164話 白黒の夢
地上497メートルにある天空の社から飛び立ち、さらなる高みへと舞い上がる。
それは5羽の八咫烏が、2週間ほど続けている日課だ。
飛び立つ時間に定めはないが、どちらかといえば夜が多い。
何故なら夜こそが、標的となる霊が活発に動く時間だからだ。
「クワーッ」
玄武は軽く鳴き、直下の摩天楼を見下ろした。
天空の星々の如き煌めきが、林立するビルから放たれている。
満遍なく溢れる光の洪水が、街の全貌を露わにしている。
玄武は瞬きをして、視界を切り替えた。
すると都市を覆い尽くしていた光の洪水が消え去って、代わりに数百万という砂粒のような光が現れた。
それら数百万の光は、人間などが発する気である。
その大部分が、砂粒ほどの大きさの光だ。
そして数千から数万のうち一つくらいに、大きな光や、違った色の光が混ざる。
異なる輝きは、呪力の高い陰陽師や、質の異なる妖怪、霊などである。
それらのうち、調伏すべきと見定めた相手の上空に向かって、玄武は翼をはためかせた。
「クワッ」
調伏すべきか否か。
それを判別する方法として、玄武は気の性質を見ている。
1つの個体が、二つ以上の気を持っていれば、それは他者の気を吸っている。
吸われた気が、恐怖や絶望などに染まっていれば、強要されたと判断できる。
特に目立って感知できた量を吸っているならば、吸われた側は無事ではない。
であれば気を吸った存在は、調伏対象である。
対象を感知した玄武は、対象の上空から、水の術を放った。
『蒼依ノ霧雨』
玄武が生み出した神気の霧雨が、空から地上に降り注いでいく。
すると霧雨を浴びた怨霊や妖怪は、気や力を打ち消されて、倒されていく。
玄武は東京の空を飛び回り、上空から各地に神気の霧雨を降り注いでいった。白黒の世界では、砂粒に混じっていた各地の穢れが押し流されて、綺麗になっていく。
それを繰り返していると、呪力の繋がる兄弟から、以心伝心で問い合わせが届いた。
『カァッ?』
それは木行を司る青龍からだった。
小鬼を狩って食べないのかと、青龍は玄武の食生活を案じた。
玄武が上手く狩れないのであれば、狩った獲物があるので分けるとも、伝えてくる。
玄武が狩りを苦手としているのは事実だ。
5羽の八咫烏達は、一緒に育った兄弟であるが、性格は異なる。
青龍、朱雀、白虎の3羽が積極的な狩りを好み、玄武と黄竜はのんびりとしている。
5羽の差は、神気を送って育てた一樹のイメージで生じた。
青龍が蛇、朱雀が烏、白虎が猫、玄武が亀、黄竜が竜。
神気を送って育てた一樹がイメージしたのだから、気を送られた子にして式神である八咫烏達が、影響を受けないはずがない。
一樹のイメージでは、亀はのんびりしており、イメージ通りに玄武は育った。
幸いにして一樹は、亀が獲物を狩る動画も見ている。
そのため玄武も、獲物を狩れないことはないが、蛇、烏、猫に比べると狩りが得意ではないし、好みでもない。
なお黄竜も、一樹に『中央を守る存在』というイメージがあったために、影響を受けた。
相川家では家の周辺地域、天空の社では23区内を守り、あまり遠出を好まない。
5羽は、攻撃に秀でた3羽と、守りに秀でた2羽となっている。
『クワァ』
玄武は青龍に対して、獲物を分けることは不要である旨、意思を返した。
神気は蒼依の社から送られてくるし、餌も蒼依の社に運ばれてくる。
用意される餌は、相川家で食べていた物を一樹と蒼依が手配して、最初は自ら5羽に食べさせた。だから玄武は食べているし、栄養も不足しない。
了解した青龍は、玄武との以心伝心を終了した。
玄武が不満なのは、この場に一樹も蒼依も居ないことだ。
花咲市で育った玄武は、花咲市に持っているような愛着が、東京には無い。
一樹や蒼依が居るならば構わないが、二人が居なくて育った地でも無い場所を守っていることに、気乗りがしていない。
蒼依の社があり、兄弟も居て、週に一度は一樹が来るので活動しているが、やる気には乏しい。
玄武が義務的に飛び回り、霊障を祓って回っていると、彼方の白黒に違和感を抱いた。
「クワッ?」
それは白黒の世界に生じる、眩い白光と、真っ黒な沼だった。
眩い白光は、まるで誘蛾灯のように、玄武を引き付けようとしている。
真っ黒な沼は、踏み込むと二度と抜け出せなくなるような底なし沼に感じ取れた。
『クワーーッ』
これ幸いと、玄武は一樹にイメージを送った。
狩りが好きな三兄弟であれば見に行くだろうが、玄武はやる気が無い。
教えれば飛んで行きかねない三兄弟には、知らせることすらせず、真っ先に一樹に報告した。
玄武が一樹と感覚を共有して、しばらく待つ。
やがて式神使いの一樹から、式神の5羽に、厳命が出た。
『皆、撤退しろ。俺が合流する。その前に相手が来れば、花咲市まで戻れ』
