179話 琴引浜の鬼女
浮かれ猫が居た光清寺と、鬼女が現れる琴引浜は、同じ京都府内にある。
もっとも直線距離では、100キロメートル以上も離れている。
妖怪の領域を避けて結ばれる路線は大回りで、昼前に光清寺から出発したなら、現地で一泊を覚悟しなければならない。
もちろん泊まり込みの仕事など、妖怪調伏ではいくらでも有り得る。
これは良房から正式に依頼された仕事なので、一樹にも否は無い。
乗客の疎らな車内で2人掛けの席に座った一樹は、隣の香苗に指示を出した。
「香苗、琴引浜の近場で、ホテルか旅館を探してくれ。朝夕の食事が付いて、高いところで」
「高ければ良いのですか」
「高くても客が来るのなら、値段分の価値があるのだろう。陰陽師の仕事で宿泊する場所には、金を惜しむべきじゃない」
それは一樹が、晴也の式神探しに付き合った初日で、安ホテルに宿泊して学んだことだ。
長距離の移動と安ホテルで、状態が万全ではなかった一樹達は、怨霊の清姫を初手で見誤った。結果として丸く収まったが、だからといって繰り返してはいけないと一樹は考える。
「小白様の解放では、良房様から正式な依頼を受けた。琴引浜の鬼女は、それの付随事項だろう。対価は頂けるから、すべての費用は俺が出す」
「あたしが御利益を受けて、音楽の指導も受ける話ですけれど」
一方的に得をしてばかりの立場に、香苗は戸惑いを見せた。
「今回の依頼は、良房様が藤原北家の子孫でもある伏見宮家の絵馬について、解決をしたかった。良房様の私事だから、正式な依頼として考えて良い」
「名目ですよね」
「まあ、名目だが」
新年会の席で良房は、香苗に対して式神での歌唱奉納を依頼した。
その後に香苗が、式神との力量差に悩んでいると知って、依頼した気まずさもあって手を貸した。本来は、そのような経緯で『香苗に音楽の御利益を授ける』という依頼が発生している。
絵馬の問題は、良房が解決したかったのは嘘ではないだろうが、ちょうど良い名目だ。
「豊川稲荷の霊狐達が、後進を指導しているのは、彼らの趣味だから気にしなくて良いと思う」
「はぁ」
「あとは、仕事で連れて行く弟子に金を出させる師匠は情けないから、奢られておいてくれ」
一樹の説明も、名目であった。
音楽に秀でた式神を使役して、力量差に悩んでいる香苗の状況は、一樹自身が主導した立場だ。そのため当事者として、自分にも改善すべき責任があると自覚していた。
だからこそ良房は、一樹を巻き込んだのかもしれないとも考える。
自分の後始末で香苗に金を出させるのは情けないのが、実際の本音であった。
一歩も引かなそうな一樹の態度に、香苗は折れた。
「妖狐を言いくるめるなんて、悪い人ですね」
「まあな」
引き下がった香苗は、宿泊場所の検索に戻った。
検索条件に『地名』と『ホテル』を入れて、地図で検索すると、位置と料金が出てくる。
「一番高いのは、家ごと借りる民泊みたいです」
「民泊は料理が出なくて、自前で色々としないといけない。虎狼狸退治の時には、豊川様が古民家を借りられたから、悪いわけではないけどな」
「古民家ですか」
「ああ、囲炉裏でイワナを炙っておられた。調理場でおにぎりを握って、豚汁も作っておられた」
御年800歳の豊川りんは、サバイバル能力が非常に高かった。
文明が崩壊しても、山菜を採り、魚を獲り、畑を耕して、独力で生きていけそうな様子だった。古民家で自炊するくらいは、朝飯前であろう。
対する一樹と香苗は、現代人である。
「コンビニで、お弁当でも買いますか」
「色々と面倒だろう。ホテルか旅館に泊まろう」
香苗は宿泊先から民泊を省いて、検索を再開した。
すると琴引浜から2キロメートルほど歩いた場所にある離湖の湖畔に、ホテルや宿があった。
一棟丸ごと貸切型の湖邸だが、朝夕の食事は出る。
「高そうですが、この辺りで良いですか」
「それで良い。命がけの陰陽師は、仕事中の回復には、金を惜しむべきじゃない」
そう主張した一樹は、自分の主張が父親の和則に似てきたのではないかと思って愕然とした。
――いや、違う。生活に必要な資金は、俺は選り分けておく。
和則に莫大な呪力が有れば、生活費を選り分けたかもしれない。
一樹が呪力不足であれば、生活費を切り詰めたかもしれない。
自身の思い付きに衝撃を受けた一樹が固まる中、香苗は宿泊先に予約の電話を入れ始めた。
◇◇◇◇◇◇
夜には死気が強まって、怨霊が出易くなる。
かつて、月が出る頃に琴引浜に鬼女が現れたのは、ごく順当な結果だったといえる。
宿で豪勢な夕食を摂った後、天に月が浮かぶ琴引浜へと辿り着いた一樹と香苗は、陰陽師らしく妖気が強いほうへと向かっていった。
「篠田某は、琴の音色に導かれたそうだが、聴こえるまで待つ必要もないからな」
