173話 蒼依姫命の祓
獅子鬼と建御名方神との戦いの帰趨は、獅子鬼に軍配が上がるのが必然だった。
蜃の鬼市を維持してなお、呪力で倍の差があった。牛太郎、信君、水仙、鎌鼬3柱を足しても、獅子鬼の呪力には届かない。
建御名方神の命が尽き掛ける中、一樹には全戦力を振り向けるほかの選択肢は無かった。
『蒼依、沙羅、八咫烏達で加勢してくれ』
いずれも投入したくはないが、増援できる人員は、それだけだ。
犬神は羅刹に、キヨも青鬼にトドメを刺している最中で、赤牛は消えている。
そして外からの増援には、もはや期待していない。
――鬼市の維持に、富士山の霊脈が使われているかもしれない。
地脈から力を得る存在は、神に限らない。
蒼依と争ったA級下位の五鬼王ですらも、土地に自らの領域を作っていた。
であれば、御殿場市と周辺を領域化していた獅子鬼も、地脈の力は使える。
それを鬼市の維持に使っていた場合、外側の宇賀らは蜃の煙を祓うために、より多くの呪力と時間を消費する。
だから駆け付けられないのかもしれないと、一樹は想像した。
増援が来るまで逃げ回った場合、到着が間に合わずに各個撃破される可能性がある。
そうなるくらいならば、建御名方神が生きている間に加勢したほうが、生存の可能性は高い。
「ブオオオオッ!」
建御名方神に食らい付く獅子鬼の右手に向かって、牛太郎が棍棒を振り抜いた。
「んぬうううっ」
顔を苦悶に歪めた獅子鬼が、身体の向きを変えて、牛太郎に右足で蹴りを見舞う。
だが建御名方神を押さえ付けながらでは、威力に乏しい。
元々の負傷、鬼市の維持、建御名方神や式神達との戦いによる消耗が積み重なり、牛太郎は獅子鬼の蹴りを受け流せた。
そのまま牛太郎は、獅子鬼の伸びた右足に棍棒を叩き込んだ。
そして獅子鬼の大地を踏みしめる左足には、信君が取り付いている。
信君は足の裏に回り込み、刀を振り抜いた。
『鳴神』
A級中位に力を上げた信君の鳴神兼定が、獅子鬼の足の腱を断ち切る。
「ガアアアアッ」
獅子鬼は戦うライオンのように、殺意に満ちた雄叫びを上げた。
呻った直後、牛太郎に向けていた右足を引き戻して、そのまま信君に蹴りを見舞う。
獅子鬼の右足が迫った信君は、風神雷神の力が宿る刀を構えた。
『疾風迅雷』
信君の身体が、疾風のように駆け始めた。
信君は刀を横に構えて、獅子鬼の右足を真横から斬りながら、通り抜けていく。
交差した獅子鬼の右足から、血が噴き出していく。
そのまま駆けた信君は、再び左足を狙った。
「畜生と、人間風情があっ!」
建御名方神の首筋に突き立てた牙を外した獅子鬼が、牛太郎と信君に向かって吠えた。
獅子鬼は建御名方神を投げ捨てると、左手に斧を顕現させる。
「下等な貴様等を嬲り殺し、捕らえた魂を痛めて、地獄を見せてやる」
獅子鬼の罵詈雑言を耳にした一樹の表情が、途端に抜け落ちた。
能面となった一樹は、淡々と命じる。
『……撃て』
天空から八咫烏達を介した一樹の神気が、五色の矢雨となって、降り注いだ。
五行の矢は、獅子鬼の顔面を集中的に狙い、目、鼻、口に神気の爆発を見舞っていく。
強制的に黙らされた獅子鬼は、飛び退いて矢を避けた。
それを八咫烏達が空から追い回し、神気を浴びせ続ける。牛太郎や信君らも追撃に入り、気を散らされた獅子鬼を地上から攻め立てた。
式神達の身体には一樹の気が満ち溢れており、全挙動が全力で行われていく。
全力で棍棒が打ち据え、神気を宿した鳴神兼定が真価を引き出し、水仙の猛毒が獅子鬼を呪い、駆け回る鎌鼬が棍棒と鎌で襲い、八咫烏達が五行の矢雨を降らせる。
「おのれ、術者め」
「黙れ、下廻り」
隠れ潜んでいた一樹は、その身を獅子鬼に晒した。
わざわざ身を晒した理由は3つ。
1つは、式神達に莫大な呪力を送るために、姿を隠せなくなったこと。
1つは、獅子鬼の軽々しい地獄云々に対する怒り。
1つは、自らを囮とするため。
一樹を倒せば、全ての式神が呪力供給を断たれ、霊体の式神であれば解放される。
そのため一樹が姿を現せば、獅子鬼は式神の攻撃など無視してでも、まっしぐらに一樹を狙うに決まっている。
