182話 塗りつぶしの絵馬
長谷寺で塗りつぶしの絵馬を手に入れた一樹達は、即日相川家に帰った。
一樹の目的は、描かれたものが現れるという絵馬の使役だ。
4月になれば、陰陽同好会に後輩が入ってくる。
その後輩達が、守護護符を作成する練習に使えそうに思えたので、一樹は絵馬の使役を考えた。
だが妖怪調伏のためであろうと、夜中に寺で大決戦を行えば、絵馬以上に一樹達が迷惑だ。そのため相川家まで、絵馬を持ち帰った次第である。
「固形石鹸よりも効率良く墨を落とす方法、無いかな」
塗りつぶされた絵馬を庭で洗いながら、一樹が呟いた。
絵馬を固形石鹸で擦り、水を張ったバケツに浸し、食器を洗うようにスポンジで擦り、バケツから出して再び擦る。
1月に外で行えば、手が冷たくなるのは必至だ。
蒼依と沙羅にお湯を沸かしてもらい、バケツにお湯を足しながら、一樹は改善策を尋ねた。
「代わりましょうか」
「いや、それはしなくて良い」
過酷な作業なので女子に交代してもらいましたというのは、一樹の感性では有り得なかった。
ほかの式神に任せるのも、論外であろう。
牛太郎は、身体が大きすぎて、洗い物などできない。
八咫烏は、くちばしで突いて振り回すに決まっている。
水仙は、おさんどんをさせると後が怖い。
鎌鼬達は、絵馬を叩くか、斬るか、回復させるだろう。
幽霊巡視船員は、そこまでこき使うには、憚りがある。
信君は、洗い物をさせると鳴神兼定を出さなくなりかねない。
洗い物に向いた式神は、生憎と使役していなかった。
「ほかの方法でしたら、ご飯粒や歯磨き粉を練り込むこともあるようです」
スマホで検索した沙羅が、固形石鹸の対案を報告した。
「それって効果は有りそうか」
「墨汁に混ぜられている合成樹脂のせいで、落ち難いそうです」
「駄目なのか」
「ほかにも強い薬剤は有りますけれど、下の絵までも消えてしまいそうです」
「それは良くないな」
妖怪を使役するためには、妖怪を従わせなければならない。
不服従や反抗的な妖怪を呪力だけで使役すると、十全には力を発揮せず、呪力の消費も増える。
信君は獅子鬼と戦うまで、風神雷神の力が宿った鳴神兼定を使わなかった。
風切羽を毟り取られた天津鰐は、反抗が予見されたので、使役の対象外だった。
蒼依は納得させ、牛太郎は生来の性に合わせ、八咫烏は卵から育てた。
水仙は力関係を明確化させて利も示し、鎌鼬は捕まえて言い聞かせ、幽霊巡視船は意に沿って国に使用も公認させた。
式神の能力を十全に発揮させるためには、相手に合わせて適切に使役しなければならない。
「この絵馬は、自分に描かれている牛若丸と弁慶を倒してみせないと、使役者を認めないと思う」
「どうして、そうなるのですか」
一樹が確信する理由が分からなかった蒼依は、その理由を尋ねた。
「自分の専門分野で負けないと、相手を上と思わない。俺は剣術で負けても、陰陽術では負けないと思う。だけど陰陽術で正面から負けたら、相手のほうが上だと思う」
「そうなのですね」
一樹自身という具体例の提示を受けて、蒼依は得心がいった様子だった。
「自分の専門分野で負けたら、その分野に詳しいほど、相手が上だと分かる。そうすれば従うさ」
やがて石鹸で擦られた絵馬から、五条大橋が浮かび上がってきた。
◇◇◇◇◇◇
夜中、一樹達は川を渡った。
目的地は、かつて牛太郎と蒼依の祖母が争った杉林で、明るいうちに絵馬を置いている。
山は暗闇に包まれていたが、沙羅の天狗火が無数の提灯となって、周囲を明るく照らしていた。
「家で、チャンバラをさせるわけにはいかないからな」
