172話 荒ラ獅子魔王
陰陽師達が、羅刹や夜叉と争う頃、獅子鬼と建御名方神も争っていた。
それはサバンナで見られる、ライオンとブチハイエナの如き戦いだった。
個体差はあるが、平均的なブチハイエナは5匹ほどで、雄ライオン1頭と互角という考えがある。そして獅子鬼と建御名方神も、呪力差は5倍ほどだった。
もちろんブチハイエナは、1匹でライオンに挑んだりはしない。
獅子鬼の足元には牛太郎、信君、水仙、鎌鼬が取り付いて、攻撃していた。
だがそれはライオンにとって、子供のブチハイエナが参戦した程度の差であった。
「貴様等は、邪魔だ」
獅子鬼は、左足を蹴り上げて、牛太郎を蹴り飛ばした。
右足に取り付いていた牛太郎は、狙い澄ました蹴りを顔に受けて、堪らず吹き飛んだ。
「ブオオオッ」
蹴り飛ばされた牛太郎が、鬼市の路上を豪快に転がっていく。
牛太郎が生身であれば、首の骨が折れたかもしれない。霊体であろうとも、獅子鬼が呪力を纏わせて放った蹴りは、牛太郎に大打撃を与えた。
もしも敵が牛太郎だけであったなら、獅子鬼は牛太郎を捕まえて、呪力が尽きるまで蹴り続けた。だが建御名方神と取っ組み合う獅子鬼は、追撃が出来ない。
一樹からの呪力供給を受けて回復した牛太郎は、起き上がって再度獅子鬼に向かってきた。
「ええいっ、鬱陶しい」
吠えた獅子鬼は、右足を振り上げて左足付近に叩き降ろし、今度は信君達を踏み潰そうとした。
左足に取り付いているのは、信君、水仙、鎌鼬のうち2柱だ。
鎌鼬の妹神のほうは、建御名方神に取り付いて薬を使い、獅子鬼が斧や爪で切り裂いた身体を治癒している。
その苛立ちも含めて、獅子鬼は信君や水仙に右足の裏を叩き付ける。
水仙は飛び退いて躱し、同時に妖糸を使って信君も引き寄せながら、訴えた。
「ねえ。見定めるとか言っていたけれど、いい加減に、本気を出したらどうかな」
それは信君が一樹の式神と化した際、完全には使役されずに見定めると告げた件についてだ。
一樹と深く繋がった式神達は、神であれば閻魔大王の神気を得て、妖であれば穢れを得て、それぞれ力を増す。
前者は神霊の牛太郎、女神の蒼依、神鳥の八咫烏、神の鎌鼬で、後者は妖怪の水仙や幽霊船だ。だが槐の邪神である信君は、前者と後者のいずれであろうと、力を受け入れていない。
信君の力が増せば、少しマシになると水仙は考えたのだ。
「人の身で、これほどの穢れを纏うなど、前世の業が深すぎると思うた」
獅子鬼の足元に取り付いた信君は、水仙と連携して斬り付け、毒を流し込みながら語る。
「だが、それにしては尋常ならざる神気も纏い、あまりに不可解であった。故に見定めてきた」
「そうだね。それで結論は?」
戦闘中で余裕が無い水仙は、せっつくように尋ねた。
辛うじて話せるのは、戦場に舞い戻った牛太郎が右足に取り付いて、攻撃の圧が下がったためだ。
信君は獅子鬼の左足を斬り付けながら、渋々と答えた。
「……前世の業など、神仏でもなければ窺い知れぬ。だが今世では、魔王と戦っておる。ならば、我が民の子孫のために、力を貸してやらぬでもない」
自分自身を納得させるように言葉を選びながら、信君は結論を告げた。
そして刀に、神力を籠める。
『鳴神兼定』
それは信君が、生前に所持していた刀の名前だ。
最上大業物という、日本刀の中でも特に切れ味が秀でた作例を鍛造した刀工の2代兼定が打ち、目貫に風神雷神の文様があったことから、その力を宿して『鳴神兼定』と命名された。
その刀は、元々は武田信玄が所持していたが、信君に伝わっている。
風神雷神の力を宿す刀を構えた信君は、気を深く繋げた一樹から、引っ張った神気を纏わせる。
そして神気を帯びた刀を、神気と共に振り抜いた。
『鳴神』
神気を帯びた神刀は、帯びた気を力に変換して、雷の如く駆けた。
そして刀身が、獅子鬼の左足を風神の力で斬り裂き、雷神の力を放つ。
深く斬り裂かれた獅子鬼の肉が、雷に激しく焼かれた。
「グアアアアオオオッ」
A級中位に倍加した信君の攻撃を受けた獅子鬼が、倍加した疼痛に吠えた。
疾風迅雷の攻撃を見た水仙は、やれやれと表情を緩める。
侍の矜恃で容易に頷かぬ性格の信君とは真逆で、水仙は効率主義者である。自身がA級に至るためには、一樹が生きて活躍するのが最善だ。
思うように動かせた信君の後を追った水仙は、信君が斬った傷口に毒を注ぎ込んでいった。
そんな両者の連携攻撃は、S級の獅子鬼であろうとも、無視できるほど弱いものではなかった。
歯を食いしばった獅子鬼は、己の足元と、組み合う建御名方神を交互に睨み付けた。
