181話 絵馬の怪異
三学期が始まってから最初の土曜日。
一樹は蒼依と沙羅を連れて、奈良県の桜井市にある長谷寺に赴いた。
桜井市は、海に面していない奈良県でも中部のほうで、寺は海抜215メートルの地点にある。すなわち海沿いから離れた山のほうだ。
そのような地域には人が少なくて、妖怪の領域に成り易い。
「こんなに山のほうにあるのに、人が暮らせているのですね」
蒼依が感心したのは、長谷寺の付近まで国道165号線が繋がっていたからだ。
周囲が山だらけで、山には鬼などが住んでいるはずなのに、国道沿いには家が立ち並んでおり、人々が普通に暮らしていた。
そのおかげで一樹達は、楽々と移動できている。
相川家も山のほうにあって一樹が暮らしているが、元々は山姥の住処だった。
近年は、八咫烏達の趣味で鬼が絶滅危惧種にされたり、山の女神に神域化されたりしているが、そのようなことは普通では有り得ない話だ。
「すぐ近くに、陰陽師協会の本部がありますから」
奈良県の北西部が通常とは異なる理由について、沙羅が指摘した。
奈良県は、協会のお膝下だ。
本部がある御所市から、桜井市までは、わずか十数キロメートル。
御所市から長谷寺までは、車で40分ほどだった。
常任理事会で参集した最強のA級陰陽師達が、その場から式神や犬神を送り込める距離である。
花咲家などは代々のA級陰陽師であり、犬神に遊んで来いと言えば、喜んで走っていくだろう。血気盛んな大妖怪は、協会の設立から百数十年の間に、遊び尽くされたかもしれない。
――何度倒しても復活するんだから、妖怪側も嫌だよな。
大妖怪が激怒して派遣元に乗り込んでも、そこは協会本部だ。
本部にはA級上位の人外達がいて、その中の3位ですら、千体もの霊狐を召喚できる。しかも、召喚された霊狐の中には、召喚主と同格の三尾まで混ざっている。
その理不尽を突破できても、本部に祀られるのは、大神の高照光姫大神命だ。
A級1位の諏訪に宿る建御名方神よりも神格が上で、世間を大混乱に陥れていた獅子鬼ですら、勝てない相手である。
一樹が大妖怪であれば、このような魔境からは、粛々と引っ越す。
奈良県の北西部が安全になる由縁である。
中鬼程度であればA級陰陽師は取り合わないが、ほかにも奈良県が安全になる理由はある。
「五鬼童家の本拠地も、奈良県だからな」
一樹の指摘に、沙羅が笑みを浮かべた。
五鬼童は、「五鬼童ばかりA級を占めるから、五鬼童はA級一席」と制限されるような一族だ。
鬼神のごとき強さを持ち、大天狗のように飛び回る一族が本拠地にしていれば、奈良県の妖怪は堪ったものではない。
奈良県北西部の地価は、妖怪の界隈では最安値であるに違いない。
猛獣が彷徨く荒野には、誰も住みたいとは思わないだろうが。
「でも奈良県は北西部を除くと、大半が妖怪の領域ですよ」
「妖怪が人の領域に来ないのは、五鬼童家が行ってきた『しつけ』のおかげだ。充分だろう」
そんな五鬼童の沙羅と、A級陰陽師の一樹が訪問することで、長谷寺は絵馬を見せてくれた。
◇◇◇◇◇◇
昔、ある絵馬が長谷寺に奉納された。
その絵馬には、牛若丸と弁慶が五条大橋で争う姿が描かれていた。
その日以降、夜になると、寺で剣戟の音が響いてくる。
音を聞いた寺の僧が、音の聞こえるほうに忍び寄っていったところ、なんと絵馬の姿そっくりの牛若丸と弁慶が争っていた。
翌朝、件の絵馬を墨で塗りつぶしてみたところ、音は聞こえなくなった。
だが墨が剥げると音が聞こえるようになるので、寺では毎年一度、その絵馬を塗りつぶすようになったという。
なお牛若丸とは、源義経の幼名である。
香苗の水行護法神である源九郎狐に名を与えた人物であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である源頼朝の弟にして、壇ノ浦の戦いで平家を討ち滅ぼすも、兄と決裂して、最終的には自害に至った。
源九郎とも呼ばれるが、それは源家の九男だからだとされる。
弁慶とは、源義経に仕えた武蔵坊弁慶だ。
