169話 鬼市
大きな龍が、煙を吐きながら空から落ちてきた。
龍に翼は無かったが、飛行できる鬼が両脇を抱えて、落ちる方向を操っていた。
「迎撃しろっ!」
一樹が叫ぶと、上空の八咫烏達から蜃達に向かって、五行の術が撃ち込まれた。
放たれた木行の青色、火行の赤色、金行の白色、水行の黒色、土行の黄色が、それぞれ木矢や火矢に変じた。
それらは迫り来る蜃や羅刹達の身体に、次々と突き立てられていく。
八咫烏達が放つ呪力の供給元は、一樹と蒼依の神気や、持ち込んだ勾玉だ。蜃や羅刹であれば、殺しきれるほどの呪力が供給されている。
術を放っている八咫烏達の力も、大鬼に並ぶB級中位だ。羅刹の10分の1の力だが、5羽で放って効かないはずがない。
攻撃を受けた蜃は、煙を吐きながら呻いた。
「グォオオオオオッ」
重低音が空に響くが、獅子鬼の式神である蜃は傷を回復させながら、尚迫る。
その様子を見た一樹は顔を歪め、舌打ちを内心に留めた。
――ちっ、標的の指示に失敗した。
落ちてくる蜃を軌道修正している羅刹、あるいは夜叉らしき青鬼のみに狙いを絞れば良かった。そうすれば、多少は落下地点を狂わせることが出来たかもしれない。
もちろん5羽で狙い撃ちしても、接近を完全に防げるほどでは無かっただろうが。
地上からは、疾走する獅子鬼も迫っている。
戻れない過去を割り切った一樹は、次の指示を出した。
「小太郎と堀河で、羅刹を倒せ。晴也、蒼依、沙羅で青鬼を倒せ。残りは魔王を防げ」
後続の陰陽師は、序列の最上位が一樹だ。
従ったほかの陰陽師達が、各々の式神や護法神、憑き物を操り、武器を構えていく。
まだ多少の時間的な猶予があったため、一樹は認識の共有を図った。
「魔王の狙いは、後続の撃破だ。復活できる俺の式神で魔王を防いで、主力が到着するまでの時間稼ぎを行う」
元々、蜃が吐く煙の世界を打ち破るつもりで侵攻している。
それが出来る人材が揃っているので、主力が戻ってくれば煙を打ち破れる。
魔王が蜃に呪力を供給して時間稼ぎをするならば、戦闘にはあまり呪力を回せないことになる。魔王がろくに呪力を使えないならば、牛太郎達も単純に蹴散らされたりはしない。
後は、蜃が世界を隔離させるまでに、どれだけの増援が間に合うかだ。
――全然、間に合っていない。
獅子鬼は二足歩行だが、全長15メートルで、歩幅が大きい。
御殿場市の中心に向かっていた霊狐達は、包囲網を突破した獅子鬼を追いかけるまでに、僅かな逡巡があった。そのために、獅子鬼には追い付けていない。
また五鬼童と春日も、安全を確保するために遥か上空に居た。
その隙に投げ飛ばされた蜃が到達して、吐き出した煙で一樹達の周囲を覆っていった。
蜃の身体が、煙に紛れて消えていく。
そして吐き出された煙が、一樹達の世界を外と分け隔てる。
「鬼市か」
鬼市は、かつて『西遊記』から200年後の世界を描いた『後西遊記』で、三蔵法師に相当する大顛法師が旅の途中に立ち寄った賑やかな市街にして、蜃の腹の中だったという亡者の町だ。
中国で鬼とは、霊のことだ。
捕らわれた者が亡者になるから鬼市と呼ばれるのか、鬼市の住民はすべて死者である。
一樹達が鬼市に隔離されるまでに間に合ったのは、僅か1人だった。
「諏訪様か」
世界が煙で閉ざされる直前、羅刹達のように飛行してきた諏訪が、空から割って入った。
諏訪の姿は、袍、長紐、白袴といった日本神話の服装に変じている。
かつて建御雷神と争ったという建御名方神に変じた諏訪は、獅子鬼に匹敵する巨体となっていた。そして一樹達に向かって突っ込んできた獅子鬼に対して、空から飛び掛かった。
「ぬぉおおれえええっ!」
「ガアアアアッ」
上空からの体当たりが、全力疾走していた獅子鬼の身体を弾き飛ばす。
