161話 東京都の陰陽大家
陰陽師協会の東京都支部は、港区の赤坂にある。
東京都港区は、日本でもっとも地価が高い場所だ。その中でも北西部の赤坂は、オフィスビルや商業施設、放送局、高級マンションが建ち並ぶ摩天楼である。
国会議事堂や首相官邸、官公庁が集中する千代田区に隣接しており、米国などの大使館もあって、周辺は治安にも力が入れられている。
「ビルが林のように生えていて、見上げた首が痛くなりました」
それが、山暮らしをしている一樹が思い付いた、率直な感想だった。
政府とは距離を置く協会が、このような日本の中枢に支部を置いたのには、意外な理由がある。その理由とは、『東京都の陰陽大家である九条家の邸宅が、赤坂にある』というものだ。
統括陰陽師を輩出し続ける陰陽大家の都合は、それなりに優先されている。
「ここが発展していなければ、日本は危ういだろうね」
田舎者の所感について、九条家の当主がバッサリと切って捨てた。
九条家の当主は、元A級陰陽師で、現在は政府の陰陽長官である九条道康だ。
陰陽師協会の定年は、人間の場合は60歳だと決められている。
歳を取れば身体能力が衰えるのは当然で、若い頃のように身体が動かず、現場に出て戦闘で不覚を取ることもある。であれば引退して、呪符の作成や弟子の育成をしたほうが良いという考えだ。
だが家の当主であれば、定年など無い。
それが陰陽大家の九条家当主が、陰陽師を引退した九条長官であり続ける理由だ。
支部の応接室には、ほかにも九条が居た。
「東京都の統括を務める、九条道直です」
「娘で、C級の九条茉莉花ですわ」
「賀茂一樹です」
一樹に挨拶したのは、長官の息子である道直と、孫娘で次代と目されるC級の茉莉花だった。
道直は三男で、茉莉花も兄を差し置いての次代候補筆頭だが、それは九条家にとって、おかしなことではない。
九条家を含む五摂家の源流は、良房らが属していた藤原北家である。そして良房自身が次男坊で、兄の長良を官途で抜き去り、嵯峨天皇の皇女を降嫁されている。
すでに7世紀頃には、能力主義だっただろうと言われれば、まったくその通りだ。
優れた陰陽大家でもある九条家は、実力主義を否定しない。長官は、名誉職としてA級の一席に座ることを許されたくらいには、陰陽大家の中でも能力が高かった。
応接室に入った一樹はソファーに腰掛けて、長官と統括に向かい合った。
統括の補佐役であろう茉莉花が4人分のコーヒーを運び、三者の側面に腰を下ろした。
「それで走無常は、どれくらい祓っているのかね」
元A級で、OBという都合の良い立場の長官が、しれっと一樹に質した。
前統括だった長官は、現在は政府の長官で部外者のはずである。
東京の状況について、統括には伝える必要があるが、組織の異なる長官に答える義務は無い。
過去の幽霊船や、村上海賊の調伏では、依頼人だったので話したが、今回は依頼人でも無い。
政府の指揮下に入った覚えの無い一樹は、その点に鑑みた。
――さて、どうするかな。
A級陰陽師の一樹は、現場の最高責任者として、走無常に関する裁量権を持っている。
その裁量権は非常に大きくて、走無常を倒すために必要だと思えば、法と予算を逸脱しない限り、何でも一樹の好きにして良い。
それは『文句があるならお前が倒せ。倒さないなら口も出すな』という現場主義の考えだ。
そのため長官に伝えるか否かも、一樹に与えられる裁量の範囲内である。
――陰陽大家の九条家が、一族で東京の霊障に対処していると、考えられるか。
懸念事項は、長官が説明を都合良く切り取って、政府に伝えることだ。
僅かに躊躇った一樹は、花咲高校の文化祭で長官が諸々の手配に奔走したことを思い出して、渋い表情を浮かべた。
仲立ちする人間は、協会や一樹自身にとっても、便利な面がある。
結局一樹は、長官にも伝えることにした。
「長官には念を押しますが、相手は走無常を増やせます。どこが安全という保証は、出来ません。ぬか喜びした後に霊障が出て、世間や偉い人に『話が違う』と言われても、困ります」
「それで構わないよ。心配性の人間は、何でも良いから聞きたいのだ。それを自分の都合の良いように解釈して、勝手に安心する。だから彼らには、とりあえず何かを言っておけば良い」
「上手いことやって下さい」
「承知した。それで、どんな状況だね」
軽く溜息を吐いた一樹は、東京の状況について答えた。
「天空櫓から、八咫烏達が目撃された地点まで。神気で祓える有害な霊障であれば、走無常に限らず、判断できる限り殆ど祓っています」
「つまり1週間で、東京23区を祓ったということかね」