乱暴狼藉を繰り返し、人々から999本の刀を奪い、1000本目に義経の太刀に目を付けた。そして太刀を奪おうとするも返り討ちに遭い、以降は義経の家来となった。
そんな2人の戦いの場として知られるのが、五条大橋である。
但し当時は五条大橋が存在せず、別の場所であった説や、五条通りや五条天神社に架かる橋での出来事だった説もある。
「どうして絵馬から、牛若丸と弁慶が現れるのでしょうか」
黒く塗り潰された絵馬を見た蒼依が、首を傾げた。
絵馬から何かが飛び出してくるのであれば、怨霊や付喪神などが想像できる。
だが1つの絵馬に何かが憑くとすれば、普通は1体であろう。
なぜ二体なのかと不思議がる蒼依に対して、一樹は可能性を口にした。
「俺の式神符も、字や絵を描きながら呪力を籠めれば、鳩と化す」
一樹の術をよく知る蒼依は、紙から鳩が生まれる話に頷く。
「鳩の式神は、紙や木片に呪力を籠める道教呪術系だ。素材の絵馬は木片で、紙より長持ちする。木片に神木を使って、絵を何重にも描き込んで呪術図形にすれば、俺も同じ物を作れるぞ」
「そうなのですね」
「ああ。あるいは神木の霊魂が分霊として絵馬に宿れば、地脈から気を補える。神木の霊魂と呪術が合わされば、偶然作れるかもしれない」
牛若丸と弁慶が現れる現象は、陰陽道で説明が出来る。
蒼依は解説に納得したが、傍で話を聞いていた和尚は、困った表情を浮かべた。
「絵馬を奉納したかたは、分かっていたのでしょうか」
意図的であれば、手に負えない呪物を押し付けたか、寺への悪意で渡したことになる。
絵馬を代々受け継いできた寺としては、堪った話ではない。
和尚に問われた一樹は、異なる可能性も指摘した。
「作為とは断定できません。情熱を注ぎ込んで描いた結果、偶然生まれた可能性もあります。同じ奈良県の山添村で、神波多神社に伝わっている『壁画の怪異』は、意図せず生まれました」
「神波多神社の壁画の怪異ですか」
「はい。そちらの絵は、紛れもなく偶然の産物です」
神波多神社に伝わる壁画の怪異は、室町時代の旅絵師が、意図せず生み出したものだ。
迷惑さは、長谷寺にある塗りつぶしの絵馬どころではないが、送り主に悪意は無かった。
悪意が無かった可能性もあると聞いた和尚は、落ち着いた表情に戻った。
「ほかにも、中国では五色筆という話が伝わっておりまして、描いたものが現れます。そちらは筆が神器になっており、絵に霊を宿せます」
五色筆は、『いかなる絵でも思った通りに描けて、しかも絵には霊が籠もる』というものだ。
筆を授かったのは、魯の康広という男だった。地方官の李令に描けと強要された彼は、100人の兵を地方官の家の塀に描いた。
すると武官の趙にも「李令には描けて自分には描けないのか」と言われ、同様に描いたところ両軍が塀から現れて戦いを始め、両家の塀や家を壊してしまった。
主達の意を汲める魂が宿った、立派な兵士達である。
あるいは弁天堂に奉納された『浮かれ猫』の絵馬には、外部から弁才天の神使が宿った。
絵に描かれたものが姿を現す話は、いくつも伝わっており、それには様々な理由がある。
「神木の分霊と呪術が合わさった。神木が妖怪化した。妄執が宿った怨霊。いずれも危険ですので、陰陽師である私が引き取らせて頂きたく存じます」
「引き取りでございますか」
「はい。絵を塗りつぶしているそうですが、絵馬が恨みを募らせ、牛若丸と弁慶を放って報復すると、人に被害が出ます」
絵馬を毎年塗りつぶすのは、絵馬の力が消えておらず、それを抑え込んでいるからだ。
ただの言い伝えであれば構わないが、実際に現れるとなれば、塗り潰していては危険だ。
怨みを募らせて力を増した絵馬が、1年に1回の塗りつぶしでは封じられなくて解き放たれたり、何かの理由で塗り潰す行為自体が途切れたりと、様々な可能性がある。
「その代わり魔王を調伏した陰陽師の一人である私が、お寺に地蔵菩薩の木像を奉納いたします。何卒、ご理解を頂きたく」
「……承知しました」
お前が代わりに封じられろと言わんばかりに、神気を籠めた閻魔大王の木像を奉納した一樹は、目的の絵馬を手に入れた。
 
























