163話 名無しの女神様
最新のニュース映像は、テレビだけではなく、インターネットでも視聴できる。
花咲市に帰り、放課後に同好会室でパソコンを立ち上げた一樹の視覚と聴覚に、東京のニュースが入ってきた。
『続いてのニュースです。東京天空櫓に建立された神社を中心に活動している八咫烏が、調布市、横浜市、千葉市、さいたま市で目撃されるようになりました』
流れている映像は、首都圏で八咫烏達が、様々な妖怪を調伏している光景だった。
続いて、天空櫓に向かってお祈りする都民の姿が映される。
突如として現れた『名無しの女神』に対する信仰は、随分と集まっているようだった。
『政府関係筋によると、東京天空櫓から八咫烏達の目撃地点までの霊障は、殆ど祓われるそうです。実際に被害が激減しており、一千万人以上の生活圏が安全になりました』
報道されている内容には、一樹が陰陽長官に伝えたことも含まれていた。
――長官が政府に報告したことを、関係者の誰かがリークしたのか。
なぜ情報をリークするのか。
それは主に、二つの理由が考えられる。
一つは、情報の漏洩者が金銭を得ること。
一つは、世間の反応を試すこと。
今回の場合、一樹は後者だと考えた。
政府が自ら情報を流して、責任を負わない非公式の形を取りつつ、世間の反応を試すことがある。そのような行為は、『アドバルーン発言』や『観測気球を上げる』などと称される。
東京の治安を向上させることは良いことだが、そのために正体不明の女神を使う事については、懸念があったのかもしれない。
女神が問題のある存在だった場合、政府の方針だと推進していれば、政府の責任になる。
陰陽師協会に由縁のある『名無しの女神』に力を付けさせることが、単純に良いことなのか、政府には判断が付かなかったのだろう。
だからといって、東京の治安を陰陽師協会に放り投げましたとも言えない。
そのため非公式で『問題発生時の責任は陰陽師協会』だとしつつ、走無常の対策は行われていると伝えて、国民を安心させたのだ。
もしも蒼依の由来とA級程度という力を知れば、政府も脅威だとは思わないだろう。それどころか取り込むために、便宜を図る方向に進むかもしれない。
当面は、蒼依については秘匿である。
――蒼依が名乗り出た時には、神格が上がるかな。
現在の『名無しの女神』に対する信仰は、蒼依とは繋がっていない。
人々に『八咫烏達を神使として首都圏を守ったのは、蒼依姫命という女神だ』と伝えることで、はじめて蒼依姫命の神格が上がる。
現代における情報の拡散速度は、過去とは別次元の高さだ。
大昔は、口頭での伝達が主だった。
現代は、テレビやネットなどで、数千万人が一斉に情報を共有できる。
東京のみならず、神奈川県、千葉県、埼玉県に八咫烏を使わして人を守った女神と知られれば、蒼依姫命の神格が一つか二つは、上がりそうな気がしなくもなかった。
「信仰、集まっていますね」
「そうだな」
一樹がニュースを眺めていたところ、柚葉が暢気に話し掛けてきた。
それに対して一樹が素っ気なく応じたのは、蒼依が女神であることが内緒だからだ。
柚葉自身は、蒼依が女神であることを知っている。それはムカデ神との決着後に龍神へ助力を求めたからで、同席していた沙羅も同様に知っている。
常任理事会では情報を共有しているので、小太郎も知っている一人だ。
現在の同好会員で知らないのは、香苗だけだ。
――香苗に話さないくらい徹底したほうが、情報漏洩の心配は無いかな。
宇賀のおかげで、A級陰陽師の報復は怖いと、世間には広く知られている。
同好会室に盗聴器を設置すれば、設置した人間の臭いや発する気で、小太郎の犬神が気付く。
A級で復活する犬神に追い回されたい組織は、おそらく無いだろう。
しかも世間からは、『花咲か爺さんの犬と、隣家のイジワル爺さん』という目で見られるので、使役者を外圧で抑えることも出来ない。
そのため一樹に強い懸念があるわけではないが、万が一という事もある。
世間に知られた場合、地元と1都3県の人々から相川家に対して、祈祷料、お供え物、お歳暮の山が届く。
御利益を得た1000人に1人が送ったところで、分母が一千万人なので、分子は万単位だ。どうやって仕分けをすれば良いのか、一樹には見当も付かない。