「家が壊れてしまいますよね」
「ああ。絵馬次第だが、戦って屈服させる場合、派手になる」
一樹が散々説明しているので、絵馬のほうも意図を分かっている。
一樹が辿り着いた先には、絵馬に描かれた牛若丸と弁慶が揃っていた。
両者は、争ってはいない。二人を叩きのめすと言ったのだから、二人で争っている場合ではないことくらいは分かるだろう。
決戦の場に着いた一樹は、最初に自身の式神を出した。
『出でよ、牛太郎、信君』
一樹の正面で神気が膨れ上がり、激しく渦巻いて、強大な牛鬼と、浮世絵に描かれる伝説の武将を顕現させた。
両者の力はA級。
一樹は易々と使っているが、魔王領を削り回った犬神とすら互角に殺し合える怪物達である。
自らの守りを出した一樹は、絵馬に向かって宣言した。
「絵馬の怪異よ。我は、陰陽師の賀茂一樹だ。これより汝が受け取れるだけ、我が呪力を与える。故に汝は、我が式神達に敗北しようとも、呪力不足を言い訳にするなかれ」
そして絵馬に向かって、陽気を放つ。
一樹の陽気が届き始めると、牛若丸は太刀を輝かせ、弁慶は薙刀を巨大化させた。
絵馬が吸収する陽気は、一樹が想像していたよりも桁違いに大きかった。
――こいつ、A級くらい吸ったぞ。
世の中には、様々な神木がある。
例えば群馬県太田市は、昔は大根村と呼ばれた。それは太古に、途方もなく大きな神木が生えており、その神木が倒れたことから大根村という地名になったのだ。
そして群馬県には、江田町という土地もあって、そちらには神木の枝(江田)が落ちた。
大根村と江田町は、40キロメートルほど離れている。
神木が地脈から集められた力は、A級程度では収まらないだろう。その分霊であれば、描かれた五条大橋の激戦でも何でも引き起こせる。
小さな絵馬であろうとも、油断すべきではなかったのだ。
「信君殿には、牛若丸を倒して頂きたく。牛太郎は、あの大男を倒せ。蒼依は俺の守りだ。沙羅は式神ではない故に、すまないが灯りと見届け役に徹してくれ」
「分かりました」
蒼依が返事をして、残る面々は無言で指示に従った。
一樹は絵馬に向かって、念を押す。
「絵馬の怪異が生み出した牛若丸と弁慶に対して、陰陽師の賀茂一樹が、式神術を以て相対する。いざ尋常に勝負」
宣言を終えると、蒼依に守られた一樹は後ろへと下がっていった。
その代わりに信君が牛若丸、牛太郎が弁慶と間合いを計りながら、ジリジリと動き出す。
ドンという強い振動が、周囲に響き渡った。
牛若丸の足元で、土煙が激しく吹き上がる。
牛若丸の姿は消えており、天狗火に照らされた太刀が、信君の鳴神兼定と激しく打ち合っていた。
目を見張って驚きを露わにした牛若丸は、華麗に身体を捻って太刀を手元に引き戻し、空中で身体を回転しながら再び太刀を振う。
そんな牛若丸の太刀と引き合うように、鳴神兼定が振われた。
莫大な呪力が籠められた二振りの刀がぶつかり合う。
その衝撃で、周囲の杉林の一画が吹き飛んだ。
「あれを寺に奉納した馬鹿は、誰だ!」
衝撃波から顔を庇った一樹は、最初に想定していたよりも大きく後退した。
戦いは、二ヵ所で同時に起こっている。
巨漢の弁慶が、全身を使って巨大な薙刀を振う。すると牛太郎が振り下ろした棍棒が、弁慶の薙刀に軌跡を逸らされて、山肌に叩き付けられた。
弁慶の薙刀のほうが、小回りが利く。
牛太郎の棍棒をかいくぐった弁慶は、牛太郎の右足に向かって薙刀を振った。
一樹が危ないと思った瞬間、牛太郎の右足が跳ね上がった。
