155話 琴姫
香苗がナナカマスを使役してから、一週間が経った。
松平家の姫君が使役されることを憂いた本人の意向も踏まえた香苗は、ナナカマスに式神として新たな名付けを行った。
『菜々花』
ナナカマスなので菜々花。
先に使役した雪菜に続くということで、菜から始まる菜々花。
ネーミングのセンスは、牛太郎と名付けた師匠よりは、有るかもしれない。
菜々花の願いは、学校がある平日の5日間を挟んで、土曜日に叶えられた。
香苗の式神となった菜々花は、松山城に赴くまでの数日間で、香苗が暮らす現代の生活を見た。そのため帰郷までに、どれだけ時代が変わったのかも理解していた。
「分かっては、おったがの」
100年も経てば、人間は死ぬ。
200年も経てば、誰それの孫という者も居なくなる。
そこに松山城はあったが、所有者が変わって観光資源となっており、菜々花の知り合いも居なくなっていた。
松平家の子孫は居るが、菜々花自身の子孫では無い。
菜々花が家のために出来ることも、最早無い。
その夜、空が白むまで一晩中、菜々花は松山城を見続けた。
それで区切りを付けたのか、翌日には約束通り、菜々花は香苗の妖怪探しに着いてきた。
「妾にも、役目を貰おうかの」
「香苗の式神として、与力を願い奉ります。但馬の海から救い上げ、松山城までお返しした対価ということで」
「よかろう。そのような話であったからな」
故郷に帰った菜々花は、おそらく区切りを付けたのだろう。
身の上を受け入れた菜々花を伴い、一樹達が向かったのは、島根県大田市の琴ヶ浜地域だった。
「次に探す音楽系の妖怪は、琴姫だ」
「琴を弾く妖怪なのですよね」
「読んで字の如くだが、呼ばれ始めたのは、生前らしい」
それは源平合戦が終わりを迎える1185年まで遡る、
琴を抱いた姫が乗る船が、浜辺に流れ着いた。
浦人達は姫を介抱して、回復した姫は、その地に留まった。
それから姫は琴を奏でるようになり、その音色で人々を魅了して、いつしか姫は『琴姫』と呼ばれるようになったそうだ。
だが姫は病死してしまい、浦人達は姫を手厚く葬った。
翌朝、人が浜を歩くと、踏みしめた砂が音色を発するようになっていた。
それは姫の霊が、自分を受け入れて手厚く葬った者達を慰めているのだろうと言われて、島根県大田市の浜は、『琴ヶ浜』と呼ばれるようになった。
現在、一樹達が歩いている浜辺の名称は、そのように名付けられたそうだ。
なお奈良時代に中国の唐から伝えられた『箏』と、日本に古来よりある『琴』は異なる楽器で、琴姫が奏でるのは箏のほうだ。
日本の常用漢字に『箏』が無いため、代替文字として『琴』が使われているが、現在世間に広く知られている琴は箏である。
琴ヶ浜も、箏が常用漢字であれば、箏ヶ浜だったかもしれない。
「それって、源平合戦で負けて逃げた平氏の姫でしょうか」
琴ヶ浜の東から西へと歩きながら、香苗が疑問を口にする。
二人が浜を歩いているのは、そこに琴姫の霊が居るからだ。
足元からは、砂を踏みしめる度にキュッキュッという音色が響いており、琴姫が霊障を引き起こしていることは確信できている。
だが姿は、現していない。
香苗は琴姫の話題をして本人を呼び寄せようと意図していた。
「であろうの」
答えたのは一樹ではなく、菜々花のほうだった。
使役されている菜々花は、使役者である香苗に対しても偉そうな口振りだが、実際に家柄は偉い。15万石の姫君で、祖父の伯父が徳川家康とあっては、庶民の香苗に遜るのも無理がある。
見た目が小学校高学年くらいの少女であるために、子供である姫の個性として、口調は受け入れた形だ。
但し使役者である香苗も、式神の菜々花に敬語は使わず、馴れ馴れしく話している。
「琴は、女子の嗜みの一つじゃ。平氏の娘ならば、教養として身に付けておろう」
「奈良時代からあったよね」
平安時代の貴族は、男性が横笛、女性が琴を嗜んでいたとされる。
また貴族女性がモテる条件は、家柄、艶のある長い黒髪、書道、和歌、琴などであったそうだ。娘を位の高い家に嫁がせるために、貴族男性は娘の教養を高めていた。
琴は、貴族女性にとって必須の教養であった反面、平民にとっては無用の長物であった。
平民は琴を用意できず、誰にも習えず、習ったところで生活にも役立たない。
遥かに時代が進んだ江戸時代ですら、平民には餓死者が出る。菜々花の実家である伊予松山藩では、1732年の享保の大飢饉で数千人の領民が餓死した。
平安時代の末期に琴を習っていたのならば、それは貴族女性と考えられる。