直ちに信君と水仙を踏み殺したいが、建御名方神と取っ組み合っていては、動きもままならない。
しかも鳴神兼定を顕現させて風神雷神の力を纏った信君は、目に見えて速くなった。また水仙は、周囲に撒き散らした糸で、自在に跳び回る。
そのため獅子鬼は、先に建御名方神を排除すべきと判断した。
左手で建御名方神の右手を掴み、鋭い牙を生やす大口を開け、建御名方神の首筋を狙う。
「ガアアアアッ」
獅子鬼は雄叫びを上げ、恫喝しながら建御名方神に迫った。
迫る顔面を左手で抑えた建御名方神は、獅子鬼を押し返しながら、気圧されないように罵倒する。
「最底辺の魔王である汝など、恐るるに足らぬわ!」
「何だと貴様っ」
本来の獅子鬼は、最底辺の魔王ではない。
獅子鬼の呪力の大半は、蜃が生み出す鬼市を維持するために注がれている。
現在の獅子鬼をライオンに例えるならば、過去の戦いで右足を負傷しており、狩りに入るまでに体力の半分も消耗している状態だ。
呪力が半分以下で、しかも片腕という状態でなければ、もっと戦える。
怒りを見せた獅子鬼は、不当な評価を下した建御名方神を視て、眉を上げた。
「有象無象の下級神かと思えば、貴様も人を喰う側か」
「はあっ、何を言うか」
「貴様の身体は、人間を使っているだろう。喰っているのと、変わらぬではないか」
獅子鬼の指摘は、的外れとは言い難い。
A級1位の諏訪は、建御名方神の御魂を宿す現人神だ。
普段は魂のみが神で、肉体は人間である。
そして現在の建御名方神は、子孫の身体を使い、肉体も顕現させている。
建御名方神を捻伏せようと力を籠めながら、獅子鬼は断罪する。
「その人間は、貴様が力を振うための人身御供であろうが」
「ぬうううっ」
獅子鬼を押し返そうと力を籠めながら、建御名方神は呻った。
建御名方神が行っている顕現は、自動車にジェットエンジンを搭載するようなことだ。
燃料となる呪力の消費は膨大で、排熱すれば車体の一部も融ける。
諏訪の呪力は凄まじい勢いで減っており、身体への負荷も莫大だ。
獅子鬼と組み合って力を入れる度に、諏訪の命の火が削られていく。獅子鬼は、建御名方神の器となった人間が、戦闘後に死ぬと見なした。
「貴様も人を喰う身でありながら、なぜ邪魔立てするっ。神仏にでも噛み付け」
獅子鬼の罵倒に、建御名方神は顔をしかめた。
かつて建御雷神と戦って敗北し、諏訪の地から出ない約束をした建御名方神は、諏訪に御魂を宿らせる形でしか、諏訪の外に出られなくなった。
建御名方神の身体は、諏訪の地から出ていない。
建御名方神の御魂も、諏訪の身体から出ていない。
子孫に御魂を宿らせるのは、誓約に縛られる建御名方神が、誓約の穴を使っているからだ。
それでも建御名方神は、言い張った。
「子孫達に、力を与えているだけのことだ!」
建御名方神が子孫達と言ったのは、現在力を振っている身体の持ち主が死ぬことを認めた上で、それでも諏訪一族が恩恵を享受できると見なしているからだった。
建御名方神の御魂が宿る諏訪一族は、A級1位が定席で、地位も名誉も財産も得られる。
それは紛れもなく、多くの人が望む恩恵だ。
但し、肉体が有する力を超える戦いに挑めば、御魂を宿す者は身罷る危険がある。
しかも今回のような場合、地位と名誉と財産の引き替えの義務として、危険を避けられない。
「その子孫とやらは、貴様のせいで、もう死ぬであろう」
「何を言うか。汝のせいではないか」
「違うな。鬼が人を喰うのは、自然の摂理だ。かつて神仏が介入したのは、当時の我らが、人を絶滅させる恐れがあったからに過ぎぬ。次からは貴様も、ほかの神仏のように、手出しせぬことだ」
獅子鬼は牛太郎達を蹴りながら、力の弱まる建御名方神に対して、次は来るなと言い聞かせた。
「ふざけるな。貴様等は、自然の摂理の最低限ではない」
「人もそうであろう。釣り合っておる。余は、もはや神仏が介入せぬと確信した」
獅子鬼の言い分のうち、神仏が介入しない点について、建御名方神は否定が出来なかった。
理由は不明だが、事実として神仏は介入していない。
建御名方神が反論できたのは、別のことについてだった。
「子孫を庇うことも、自然の摂理であろう」
「ならば貴様は、何度でも死ねっ」
力が落ちた建御名方神の左手を押しながら、獅子鬼の牙が建御名方神の首筋を捉えた。
鋭い牙が突き立てられて、強靱な顎が鎖骨を噛み砕き、押し潰す。
食らい付いた獅子鬼は、まるで獲物に食らい付いたライオンのように、顔を振り回した。
「ぬあ゛あ゛あ゛あっ」
獅子鬼に食らい付かれた肩口の傷から、建御名方神の生気が急速に抜け落ちていった。
























