159話 天空の社
「見事に灰色だ」
一樹が割り振られた妖怪調伏の地は、東京都だった。
東京には首都機能が置かれており、首都圏には人と大企業の本社が集中していて、日本の心臓部を担っている。
東京都が使えなくなれば、日本の大混乱は必至だ。
そのため、荒ラ獅子魔王の侵攻は、神奈川県で押し留められた。
また東京に現れたA級ではない妖怪の対応に、A級の一樹が駆り出されている。その仕事の一環として、八咫烏達と蒼依を連れてきた。
「本当に緑が、全然ありませんね」
田舎の山育ちの蒼依は、東京天空櫓の天望デッキから眺めた景色に、目を見張って驚いていた。
東京天空櫓は、墨田区に建てられた東京都の第二電波塔だ。
命名の由来は、一八三一年頃に浮世絵師の歌川国芳が描いた『東都三ツ股の図』にあった櫓が、現在の電波塔に位置と姿形が似ていたからだ。
電波を送るための電波塔なので、東京の中央部に建てられている。
東京天空櫓には展望台もあって、上のほうにある展望回廊では、地上450メートルの高さから東京が広く見渡せる。
そして一樹達が来ているのは、さらに高いアンテナの付け根部分、地上497メートル地点だ。
蒼依が景観を嘆いたのには、理由があった。
「ここにイザナミから独立した新女神の神社を建立した。神使の八咫烏を活躍させて信仰を集め、首都圏から信仰で集まる気を八咫烏達に供給して、活動してもらう」
改めて計画を告げたのは、一樹達に同行した協会長の向井だった。
常任理事会が行われる前から着手していたらしく、すでに小さな社が完成している。
東京天空櫓に、蒼依姫命の神社を建立することになった理由は、2つあった。
1つは、首都圏に出現した霊障対策。
1つは、いずれ公表する新女神・蒼依姫命の実績作り。
「都内を中心とした首都圏に霊障が多発しており、対応するために飛行可能な八咫烏達が必要で、気の供給には神社が必要だ」
「厄介な場所に、厄介な霊障が現れましたね」
東京で霊障を引き起こしたのは『走無常』で、中国の死神『無常鬼』の代理人だ。
元々は、死神の無常鬼が人々を冥府に連行していたが、明の時代に入ると人間が増えてきて、仕事が追い付かなくなった。
そのため死神の代理として、多数の走無常を使うようになった。
走無常は、生者が突然、強制的に選ばれる。
走無常にされるのは死に瀕した者で、息を吹き返すが現世と冥界を行き来できるようになって、現世の魂を冥界に連れて行く協力をするようになる。
――要するに、死神の使いっ走りだな。
単なる人間が使いっ走りにされているので、周囲の人間には、走無常の見分けが付かない。それでいて、いきなり魂を持って行かれるので、堪ったものではない。
陰陽師が走無常を探すのも、現実的に不可能だ。
何しろ東京を含む首都圏には、二千数百万人が暮らしている。
ビルの合間を縫って探し歩き、ようやく1体を見つけて捕まえる頃には、新たな走無常達が何体も走り回っているだろう。
対応できない間に、都民の気を奪われ続けて、魔王に力を与えてしまう。
そのため八咫烏が、対抗手段として選ばれた。
「八咫烏達は、飛行能力と、感知能力を併せ持っているな」
「はい。それは間違いなく」
八咫烏達が小鬼を狩れた時、一樹は褒めてきた。
それは八咫烏達の使役が、陰陽師国家試験に受かるためで、八咫烏達が狩りを得意になれば試験の結果に期待できたからだ。
蒼依にとっても山の実りを荒らす小鬼は迷惑で、八咫烏達が小鬼を狩れば喜んだ。
褒めて育てれば、伸びる。
一樹と蒼依に褒められた八咫烏達は喜び、意欲的に小鬼を狩り続けてきた。
県という広域で、自分達から逃げ隠れする小鬼を探し回ってきた八咫烏達は、小さな気を探し当てることが得意中の得意になった。
地中に潜ったミミズを空から見つけられるくらいには、山々の小鬼を探し当てられる。
県内の小鬼は、もはや絶滅危惧種である。
――こいつらの趣味が、こんなに役に立つとは。
宇賀が考えているよりも遥かに高水準で、八咫烏達は捜索に適任だ。
相手は冥府の役人である死神の使いだが、八咫烏達は冥府の元締めである閻魔大王の神気で育ち、ムカデ神の調伏で龍気を得て、高天原から降りた天津鰐を喰らって天の力も有している。
空から襲い掛かってくる圧倒的な上位者に、走無常は為す術が無い。
「能力的には花咲家の犬神でも良かったが、紀州犬っぽい犬神がリード無しで都内を走り回れば、人々は混乱するだろう」
「そうですね。犬神は鼻が利きますが、カラスが飛び回るよりは、都民がざわつくと思います」
目を凝らして、よく見れば三本足だが、見分けが付いたところで騒がれたりはしない。
都内の捜索に八咫烏が向いていることについて、一樹には否定の余地が無かった。
「八咫烏の投入は最適解だが、問題は神気の供給だ」
