156話 音楽系陰陽師
「ビシバシ行くから!」
花咲高校と連絡通路で繋がった、大学の建物内にあるR棟。
その7階にあるD室が、陰陽同好会の同好会室だ。
そしてこの度、同階のA室も貸し与えられた。香苗の声は、その部屋に響き渡っている。
――7階自体が、陰陽同好会のために空けられているけどな。
花咲学園は、花咲家が私財を投じて設立、運営している私立の学校だ。
野球部に力を入れている私立高校があるのだから、陰陽師に力を入れる私立高校があっても駄目ではない。
陰陽同好会によって花咲高校のブランドは高まるので、ほかの在校生達も進学や就職に有利だ。であれば保護者達も、否はないだろう。
むしろ来年の新入生の保護者は、子供を同好会に入れようと、虎視眈々と狙っているはずだ。
その件について一樹は、新入生のうち何人が希望を出すのか戦々恐々としつつも、あまり考えないようにしている。
『花咲高校に通っていたとき、ちょうどA級陰陽師達もいて、魔王対策を担っていました。文化祭の時は幽霊巡視船が現れて……』
在校生達は、将来の様々な場面で、話題にも事欠かない。
そんな同好会の活動内容はといえば、目下のところ音楽の練習である。
「一樹さん。どうして香苗は、不機嫌なのですか」
沙羅が不思議そうに尋ねたのは、音楽活動が香苗の望んだものだからだ。
自分の希望が叶って不機嫌なのは、おかしい。
しかも妖狐の半々妖である香苗の性格は、熱血タイプではなく、クールなほうだ。
問われた一樹は、最初に大雑把な答えを示した。
「世代、身分、種族の差異による意見の相違だな」
現代と江戸時代、あるいは平安時代では、社会の有り様が大きく異なる。すると社会から求められる役割は違うし、それに適応する個人の生きかたも大きく変わってくる。
また種族差による意見の相違は、言わずもがなであろう。
多種多様な生物に、絶対的な優劣を付けられる基準として、『絶滅したか否か』がある。
生物の目的は、自己保存し、子孫を残すことだ。
そのため、種族が絶滅すれば『目的に失敗した』、絶滅していなければ『目的を達成できている』と評価できる。
妖狐が現代まで子孫を繋いで来られたのならば、一夫一妻制は、妖狐にとっての正解だ。
「それで、どんな意見の相違があったのですか」
「側室や愛妾について、香苗は無し派で、松平と平氏の姫君達は有り派だそうだ」
意見が対立する一方の香苗は使役者で、もう一方の姫君達は式神だ。
香苗は正しい使役術を行使し、ナナカマスを菜々花、琴姫を琴里と名付けた。
『雪菜、菜々花、琴里』
名付けを行えば、式神を縛る効果が増す。
名付けによって、菜々花と琴里は、香苗の式神として括られた。
だが菜々花と琴里は、香苗とは異なる自分達の常識について、改めはしなかった。
かつて姫君として受けた教育と記憶を有しており、香苗の考えかたよりも正しいと思っている。その姿を雪菜が不服従だった時に重ねているのか、香苗は虚勢を張っていた。
「こればっかりは、時代の違いが大きいからな」
明治初期までは議論も割れていたが、現代では憲法第14条に定められる『法の下の平等』により、陰陽大家であろうとも一夫多妻制は認められていない。
時代差だと解した一樹だったが、沙羅の受け止めかたは異なった。
「現代でも、刑法に定めがありませんから、刑罰は科されませんよ。上級陰陽師の子孫を増やすなら、社会的にも支持されます」
思わず見返した一樹に向かって、沙羅は堂々とした態度で持論を述べる。
「現代が一夫一妻制なのは、国民全体が、自分の子孫を残せる可能性が高くなるからです」
「そうだな。あぶれる人間が減って、人口も増える」
新生児の男女比は、100対95くらいだ。
一夫一妻制で割り振った場合、男性の95%、女性の100%が結婚できる。
1920年の第1回国勢調査では、50歳時点の生涯未婚率が、男性2.2%、女性1.8%。社会的要因による未婚化を省けば、概ね結婚可能になるのが一夫一妻制度だ。
「ですが高呪力者が増えれば、妖怪から守られて、集団の生存率が上がります」
「それはそうだが」
一樹が想起したのは、前世と今世の違いだ。
長らく地獄に居た一樹は、前世のことは殆ど覚えていない。
だが今世の人間は、妖怪のせいで土地や資源の確保がままならず、経済活動も制限されており、不慮の死も多発しているように感じられる。