「源平合戦で平氏が逃げた史実や、故郷に帰るのを断念したことに鑑みて、平氏の姫だろうな。船で流れ着いたのなら、壇ノ浦の後かな」
一樹は琴だけではなく、時代や行動からも、琴姫が平氏の娘だろうと予想した。
源平合戦の末期、各地で敗戦を重ねた平氏は、山口県の『壇ノ浦の戦い』で数百艘の船を出し、源氏に敗北して滅亡に至っている。
壇ノ浦とは、日本の本州と九州を隔てる関門海峡の本州側だ。
敗北した平氏は、平清盛の弟、息子、孫などの一門、妻や娘などが、次々と入水自殺していき、数え年で8歳(満年齢6歳)の安徳天皇も、平清盛の継室に抱き抱えられて壇ノ浦に没した。
三種の神器も沈んでおり、その中で宝剣だけは回収できずに失われた。
「壇ノ浦の戦いで、『死体が見つからなかった者は、入水して死んだのだろう』と数えた中に、琴姫が含まれていたのかもしれない」
「それはありそうですね」
戦場では混乱するし、戦場自体が潮流の速い海上だ。
三種の神器を見つけられていないのだから、ほかの捜し物が見つからない事もあるだろう。
「そもそも源氏が、平氏の娘をすべては把握できていなかった可能性もある」
「そうなんですか」
「逃げる平氏が記録を破棄して、『そんな娘は知らない』と言えば、当事者でもない限り全員は、把握できないだろう」
「でも平氏は身分が高くて、皆が一族を知っていたのではありませんか」
「いや、平清盛には、正室、継室、複数の側室や愛妾が居て、子供の数は二桁に上ったそうだ」
平清盛の八女とされる廊御方などは、平家物語に名前が載り、和琴と書の名手だったそうだが、実際には実在したか否か分からないとされる。
廊御方の娘も、居たという説と、居なかったという説があって、断言できない。
平氏を網羅した家系図などは、存在しないのだ。であれば当事者以外が、どうやって平氏の全員を確認できようか。
「その子供達にも、正室のほかに側室や愛妾を持つ者が居て、孫の数は沢山だ。当事者でなければ、把握できないんじゃないか」
「最低ですね。平氏が滅んで良かったです」
香苗の冷めた眼差しが、なぜか一樹を責めるようにチクチクと刺した。
なお人間の場合、生物として一夫一妻制だとは言い難い。
日本について3世紀末に書かれた魏志倭人伝には、次のように記されている。
『國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟』
(身分の高い者は4~5人の妻を持ち、身分の低い者も2~3人の妻を持つ。婦人は淫せず、やきもちを焼かず、盗みかすめず、訴え事は少ない)
哺乳類で一夫一妻制は、全体の僅か数パーセントと少数派である。
だが狐は、数パーセントに入る一夫一妻制の種だ。
三尾の藤原良房も、妻が一人で娘しか生まれなかったので、兄の息子を養子に貰っている。
妖狐の半々妖である香苗の場合、純血に近い人間よりも、一夫一妻制を是とする思いは強い。
すると思いがけないところから、一樹に援護が入った。
「子が少なければ、子を亡くした時、後継ぎを巡って混乱しよう。天下人の直系が途絶えれば、動乱じゃ。当時の平氏であれば、正室一人だけのほうが問題じゃろうて」
「その考えかた、現代だともう古いから」
「新しいから良いとは限るまい。家を途絶えさせれば、受け継いできたものが途絶える。民にも、祖先から受け継いだ田畑があろう」
香苗と菜々花は、300年以上の時代間における意見の相違を言い合っていた。
女子の口喧嘩に、男が口を出してはならない。
そんな宇宙の法則を遵守した一樹は、二人から目を逸らして、先程から伺うように一樹達を見ている霊体に話し掛けた。
「船が流された理由だけど、壇ノ浦の戦いでは弓が使われただろうから、船の漕ぎ手が射られて、操船不能になったのかな」
一樹が問うた先には、話題にされた件の姫君が、姿を現していた。
年の頃は、香苗と菜々花の間くらいだろうか。
その霊体は、平安時代に好まれた色白な肌と、艶のある長い黒髪をしていた。服装は、身分が高い公家の女子が着た十二単である。
しばらく静かに佇んでいた平安時代の姫君は、徐ろに口を開いた。
『……側室や愛妾を持つ話には、わたくしも賛同いたします』
しっかりと聞いていた現代狐の香苗が、不満げに眉を吊り上げた。
漫画、ニコニコ静画やピッコマでも読めるそうです
ニコニコ
https://seiga.nicovideo.jp/comic/64427
ピッコマ
https://piccoma.com/web/product/144080
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