「それはそうですが、よく妖気を探り当てられますね」
「特技の一つだ」
理不尽極まりない過程を経て獲得した力の一つについて、一樹は短く説明した。
それから一樹と香苗は、月明かりに照らされた夜の浜辺を少し歩いた。
鳴き砂の浜と知られる琴引浜では、浜を歩くと「キュッ」と小さな音が鳴る。
夜の浜辺に聞こえる波の音と、そこに混ざる足音の二重奏がしばらく続いたが、やがて波の音や足音とは異なる三つ目の音が、僅かに混ざり始めた。
「琴の音色ですね」
「そのようだな」
琴の旋律は、一樹達が近づくにつれて大きくなっていく。
そして月明かりの下には、磯山の木に隠れた紫の庵が浮かび上がっていた。
一樹達が近づいていくと、琴の音色は静かに消えていった。
「御免下さい」
漠然と相手を待っていても仕方がない。
そして怨霊に主導権を握られるようでもいけない。
そう考えた一樹が庵に向かって声を掛けると、庵から主が姿を現した。
現れた異形に、一樹は息を呑む。
敢えて何かに例える場合、近い形相は般若の面だ。
肌は白粉を塗ったように真っ白で、目元は朱を塗ったように赤く染まり、頭部には二本の角が生えている。耳も大きくて、先端が鋭くなっている。
異なる部分は、目が細くて鋭く、口は閉じており、あからさまな怒りを表出していないことだ。
服装は、破れた装束と色あせた袴であり、そちらは言い伝えの通りの姿だった。
一樹と香苗を頭の天辺から足の爪先まで観察した後、鬼女は問う。
『何用であるか』
すると香苗に憑いた神霊の小白が、三味線を手にしながら姿を現した。
鬼女は三味線に興味を引かれたのか、そちらに何度も視線を向ける。
「わたくしは、音楽神でもあらせられる大明神様、貴女とて百も承知であろう弁才天の従者です。わたくし達に、言葉は要りましょうか。貴女は、琴で語られませ」
小白は微笑みを浮かべながら、鬼女に誘いを掛けた。
さらに小白は、軽く三味線を鳴らしてみせる。
すると鬼女は、無言で琴を顕現させて、弦を掻き鳴らした。
右手の搔爪が、前後に激しく動いて弦を鳴らしながら、滑るように左右へと引かれていく。
その動きに合せて左手の指が弦を弾き、美しい旋律が紡ぎ出されていく。
思わず鳥肌を立てた一樹の耳に、小白の三味線が加わった。
琴の独奏で白黒だった世界が、三味線による高低と強弱の多彩なアクセントで、鮮やかに彩られていく。
人に一度聴かせるだけでは、到底伝えきれない鬼女の秘技が、初耳であるにも関わらず見事に合わせられている。
琴が奏でる音色の上で、三味線の音が鮮やかに舞い踊る。
小白は曲を合わせるのではなく、鬼女が紡ぎ出す世界で、三味線を使って自在に歌い踊った。
――鬼女が笑っている。
あまりにも楽しげに遊ぶ小白の様に、鬼女は演奏しながら笑みを浮かべていた。
鬼女の曲で遊んだ小白は、やがて三味線の音を小さくして、演奏を終わらせていった。
そして態度を改めて、素直に聞く姿勢に入った鬼女に向かって、小白は告げる。
「大明神様の御利益を得た娘。こちらの香苗殿には、未だ師が居りません」
小白に紹介された香苗は、見事に琴を演奏した鬼女に向かい、軽く頭を下げた。
「貴女は己が秘技を伝授したいとの由。ならば香苗殿に憑り付き、伝授なさいませ」
『すると、どうなるのか』
聞き返す鬼女に向かって、小白は微笑んだ。
「遥か昔より受け継がれ、貴女の手元で留まっている音は、貴女から次代の香苗へと受け継がれ、さらに先々へと受け継がれます。音楽家にとって、本懐でしょう」
本懐……本来の願い、本望。
鬼女は『列国怪談聞書帖』で、秘曲を人に伝えず死んだ心残りを語っていた。
すると音楽神である弁才天の従者が現れて、弁才天の御利益を受けた弟子に引き合わされた。
まさに千年に一度であろう千載一遇の機会を得た鬼女は、真顔で真摯に訴えた。
『如何にも、如何にも。継承こそが、我が未練である!』
「ならば、わたくしと共に香苗殿に憑かれませ」
『感謝致す。弁才天の従者殿』
香苗が頷くと、鬼女は小白と共に香苗に取り憑いて、溶け込んでいった。
すると琴引浜に現れていた紫の庵も、音と共に薄れて消えていった。
・3巻カバーイラスト(hakusai先生)
https://x.gd/0LyrG
(高画質版です。編集様に掲載許可を頂いております)
・きばとり先生(3巻の口絵・挿絵を描いて下さいました)
https://twitter.com/kiba_tori
https://www.pixiv.net/users/64969647
・第3巻は、漫画と同月発売ではございません。
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