人間に余裕がない分だけ、労働生産性は上がっており、科学技術に大差は無い。
また妖怪によって人間の平均寿命が下がり、出生率は上がっているので、社会を保てている。
そうやって回っている社会だが、魔王のように分かり易いリスクも発生する。
魔王の出現で、数十万人が犠牲となり、300万人が避難民と化した。
極端な仮定だが、一樹のような高呪力の人間が、集団から100人を愛妾にしたとする。
それによって次世代に200人の上級陰陽師が誕生して、均等に47都道府県へ住んだならば、魔王が被害を与えた3県には、上級陰陽師が12人も増えることになる。
すると煙鬼程度は、発生しても抑え込めるだろう。
あるいは羅刹も、上級陰陽師が12人も居れば倒せるかもしれない。
最初に100人が婚活市場から減ったが、その代わりに集団は数十万人が死なずに済んで、300万人が難民化せず、以降も子孫の陰陽師達が集団を助けてくれる。
それについて集団、とりわけ魔王の被害を受けた人々は、どのように考えるのか。
「だから刑法で罰則が定められませんし、社会も文句を言いませんよ」
一樹は生唾を飲み込んだが、それは誘惑にではなく、隣で圧を掛けた女神に対してだった。
イザナミが敷いた道からは解放された蒼依だが、それは蒼依自身が新たな神話を作らないことを保証するものではない。
「そういう考えも、有るようだな」
一樹は冷や汗を掻きながら、イザナギのように逃亡した。
沙羅の話には否定的な意見もあって、子供の数が増えれば『親が教育に費やせるコスト』が減り、『呪力だけ高くて、技術が無い妖怪の餌』が増えるだけという考えもある。
オリンピックの選手を200人も同時に指導できるコーチが居ないのと同じだ。
一樹自身も現在に至るまでに、父親から10年単位をマンツーマンで教わっている。3人程度であれば同時に教えられたかもしれないが、それ以上の人数は確実に質が落ちていた。
才能が上級の子供が200人生まれても、それを教えられる陰陽師が居ないので、全員が上級陰陽師には成れない。
沙羅の実家である五鬼童家も、『本家筋の質まで落ちる』と否定的な立場だ。
蒼依と香苗、沙羅と柚葉で意見は割れており、菜々花と琴里が後者に加わる。
香苗は、式神なら自分の味方をしろと言わんばかりに不満げであった。
「歌謡曲なんて古くて通じないから、現代の曲を覚えて」
菜々花と琴里が教わっているのは、これからの季節に向けた冬の歌だ。
様々なクリスマスソングが流されて、菜々花が歌い、琴里が琴で奏でて再現する。
琴里の演奏は、一樹がこれまで耳にしてきた曲とは一線を画していた。
世界に溶け込むような旋律が、一樹の全身を振るわせて、鳥肌を立たせた。
上手いという次元ではない。
原曲どころでは無くて、琴里が奏でる曲こそが『冬を伝える表現として正しい』のだと、一樹には思えた。
琴里の演奏を聴いた後、原曲と琴里の演奏のどちらを聞きたいかと問われれば、一樹は間違いなく琴里を選ぶ。
『1185年から浜辺で琴を奏でて、八百数十年』
琴里は、八百数十回の浜辺の冬と、八百数十年に亘る冬の人々の営みを眺めてきた。
琴里が奏でる曲には、八百数十もの冬が籠められている。
音色を聞いて黙り込んだ香苗を他所に、菜々花の歌がスッと入っていった。
最初は琴の音色に合わせるように小さく、そこから次第に強い思いを籠めた歌が紡がれて、菜々花の言霊が響き始めた。
すると琴里が、冬の海に舞い降りる粉雪を愛しむように、歌の変化に琴の音色を合わせていく。
それが間奏まで続き、歌声が途切れた時に一樹は、自身が呼吸を忘れていたことに気付いた。
嗚呼と、世界を壊さないように極小の溜息が、僅かに吐き出される。
琴里の演奏歴は、八百数十年。
菜々花の歌唱歴は、三百数十年。
30年ほど続けて熟練の域に達した人間など、まるで足元にも及ばない。
30年で音楽に費やせる時間は、如何ほどか。海の妖怪と化した彼女達が費やした時間の割合は、ほぼすべてだ。
琴里が紡ぎ出した琴の音色は、瞬く間に世界を冬へと染め上げた。
琴に合わせた菜々花の歌声は、冬に寄り添う人々の暮らしを映す。
雪菜が生み出した純白の粉雪が、冬の世界を舞うように降り注ぐ。
一樹が立ち尽くす世界には、幾百と重なる冬の景色が、紡ぎ出されていた。
