「はい。走無常にされた人間から悪い気を祓うためには、神気を使います。単純に殺すのであれば、そこまで難しくありませんが、相手は人間ですし」
走無常は、操られた人間だ。
元々は日本に居ない存在であるために、走無常への取り扱いも、定められていない。
対処の術があるのに、勝手に人間を殺処分しては、陰陽師協会が悪者になってしまう。
とはいえ、容易く解決できるわけでもないが。
「治すには神気が必要で、使役者が気を供給しなければならないが、君は付き合いきれないだろう」
「はい、無理ですね」
数ヵ月も東京に拘束されれば、高校留年は必至だ。
それでは都民のために、花咲市から東京に、転校すれば良いのか。
それで走無常が大阪などに移動したら、一樹も再び転校するのか。
あるいは東京と大阪の両方同時に、走無常が出たらどうするのか。
転校は自己犠牲の度合いが過ぎるし、抜け穴も多すぎるので、一樹はとても応じられない。
向井と宇賀も転校は求めておらず、代わりに気を供給する方法として、東京天空櫓内に神社を建立する案が添えられていた。
「八咫烏達は、女神の神使でもあって、神社に集められた気で呪力を供給できると聞いている」
蒼依を見ながら、向井は確認するように尋ねた。
「はい。二人で育てましたので」
一樹が述べると、蒼依は優しい手つきで手近の青龍を撫でた。
すると残る四羽は、蒼依が撫でやすいように手元に寄っていく。
甘える八咫烏達を蒼依が順に撫でていく様子を見た向井は、納得を示して頷いた。
もう1つの理由である『いずれ公表する新女神・蒼依姫命の実績作り』については、蒼依の高校卒業後、東京を守った実績を公表すれば、人々の信仰で蒼依姫命の神格が上がると考えられる。
五鬼王を倒して独立した蒼依が、神使で東京を守った神話を増やすことで、神格を上げるわけだ。
A級下位よりも、A級中位のほうが、人間側の対応は良くなる。
力が強いほど、「公共事業を行うので山を明け渡して下さい」などとは、言われなくなるのだ。
S級下位まで至れば、蛇神とムカデ神に対する人間のように、神同士で争っても目を逸らされて見て見ぬ振りをされる。
――八咫烏達を派遣するだけで蒼依の神格が上がるなら、コストパフォーマンスが良すぎる。
それこそが、一樹が応じる理由であった。
蒼依の神格が上がれば、一樹と子孫にとって、凄まじい恩恵がある。
使役する式神が強いのは一樹にとってメリットだし、しかも蒼依は気を供給しなくても戦えて、八咫烏達に気を供給出来る。
その八咫烏達は、一樹の子孫に継承される。
別系統の回復方法を持つ八咫烏は、子孫の呪力に影響されずに力を振るえるのだ。
八咫烏達は、現在でも5羽を足せばA級下位。さらに神使として、東京天空櫓で信仰を集めれば、八咫烏達の格も上がるかもしれない。
賀茂家は、花咲家のようにA級の定席を得るも同然となる。
――宇賀様は、色んな相手に貸しを作りまくっているな。
宇賀は自身の安全を確保するために、五鬼童など様々な相手に貸しを作っているのかもしれない。各地の陰陽大家も、婚姻の調整など様々な手配をする宇賀には、頭が上がらないのだ。
「ここは屋根がなくて、八咫烏が自由に出入りできる。神社に戻って休めば、呪力も回復する」
「元々、一般人が出入りできない場所なのは、良いですね」
神社を建立するために展望回廊などを封鎖すると、従業員や観光客も困る。
優先順位は妖怪対策だが、影響がないのが一番だ。
「東京天空櫓を見上げて祈れば、祈りが届く。都内の広域から、人々の祈りが届くだろう」
首都圏に電波を届ける電波塔が、信仰ひいては呪力を集める象徴になるわけだ。
神社と人々の距離は離れているし、社を直接見られるわけでもない。
だが首都圏の人口は、膨大だ。小さな祈りでも、沢山集まれば八咫烏5羽が活動するには充分な呪力が、安定的に集まる。
それこそが、東京天空櫓に蒼依の神社を建立した理由だった。
「生者である蒼依姫命は、社に魂を分霊できない。あとは、気を集める霊物が必要だ」
「はい。それではこちらが、霊物になります」
一樹が差し出したのは、小さな桐の箱だった。
その箱の中に入っているのは、槐の邪神を倒しに行った際、一樹が入手した翡翠製の勾玉5個だ。蒼依が神域を作成する練習用として使い続け、五鬼王の調伏でも役立った。
貴重な霊物だが、蒼依の社に力を集めるためには最適な品でもある。
使用する霊物は、勾玉として消費されて使い物にならなくなるのか、それとも神物と化すのか、試してみないと分からない。
「消耗して使えなくなったとしても、蒼依の神格が上がるのであれば、構いません」
「分かった。それでは預かろう」
かくして東京の空に、八咫烏が飛び交う神社が建立された。
























