫烏が大量発生したら、どうなる」
一樹の式神でもある蒼依や、蒼依の神使は、一樹の神気を使える。
一樹の式神となった大根や、そこから現れる絵も、一樹の神気で顕現できる。
大根から発生した蒼依の神使は、神気を帯びて立派に活動できるだろう。
それらは一樹の神気が尽きれば、もちろん消え失せる。
だが各地に社を建立して、名無しの女神と神使を信仰する人々が気を送れば、気は補填され続けるはずだ。
すると気がある限り動けるので、当面は働いてくれる。
最大でA級中位の絵は、200体に分けてもC級下位の力で、中級の妖怪並だ。
八咫烏は5羽で首都圏を守っており、47都道府県に4羽ずつ派遣したならば、走無常の対策に効果的かもしれない。
「各地が神社を建立して、ぜひ派遣して下さいと言いそうですね」
沙羅の想像は、現実的に起こり得る話だった。
「却下だ。女神様だからと言って、滅私奉公する必要はない。むしろ、するほうがおかしい」
一樹がお願いすると、蒼依は無理をしかねない。
すると女神に命を掛けさせる人間側は、対価に何を支払うのか。
単にありがとうと言って終わり、女神が手伝わなければ罵倒するのか。それは女神が自己中ではなく、人間側が自己中である。
そうならないように一樹は、蒼依に言霊で制約を課した。
「人間が鬼に襲われるのは、自然界の弱肉強食で、食物連鎖だ。人間だって、動物を食べている。神が、自然の摂理を歪める理由は無い」
「それで良いのですか」
「良いんだ。そもそも魔王3体と配下の一部を取り逃がしたのは、阿弥陀如来の軍勢だ。ほかの神様の仕事を取ってはいけません」
「でも魔王の一体、倒しましたよね」
「蒼依は、俺の式神だからな。俺の仕事は手伝ってくれ。物事は、自分の都合が最優先だ」
「分かりました」
自分を例外にした一樹自身は、蒼依に何を支払ったのか。
人を油断させる囮に使われていた蒼依の罪悪感を使役で償わせ、家族を無くした蒼依と同居し、人を喰わなくても良いように自分の呪力を与えた。
共に八咫烏を育てて、心に安寧をもたらした。
ムカデ神の打倒を手伝った対価として、龍神に神域作りの伝授を頼んだ。
五鬼王を探し出して蒼依を昇神させ、気を自給自足できるようにした。
それくらいやれば、ほかの神でも御利益をくれる。魔王ですら「北海道は貴様にくれてやろう」と言うかもしれない。
一樹の場合は、依存ではない。
堂々と言い切った一樹に対して、蒼依は従う意思を示した。
「というわけで、柚葉がやってくれ。柚葉が出来れば、陰陽道を学んできた後輩も出来るだろう」
「分かりました」
「龍神様のイメージを描くのは駄目だぞ。それは参考にならない」
「……ゔっ」
念を押された柚葉は、うめき声を上げた。
「まさか龍神様をイメージしようとしていたのか?」
「ち、違いますよ。ええと……八咫烏でしたっ!」
言い淀んで周囲を見渡した柚葉は、庭に居た朱雀に目を止めて訴えた。
もちろん言い分を信じる者はいない。
周囲の生暖かい眼差しに耐えかねたのか、細筆を手にした柚葉は、誤魔化すように絵馬に八咫烏を描き出した。
はたして呪力が注がれた絵馬には、柚葉が描いた以上に、精巧な八咫烏の絵が描かれていく。
そして描かれた八咫烏は、絵馬の中で羽ばたくと、そのまま絵馬の外に飛び出してきた。
「クワッ」
「おおっ!」
それは見事に白い八咫烏だった。
色が白であるのみならず、霊的で、身体が透けている。
――牛若丸と弁慶みたいに、絵師のイメージに左右されるのかな。
飛び出した白い八咫烏は、縁側に降り立つと、ちょこんと首を傾げた。
「可愛いですね」
様子を観察していた蒼依が、白い八咫烏の挙動を褒めた。
すると庭の朱雀が、ピョンピョンと跳んで近寄っていき、ブスッと突いた。
「ああっ、何ですか!」
「クワアアッ!?」
突かれたからか、それとも叫んだ柚葉に驚いたのか、白い八咫烏は逃げた。
それを朱雀が追いかけて、瞬く間に空中で捕まえる。すると白い八咫烏は神気を神域に霧散させながら、溶けるように消えていった。
「なんですか、どうして突いたんですか」
「いや、うーん」
涙目で訴える柚葉に対して、一樹はしどろもどろとなった。
「白くて見慣れないカラスだから、縄張りに入ってきたほかのカラスだと思って、確かめたのかな」
「本当ですか?」
「どうだろうな」
蒼依が褒めたので、嫉妬したのかもしれない。
だが一樹は、その可能性については黙秘した。
「もう描きませんからね!」
「……仕方がない」
一樹は、柚葉の訴えを認めた。
柚葉が絵馬を使えることは、すでに確認できている。
であれば同じことを繰り返す必要はない。
「朱雀が、絵から出た霊を壊すことを覚えないように、俺が何か描くか」
溜息を吐いた一樹は、自ら筆を取って絵を描き始めた。
一樹が式神符で生み出す鳩などは、朱雀も壊さない。
一樹は念のために、口頭でも注意した。
「俺が描いたものを壊すなよ」
「クワッ」
元気に返事をした朱雀が、三歩歩いて忘れる前に、一樹は壊されなさそうな牛太郎を描いた。
但し、強大な牛鬼を家の庭先に出すわけにはいかないので、弱めに抑えようとイメージした。
「賀茂さん、何を描いているんですか」
「牛太郎だ」
「牛ですよね?」
柚葉に指摘された一樹が渋面を浮かべる中、絵馬の中では一樹が描いた絵が、動き出していた。
体を揺り動かした絵は、のしのしと歩き出すと、絵馬の外に出てくる。
そして飛び出した絵は、雄たけびを上げた。
「モーッ」
その姿は、たいそう立派な牛であった。
 
