隠形していた一樹を目にした獅子鬼は、ほかの全てを無視して、猛然と駆け出した。
その頭上から、天沼矛を構えた蒼依が、沙羅に抱えられて急降下してくる。
獅子鬼の背後から迫った蒼依の天沼矛は、獅子鬼の首に突き立てられた。
『蒼依姫命の祓』
A級下位である蒼依の神力、そして6個でA級下位の力が籠められた勾玉の神力が、獅子鬼の首から神気を放った。
「ガアアアアァァァッ」
一樹を目掛けて猛進していた獅子鬼が、堪らず吠える。
だが蒼依の攻撃は、そこで終わらなかった。
一樹と蒼依は、式神契約を解除していない。一樹の呪力は、蒼依に流せる。
「地獄とは、こいつのことだ……『閻魔大王の祓』」
一樹が宿す閻魔大王の神気が、蒼依の天沼矛を介して、獅子鬼の首に注ぎ込まれた。
注ぎ込まれた閻魔大王の神気を受けて、獅子鬼は声も発せられず、崩れ落ちていく。
蒼依は体勢を崩したが、影から猫太郎が飛び出して獅子鬼と蒼依の服に爪を立て、蒼依の身体を繋ぎ止めた。
「全部喰え」
一樹の身体が輝き、それが蒼依に伝播して、獅子鬼へと流れ込んでいった。
幽霊巡視船を使っていない一樹の神気には、まだ余裕があった。
一樹の神気は、獅子鬼の妖気を上回り、獅子鬼の身体を塗り潰していく。
閻魔大王の神気は、獅子鬼に対して、絶大な威力を発揮していた。
それを表すかのように、一樹の魂に染み込んだ穢れが、急速に浄化されている。
穢れを抑え込むために使われていた一樹の陽気も、全てではないにしろ解放されて、使える量が急速に増していった。
『陽気は、蒼依以外の式神に回す。神気は蒼依に』
獅子鬼は、既に動かなくなっていた。
それでも止め処なく注ぎ込まれる神気が、妖気に満ちた獅子鬼の肉体と魂を滅ぼしていく。
やがて獅子鬼が使役していた蜃の煙が晴れていき、ようやく一樹は魔王の調伏を確信した。
◇◇◇◇◇◇
宇賀達の到着を視界に収めた一樹は、とりあえず休ませて欲しいと思った。
無論、そのような願いが叶うはずもなく、一樹達は事細かに状況を確認された。
獅子鬼に関しては、閻魔大王云々は省き、蒼依の神気でトドメを刺したと伝えた。
羅刹は犬神が倒しており、豊川達の到着後に犬神が魂を噛み裂いて、決着した。
夜叉はキヨが倒したが、姿が消えてしまい、魂の消滅は確認出来なかった。
蜃は獅子鬼の撃破後、解放されて霊体に戻ったところを霊狐達が滅した。
殉職は諏訪と堀河の二人で、これらが本作戦における大まかな結果であった。
そして結果には、付随して発生する事象もある。
「魔王を倒した蒼依姫命の神格は、どれくらい上がったかしら」
A級下位の五鬼王を調伏してすら、蒼依はB級上位からA級下位に神格を上げた。
弱っていたとは言え、S級中位の魔王にトドメを刺して、神格が上がらないはずもない。
蒼依の立場を上げることは、蒼依を守ることに繋がる。
そのように考える一樹は、宇賀の確認に対して正直に答えた。
「諏訪様が倒せなかった魔王を倒したことで、神格は諏訪様に並んだかもしれません。もっとも、すぐに身に着けられるものではないのか、神力はA級中位ほどと感じ取れますが」
一樹の申告を受けた宇賀は、一樹と蒼依を交互に眺めた。
そして納得したように頷くと、次いで獅子鬼の上を飛び跳ねて遊ぶ八咫烏に、視線を送る。
「女神の神格が上がったのなら、属する神使も上がったのかしら」
「……いえ、八咫烏達の力は上がりませんでした。安全な空から撃っていただけですし」
一樹は、取って付けた言い訳を返した。
本来であれば、全ての式神が1つずつ力を上げるくらいの神話を果たしたはずだった。
だが魔王の妖気は、その大半が一樹の穢れを浄化するために使われてしまった。そのためムカデ神を倒した時のような分配が無かったのだ。
意外そうな表情を浮かべた宇賀は、気を取り直して言葉を重ねる。
「もしも八咫烏達の力が上がったら、大鬼を捕まえて投げ落とすようになったかもしれないから、貴方の平穏な生活を保てる点では、良かったかもしれないわね」
「……ははは」
「「クワッ?」」
一樹が乾いた笑いを返す中、八咫烏達は「意味が分かりません」とばかりに、首を傾げた。
