希望通りの指示に、玄武は満足した。
そして翼を翻すと、天空の社に舞い戻っていった。
◇◇◇◇◇◇
『東京に、大元の死神が出たようです。数は2体で、各個体の呪力はA級中位と推定します。八咫烏達には、一時撤退を命じました』
一樹が第一報を入れたのは、土曜日の午前1時半を少し回ったところだった。
夢で玄武の視界を共有して、睡魔と戦いながら目を覚ました。
そこから報告のメールを作成して、宇賀に送信した次第である。
電話を掛けなかったのは、流石に時間帯が非常識だったからだ。
本来の人魚が昼行性なのか、それとも夜行性なのかは知らないが、数百年も人間社会で活動していれば、流石に昼行性に合わせているだろう。
翌朝にはメールが返っているだろうかと思い、再び眠りに就こうとしたところで、一樹のスマホに宇賀からの電話が入った。
『ごきげんよう。今、話せるかしら』
「……はい。大丈夫です」
メールを送ったばかりの一樹が起きていることは、宇賀には知られている。
一樹はメールを送信したことを後悔しながら、渋々と電話に出た。
『それじゃあ、視たことを報告して頂戴』
「かしこまりました。式神の八咫烏と意識を共有致しまして……」
天空櫓から飛び立った玄武が調伏を行いながら移動していたところ、A級と思わしき白黒二体の呪力が感知された。
八咫烏に対して敵対的で、死のイメージが強かった。そのため一樹は、首都圏に走無常を作り出している死神の無常鬼であろうと、推定した次第である。
「以上です。無常鬼は、元から二人組で活動していたと聞きます。ですから2体と考えます」
中国では六朝時代(222年~589年)、人が死ぬと、あの世から黄衣を着た二人の使者が派遣されて、魂をあの世に連行する『勾魂』が行われると伝えられていた。
その後、人間が増えてきて、南宋時代(1127年~1279年)頃からは、黄衣を着た二人の使者に代わって、無常鬼と呼ばれる下役が派遣されるようになった。
それでも仕事が追い付かなくなって、明時代(1368年~1644年)には、走無常という人間の使いっ走りを使うようになっている。
だが無常鬼の頃までは、黄衣の使者と同様に、二人組で活動をしていた。
無常鬼は、一人が『白無常』、もう一人が『黒無常』と呼ばれる。
白無常は、背が高く、首吊りの姿で、白い顔で舌を出している。
黒無常は、背が低く、水死体の姿で、顔が青黒い。
そんな二人組を纏めて、『白黒無常』と呼ぶこともある。
「黒無常が容赦なくて、白無常が穏和と聞きますが」
『そうらしいわね』
白黒無常は、生前には福建省福州の役人で、親友同士だったという。
ある日、二人が仕事で南台橋まで来たところ、突然大雨が降ってきた。
そこで白爺のほうが長身で足も長かったことから、白爺が「自分が戻って傘を取ってくる」と言った。だが家に着いた白爺は、腰が痛くなってしまい、すぐには戻れなかった。
黒爺は白爺を待っていたが、待つ間に川の水はどんどん増してきた。
それでも「自分がここに居ないと白爺が心配する」と思った黒爺は、白爺を待ち続けて、橋桁にしがみつくも、ついには溺れ死んでしまった。
腰の調子が戻った白爺は、大急ぎで南台橋に向かったが、黒爺の死を知る。
白爺は嘆き、後追いを企図したが、水が引いた川で長身の白爺が溺れることは、出来なかった。そのため首吊りを行って、後を追った。
そんな二人は徳が称えられて、城隍神に迎え入れられて、死神になったという。
黒爺は、親友さえ約束を守らなかったことから、短気になった。
白爺は、自分のせいで友人を死なせてしまったことから、穏和になった。
「二体では、魂の回収など追い付かないと思うのですが、犬神のように分霊するのでしょうか」
『あるいはイザナミが、山姥を量産したような形なのかも。各地の信仰や地脈で力を得て、それぞれがA級の力を持っているかもしれないわ』
「なるほど。強さで考えると、分霊よりも独立個体のほうが、有り得そうですね」
無常鬼が発生した時期は、魔王が阿弥陀如来に退治された後になる。
だが、退治された後に配下を増やした例には、すでに煙鬼も確認されている。
中国各地に沢山居るのであれば、魔王に従う個体も出るだろう。
無常鬼は、仏教の三障四魔における四魔のうち、死魔だ。魔王の配下に、上魔が居るとしても、何らおかしな話では無い。
『走無常を潰して現れたなら、無常鬼だと思うわ。下役であれば、魔王にも従うでしょうし』
「黄衣の死神ではないだけ、マシですかね」
古代中国において黄色は、皇帝の衣とされた至尊至貴だ。
黄色の衣を着た上役の死神が、A級に納まるはずがない。
『それが出たら、東京は諦めましょう』
宇賀はバッサリと、日本政府を切り捨てた。
