地元と1都3県の知事や国会議員も、地域を守る蒼依と関わって、票集めに使おうとするだろう。その時には、ちょっと高価な贈り物をしてくるかもしれない。
そして最後にやって来るのは、税務署だ。
念のために一樹は、香苗にも正体を明かさない現状を保った。
「八咫烏の活動範囲、広くないですか」
信仰に対する反応の素っ気なさを察してか、香苗は八咫烏の話題を取り上げた。
「横浜市、千葉市、さいたま市って、神奈川、千葉、埼玉の県庁所在地だよな」
「そうですよ。東京に近い端のほうでも、一千万人以上が住む範囲で、間違いないです」
3つの県庁所在地は、天空櫓から半径40キロメートルほどの距離にある。
飛行できる神使の八咫烏であれば、短時間で往復できる範囲内だ。
しかも人間が集まる首都圏は、元から妖怪が徹底的に祓われていた。
狭い範囲で、調伏対象が元から少なかった面もあり、短期間で危険な妖怪を排除できたのだ。
それでも複数の神使が空から見回りを行い、目に付いた大抵の霊障を祓っていく姿は、人々に安心感を与えていた。
「人間の領域で、調伏し易い場所だったのだろうが、あいつら凄いな」
「なんだか他人事みたいですね」
一樹の態度に、香苗は怪訝な表情を浮かべた。
「実際に俺の呪力消費は無いからな。あいつらが勝手にやっているようなものだ」
「あんなに活動しているのに、呪力を消費していないんですか?」
5つの霊魂の欠片を身に宿しており、呪力不足で満足に使えていない香苗は、呪力を消費しない一樹の手法に関心を寄せた。
「信仰で得た力を、神殿経由で使用しているんだ」
パソコンのモニターには、八咫烏が道行く人からクレープを差し出されている姿が映されている。
クレープの具材だけ啄み、顔を上に向けて、ゴクリと呑み込んだ。
すると周囲の人々が感嘆して、拍手を始めた。
カラスは雑食性で、人間よりも食べられるものの種類が多い。さらに一樹が神気で育てた八咫烏に限っては、地蔵菩薩の神気を持っているので、毒も効かない。
人間が食べるクレープであれば、具材が何であろうと問題なく食べられる。
「あいつらは、自給自足できている。色んな面で」
「そうみたいですね」
「特殊すぎて、状況は再現出来な……」
断言しかけた一樹は、龍神の娘という柚葉の出自を思い出して、口篭もった。
現在の龍神は、毛野国(群馬県と栃木県)に座す、土地の正当な神だ。
ムカデ神と土地を奪い合っていた頃であればともかく、現在であれば大地の力が届いている。
龍神が土地から得た力で神使を放てば、消費は無い。
それと同様に、柚葉が神域を作れるくらいに成長した暁には、一樹は呪力を消費せずに、柚葉と神使を使えるようになる。
但し、成長するまでには時間が掛かる。
「八咫烏達の状況は、再現は出来ないな」
柚葉がA級に至る前に、自分が陰陽師としての定年を迎えると見なした一樹は、別ルートからの再現を断念した。
それで話を終えた一樹は、小太郎に向かって話し掛けた。
「そういえば、来年の受験生が、合格したら同好会に入りたいと言っていた。今年の試験で4位だった陰陽大家の子だ」
「賀茂が管理できるのなら、好きに入会させてくれ。R棟の6階と7階は、いつでも空けられる」
小太郎からは、何かを諦めたような、投げ遣りな言葉が返ってきた。
同好会が目当ての新入生について、理事長を兼ねる小太郎には、一樹よりも正確な予想ができる。
一樹が察するに、沢山だと予想しているようだった。
「……そういえば新入生、香苗の音楽のファンでもあるらしいぞ」
「へっ、そうなんですか?」
「ああ。もしかすると、そちらが目当ての受験生も、多いのかもしれないな」
「へぇ、そうですか。別にあたしは、良いんですけどね」
香苗は照れ隠しで狼狽えているのか、どこの部分が良いのかよく分からない肯定を呟いた。
すると柚葉が、暢気に褒める。
「香苗の動画、一億再生を突破しましたからね。香苗目当ての受験生も、いるかもしれませんね」
「それに関しては、どこかの師匠のせいですね」
動揺していたはずの香苗は、責任者についてはしっかりと言及した。
