待ち構えていれば耐えられたであろう獅子鬼は、体勢を崩してアスファルト上を転がっていった。数軒の民家を薙ぎ倒して、豪快に土煙を舞い上げていく。
「作戦続行、羅刹と青鬼を倒して、可能なら諏訪様に加勢しろ」
一樹が回復できる式神のみを獅子鬼に割り振ったのは、ほかの者が獅子鬼から打撃を受けると、一撃で戦闘不能に陥りかねないからだ。
犬神、キヨ、赤牛の何れも、使役者や取り憑いた者からの呪力供給には、期待できない。
獅子鬼を諏訪に任せ、一樹の呪力で回復できる霊体の牛太郎や信君に支援させて、ほかの者達は羅刹や夜叉に充てるのが最適だと判断した。
「皎、行けっ!」
一樹の判断に応じて小太郎が指示を出し、犬神を羅刹に向かわせた。
「護法一龍八王大善神」
犬神の後ろからは、赤牛も爆走を始める。
犬神と赤牛とでは、犬神のほうが足は速かった。
先行した犬神は、上空に浮かぶ羅刹に向かって飛び上がり、霊体の身体を活かして飛んだまま食らい付いていった。
――無茶苦茶だ。
飛べる羅刹を反則だと思っていた一樹は、同様に飛んでいった犬神に唖然とした。
中国の仙人は、神通力で飛べると伝わる。そのため羅刹が飛べるのも、同種の術だと考えれば、理解できないことではない。
また霊体の幽霊も、肉体が無いので、地球の重力に引かれずに浮かべる。
飛行する羅刹に、同じく飛んだ犬神が食らい付いて、地上に引き摺り下ろしていった。
「ウオオオオオオッ」
羅刹の雄叫びが、煙に閉ざされた空に響く。
他方、残った青鬼も八咫烏達の集中砲火を浴びており、地上からはキヨも追いかけていた。
キヨの後ろからは蒼依も追っており、沙羅も付いている。小太郎、堀河、晴也も指揮すべく、戦場が見える位置へと移動していった。
羅刹と青鬼は抑えられると判断した一樹は、残る式神を獅子鬼のほうに向かわせた。
「牛太郎、信君、水仙、神転、神斬、神治。諏訪様を援護しろ」
一樹の式神である牛鬼、槐の邪神、絡新婦、鎌鼬3柱が、続々と獅子鬼のほうに駆けていく。
その先では、獅子鬼と建御名方神が、取っ組み合っていた。
「ええいっ、有象無象の下級神如きが、邪魔をするな!」
「我が戦歴は、貴様より古いわぁっ!」
獅子鬼が、左手から斧を生み出して振う。
その柄を掴んだ建御名方神が武器を掴んで押し合い、空いている足で蹴り合い、頭突き合った。
獅子鬼は、ろくに右腕を使えないのか、建御名方神を抑えるだけになっている。
対する建御名方神は、力不足だ。
かつて大神クラスであっただろう建御名方神は、建御雷神に敗北して神格が下がり、仏の世界の天部クラスに力を落とした。
その時点では、獅子鬼を倒した天部の毘沙門天と同格以上だ。
だが建御名方神は、土地から肉体を出さない誓約を行っており、御魂を子孫に宿している。現在の建御名方神は、神の血を引く子孫が人間の身体を貸しているのだ。
S級中位の獅子鬼と、A級上位の諏訪との間には、評価相応の力量差がある。
だがこれは、1対1の戦いではない。
『右腕を狙え』
「ブオオオオッ!」
駆け付けた牛太郎が、獅子鬼の右腕に向かって、棍棒を振り抜いた。
取っ組み合っていた獅子鬼に避ける術は無く、全力で振るわれた棍棒が右腕を打ち据える。
「ガアアアアッ!」
身体に激痛が走った獅子鬼が、雄叫びを上げた。
『足を狙え』
足元に取り付いた信君と水仙が、連携して足を斬り付け、麻痺毒を注ぎ、獅子鬼の気を逸らす。
そこに鎌鼬の兄神と弟神が加わって、足を殴り、斬り付けた。妹神は建御名方神に付いて、薬で負傷を癒す。
それらを見届けた一樹は、獅子鬼に狙われない位置を探して、鬼市の中を駆け始めた。
 
























