171話 飛天夜叉
羅刹が地上で争っていた頃、夜叉も地上に向かっていた。
『蜃を投げ、羅刹と夜叉で軌道を修正し、煙を吐かせて後続を鬼市に隔離する』
荒ラ獅子魔王達の目的は、後続を分断して撃破することであった。
その目論見は、半ば成功した。
一樹達の後続は、主力の大部分と切り離されており、鬼市における戦力差は魔王陣営が有利となっている。
魔王陣営が失敗した部分は、陰陽師の最高戦力である建御名方神に割り込まれたことだ。
それが無ければ、自由を得た荒ラ獅子魔王が一樹達に襲い掛かり、犬神や赤牛を蹴散らして、陰陽師を殺し回っただろう。
一樹の呪力は多いが、A級下位の式神ではS級中位の魔王を防げない。
建御名方神に割って入られたことは、荒ラ獅子魔王にとって痛恨の極みだった。そして天竜魔王の陣営に属する夜叉にとっては、今後の大いなる糧となった。
「建御名方神は速く、後続も層が厚い」
後続への襲撃には、荒ラ獅子魔王のほかにも、羅刹と夜叉が加わっている。
それでも早期の殲滅とは行かなかった。
羅刹は、犬神と赤牛に手を取られている。
夜叉も、八咫烏達に取り付かれており、地上からはキヨと蒼依も迫っていた。
キヨの力は、夜叉と同等のA級中位だ。
A級下位の蒼依と、B級中位の八咫烏5羽を足した力も、夜叉に匹敵する。
すなわち夜叉は、戦力差が2倍の相手と戦わざるを得なくなっていた。
「敵方が優勢とは、何時ぞやを思い出す」
夜叉が思い起こしたのは、2000年前に阿弥陀如来の軍勢と争った戦いだ。
数では貪多利魔王が圧倒したが、質では阿弥陀如来が圧倒した。彼我の戦力差は2倍どころではなく、数万の悪魔邪神は蹴散らされていった。
その蹂躙に比べれば、現状には勝機がある。
夜叉が見出した弱点は、蒼依だった。
蒼依を狙えば、キヨは庇わざるを得ない。
誰かを庇いながらの戦いは、それだけで不利になる。
また蒼依を狙えば、神使の八咫烏達も引き寄せられる。
夜叉は見出した弱点を突くべく、蒼依のほうへと、一直線に向かった。
そして道半ばで、巨大な白蛇がS字に身をくねらせて、跳ね飛んできた。
「ウ゛ワアアアッ」
跳んできたキヨの大きさは、全長20メートルだった。
全長8メートルの夜叉を日本人の成人男性に換算すれば、キヨは4.3メートル、体重30キログラムのヘビに相当する。
4メートルのヘビの力は、人間にとっても侮れない。
ビルマニシキヘビを捕獲するコンテストに参加していたアメリカの州兵少佐が、4メートルのビルマニシキヘビに締め上げられて、走馬燈が過ぎった話もある。
さらに鬼の夜叉と、白蛇の半妖のキヨとは、互いに人間とヘビどころではない力も有する。
大口を開けたキヨの口から、真っ赤に燃え盛る炎が噴き出された。
「ぬおおおっ!?」
交差した両手で顔面を庇った夜叉の身体に、キヨの炎が噴き掛けられた。
キヨが火を噴くことは、釣り鐘に隠れた安珍を焼き殺した話で広く知られる。
キヨが噴いた炎は、毒を噴くヘビや、火を噴く龍の系譜に連なる力だろう。白蛇の炎は、夜叉を激しく炙り、炎を身に受けた夜叉は堪らず地に落ちていった。
「スウゥ、ガアアアアアッ」
夜叉を地に落としたキヨの猛攻は、さらに続いた。
夜叉と一緒に地に落ちたキヨは、再び身をくねらせると、落ちた夜叉に跳び掛かっていった。
顎を開いたキヨの大口が、夜叉へと迫る。
夜叉は跳び退りながら、両手の爪を振って、キヨの頭を叩き返した。
「ヌエエエイッ!」
鬼の膂力と鋭い爪で振われた一撃が、キヨの横面を弾いた。
鋭い爪が白蛇の鱗を裂き、身体を傷付ける。
弾かれたキヨは攻撃を受け流すと、胴で地を滑るように這い、頭部を振って再び夜叉に襲い掛かった。
飛び退いた夜叉の身体があった場所を、白蛇の牙が切り裂いていく。
両手の爪を振って牽制する夜叉の背中に、上空から五行の術が矢となって、降り注いだ。
「「「クワーッ」」」
神気を纏った神鳥の攻撃が、夜叉を打ち据えていく。
大鬼に匹敵する八咫烏達の力は、夜叉に手傷を負わせるには充分だった。
5色の矢が夜叉に突き立てられていき、夜叉は牙を剥き出しにしながら、苛立ちを露わにした。