それは薙刀を避けるのではなく、薙刀ごと弁慶を蹴り飛ばす動きであった。
「グモオオオッ!」
雄叫びを上げながら振われた右足が、弁慶の身体を激しく蹴り飛ばす。
建設現場の高所から鉄筋が落とされたような猛威が降り掛かり、爆風と共に弁慶は舞い上がった。
だが撥ね飛ばされた弁慶は、空中で刀を生み出す。
そして刀を振りかぶり、地上の一樹に向かって投げ付けた。
その瞬間が一樹には、スローモーションのように見えた。
世界の体感時間が遅くなっていき、天狗火に照らされた刀が、妙にゆっくりと迫ってくる。
一樹の身体は、もちろん加速しない。
思考だけが加速して、ゆっくりと迫ってくる刀を避けきれないと思い、身体をどちらに動かして致命傷を避けようかと考えた。
だが刀の軌道に、天沼矛が割って入ってきて、刀を叩き落とした。
ガンと鈍い音が響いて、一樹の体感時間は通常に戻っていった。
「ナイス」
「今度は、ちゃんと守れました」
刀を叩き落とした蒼依は、誇らしげに語った。
目的を阻止された弁慶は、さらに刀を生み出す。
だが今度は、弁慶のほうに攻撃が降り掛かった。
まるで銃撃を浴びせるように、五行の術が降り注いでいく。それらは一樹の式神である八咫烏達が、空から放つ攻撃であった。
「ここは、うちの庭です」
神域内での動きなど、蒼依には手に取るように分かるのだろう。
それは蒼依の神使である八咫烏達にとっても同様で、弁慶の二度目の攻撃は徹底的に阻害された。
さらに水仙の妖糸が絡み付き、動きの鈍った弁慶に牛太郎の猛攻が襲い掛かる。
「信君殿のほうも、大丈夫そうだな」
信君と牛若丸の戦いも、信君の一方的な優勢となっていた。
牛若丸の太刀は信君を崩せず、返す刀で信君は牛若丸を斬り払う。
それもそのはずで、信君の鳴神兼定には風神雷神の力が宿っている。
風神雷神は、元々はインドの神で、風神がヴァーユ、雷神がヴァルナと呼ばれた。
それが仏教で護法神となり、観音菩薩の眷属として、天部の八方天に数えられている。
八方天とは、東西南北の四方と東北、東南、西北、西南を護る諸尊のことだ。ほかに天地の天部を合わせて十天、さらに日月の天部を合わせて、十二天ともいう。
風神は、仏教では風天。八方天の一尊として、西北を護る。
雷神は、仏教では水天。八方天の一尊として、西を護る。
「信君殿は、仏界を護る八方天の力を二つも操れる。対して源義経は、一体どのような力を持つ。絵馬が描き出す力は、我が式神術に及ばず!」
一樹は絵馬に向かって、勝敗を宣言した。
決着は、それで着いた。
最初に膝が折れた義経が、薄れて消えていった。
すると満身創痍の弁慶も、仁王立ちで威厳を保ったままに消え失せた。
絵馬は、一樹の呪力と式神術によって、完全に塗りつぶされた。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我は陰陽の理に則り、霊たる汝を陰陽の陰と為し、生者たる我が気を対の陽とする契約を結ばん。然らば汝、この理に従いて我が式神と成り、顕現して我に力を貸せ。急急如律令』
契約は成り、塗りつぶしの絵馬は、一樹の式神となった。
コミカライズ最新の第7話最後に、
謎の美少女2人が出ているのは、お気付きでしょうか?
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ちなみにhakusai先生が、デザインして下さっています(*- -)(*_ _)
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