「八咫烏達の目撃地点が23区であれば、そうなります。あいつ等の感知能力は高いので、通った範囲の霊障は、大抵見つけて狩ります」
おかげで花咲市の周辺市町村は、ほとんどの霊障が狩り尽くされている。
元々が花咲家のお膝元で、ほかの陰陽師が暮らしていなかったから良かったが、そうでなければほかの陰陽師を廃業させていたかもしれない。
「23区の外でも目撃されているが」
「それでは、そのエリアも含まれます」
平然と告げた一樹に対して、長官は黙り込んだ。
一樹が行ったことは、同じA級である小太郎が、魔王の占領地域に犬神を放ったことに近い。
祓った範囲は、1000体に分霊した犬神よりも狭い。
だが対象を見分ける難易度や、対象の脅威度は、八咫烏達のほうが遥かに高い。
「どうやって見分けているんだね」
「まずは私と八咫烏達が呪力で繋がっていて、イメージを送り合えます。これを狩って良いかと確認されて、私が許可を出すと、八咫烏達は狩ります」
「ふむ」
「あいつ等は、記憶力と感知力が高いので、過去に狩った妖怪の外見や気を覚えます。1年半ほど狩っていますので、確認される回数も減りました」
「間違えることはないのかね」
「判断できない場合は狩るなと、式神として縛っています。周りの人間の反応を合わせて見ますし、念のために神気で祓うなどの段階も設けています。あいつ等の調伏は、私が現場で判断するのと、ほとんど変わりません」
「それは凄い」
長官は、率直に賞賛の言葉を述べた。
すると同席していた統括の道直と、孫娘でC級の茉莉花も、感服の至りを露わにした。
「卵から孵して1年半とは、とても思えないですね」
「素晴らしいですわ」
「一応、賀茂家の陰陽道を継承していますので」
もちろん賀茂家の技術だけでは、不可能だった。
八咫烏を神として育てるには神気も必要で、一樹は陰陽道の主神である泰山府君……閻魔大王の神気を有していた。
また『神生み』と謳われるイザナミの分体の蒼依が、一樹の神気を共有して、一緒に育てている。
挑戦して失敗されても困るので、一樹は念のために釘を刺した。
「ほかの陰陽師が試みても、再現できないとは思いますが」
新たに育てて五羽を再現することは、一樹と蒼依であれば、可能だろう。
龍神の気を得たり、天津鰐を食べたりは出来ないが、C級上位の力で良いならば難しくはない。
蒼依はイザナミから独立しているが、ルーツがイザナミで、八咫烏達を育てた神でもあるので、八咫烏達を育てることに限っては、イザナミよりも上手いと考えられる。
ほかの陰陽師が神気を調達して同じことを試みても、同条件にはならない。
再現できないと聞かされた長官は、感慨に耽る。
「そのような話を聞いていると、君を含めてA級が、つくづく規格外だと思い知らされるよ」
「九条家も、陰陽大家でも上位の家柄でしょう」
一般的に陰陽大家は、子孫の呪力を保つための結婚相手に苦労する。
だが九条家は、藤原北家を祖とする最高位の公家、五摂家の一つだ。かつて摂政・関白を独占し、明治時代には五家が揃って公爵に叙されている。
天皇家に次ぐ別格の五家で、引き継いだ代々の呪力も高く、ほかの大家に貸しも作れる。
有力な分家もあり、結婚相手にも困らない結果として、陰陽大家の中でも平均的な呪力が頭一つ抜きん出ている。
「確かに我が九条家は、陰陽大家の中でも上のほうだ」
長官は一樹の指摘を肯定した上で、三男と孫娘にも目を向けながら、但しと付け加える。
「但し、半分以上が人間の血では、A級には至れない」
「五鬼童、向井協会長、花咲が居ますが」
「特異な力を引き継ぎ、あるいは特異な条件で1300年も極めなければならない。不可能だよ」
協会のA級に籍を置いたことすら有る長官は、自ら無理だと断言した。
――A級の再現は、確かに無理かもしれない。
五鬼童家を再現したい場合、神すら使役する修験道の創始者のような存在を師匠に、鬼神の夫婦を弟子として、鬼神の子供を5人揃えて、1300年も切磋琢磨させなければならない。
なお鬼神の片方には、大天狗にも成ってもらう必要がある。
1300年を費やすにしても、現代では環境が異なる。
釈迦が生きていた頃に説法を聞いた『守鶴』という化狸の子孫である協会長も、再現が不可能だ。しかも単なる子孫ではなく、A級に成れる力を引き継いだ直系か何かであろう。
花咲家の犬神も、昔話が現代まで伝えられるくらい、おかしな出来事である。
「確かにA級は、再現するのが不可能ですね」
「君も含めてね」
まるで他人事のように宣う一樹に対して、しっかりと念が押された。
