「下等の分際がっ」
阿弥陀如来と貪多利魔王の戦いでは、千斤の神弓から無数の矢が放たれた。
それに比べて格落ちも甚だしいと夜叉は貶み、キヨに対峙しながら、蒼依の位置を探った。
天沼矛を手にした蒼依は、争う夜叉とキヨから距離を置き、参戦のタイミングを見計らっている。
相手が女神であると知る夜叉は、侮ることなく、蒼依の力を推し量った。
魔王の陣営は、情報を疎かにはしていない。
蒼依がイザナミから独立した新女神であることは、夜叉も報道で知っていた。名前や容姿は報道されていないが、八咫烏達を神使としている以上、件の女神に相違ない。
蒼依が独立した女神イザナミは、天地開闢の時に現れた五柱に次ぐ、神世七代の十二柱が一柱だ。
神世七代は、釈迦を含む過去七仏に等しいとされる。すなわちイザナミから分かれた蒼依は、如来に至れる神格を持つ。
現時点で力不足なのは、神話と信仰が足りないからだ。
2千万人を超える首都圏の民からの祈りも、正体を明かしていないので、まともに届いていない。
正体を明かしたところで、わずか半月では、積み重ねが圧倒的に足りない。8千人から100年の信仰を受けた程度では、A級下位の神格が中位に上がったりはしない。
才能はあるが、修行が足りていなかった。
「貴様のような小娘が、出てくる場では無いわっ!」
キヨを牽制しながら蒼依に向かって駆けた夜叉は、右手の鋭い爪を横薙ぎに振った。
天沼矛を構えた蒼依は、振われた爪を迎え撃つ。
「はあっ!」
夜叉の強靱な爪と、神話の神器とが打ち合い、A級同士が放つ強烈な呪力の火花が散る。
右手を打ち返された夜叉は、すかさず左手の爪を振った。
対する蒼依も矛を振り、左手の爪も素早く打ち返す。再び神気と妖気がぶつかり合い、相反する呪力の火花を散らした。
さらに夜叉が前に出ると、蒼依は後ろに飛び退きながら、天沼矛で夜叉を牽制する。
蒼依の身体能力は、元々人間ではなく、山姥ほどにあった。然もなくば、補助があったところで、五鬼王を倒せない。
それが女神となって力を増したことにより、身体能力も神格相応に上がっていた。
「ちっ、小娘でも女神か」
あわよくば蹴散らそうと目論んだ夜叉は、呪力相応の力を有する蒼依に向かって舌打ちした。
1対1であれば攻め立てるが、相対しているのは蒼依だけではない。
蒼依に攻撃したところで、キヨが背後から跳びかかってきた。
夜叉は、キヨの攻撃を跳んで避けた。
同時に蒼依にも警戒し、5羽の八咫烏も視界に収める。
だが夜叉には、見落としがあった。
空から隠形で落ちてきたそれは、2本の羽団扇を振うと、籠められた呪力を解き放った。
『天狗火』
沙羅の羽団扇には、薬師如来と虚空蔵菩薩が力を貸している。
2本に籠められる呪力はA級下位で、夜叉の全力の半分にも匹敵する。
それが空から降ってきて、夜叉の背後から襲い掛かった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ」
不意を打たれた夜叉は、天狗が放った火を避けられなかった。
振り向いた夜叉は直撃を受けて吹き飛び、その身体をキヨに噛まれた。
それから瞬く間に、キヨの身体が夜叉に巻き付き、蛇体で強く絞め始めた。
「ぐぬぬっ……グアアアアッ」
キヨを引き剥がそうとする夜叉の身体に、蒼依の天沼矛が突き立てられた。
夜叉の身体を突いた矛は、引き抜かれて二度、三度と突き立てられていく。
その傷口に、沙羅の羽団扇から、斑猫喰の毒が容赦なく注ぎ込まれた。
蒼依と沙羅に微塵も容赦が無いのは、夜叉が一瞬たりとも攻撃の手を緩められる相手ではなく、さらに一樹達が現在進行形で荒ラ獅子魔王と戦っているからだ。
早々に夜叉を倒して、一樹達に加勢しなければ、全員が殲滅されかねない。
締め上げられて身動きを取れない夜叉の身体に、なおも蒼依と沙羅が攻撃を加えていく。
「おの……れ……」
キヨを引き剥がそうと足掻き、凄まじい形相で睨め付ける夜叉の力が、次第に抜けていった。
























