154話 ナナカマス
豊川稲荷に赴いた翌日の日曜日。
豊川の提案を受けた一樹と香苗は、『ななかます』と呼ばれる場所に赴いた。
そこは兵庫県の但馬海岸から、海上に出た海域にある。
兵庫県は、京都府と大阪府の西に位置する。
中央部に中国山地があり、北は日本海、南は瀬戸内海に面し、淡路島も属する。
多様な自然環境と、農林水産物も有しており、日本の縮図のような県だ。
その中で但馬海岸は、日本海側に位置する。
幽霊巡視船の高速警備救難艇で海上に出て、一樹達は目的地へと向かった。
「バンドメンバーが妖怪で済むのは、盲点だった」
「普通は、思い付きませんよね」
香苗が呆れたとおり、普通であれば思い付かない。
日本には数多の妖怪が存在しており、その中には音楽に秀でた妖怪も居る。
だが、全国津々浦々の妖怪を把握することは難しいので、そのような発想には至らない。
その常識を覆したのが、全国から豊川稲荷に集まった、1000体もの霊狐だった。
「霊狐は、全員が生前に数百年も生きた長老格だからな」
「出身地の伝承には、精通していますよね」
霊狐達に「音楽が出来る妖怪は居ないか」と聞けば、「そういえば確か……」と、地元の情報であれば幾らでも答えが返ってくる。
そのほかにも各地を生前に旅したり、里の者が持ち帰った土産話を聞いたりして、様々な情報も持っている。
数百年単位で情報を集めた霊狐が、1000体も居るのだ。
それで情報が不足するならば、全国各地の稲荷にも問い合わせが出来る。
その有り様は、昔版のインターネット検索であろう。
――いや、狐のネットワークだから、キツネットとでも称すべきか。
1000体の霊狐で構築し、全国の狐達とも繋がるキツネット。
それで分からない妖怪など、日本には殆ど居ないかもしれない。おかげで一樹達の下には、音楽に秀でた様々な妖怪の情報が集まった。
もっともキツネットには、余計な人工知能も入っている。「狸囃子を押さえ付けて従わせよう」と提案してきた時には、流石に一樹が制止した。
情報のほかに必要なのは、使役者である香苗の呪力だが、そちらも大丈夫だった。
「使役する香苗の呪力が上がっていたのは、ちょうど良かったな」
「上がるとは聞いていましたが、もうC級上位になったのには驚きました」
呪力が上がったのは、託された五狐の魂の欠片が、香苗に馴染んでいくからだ。
香苗への継承の競争を勝ち抜いた源九郎達は、豊川稲荷の霊狐達の中でも、優秀な五狐だ。
馴染んだ切っ掛けは、源九郎狐と小女郎狐をエキシビションマッチで召喚したことだろう。残る三狐も呼び出せば、B級に至るかもしれない。
現在の香苗であれば、雪菜の力が上がる分を計算しても、D級妖怪が2体から3体程度であれば問題なく従えられると考えられる。
下級の妖怪では、それほど質が高くない。
そのため今回は、中級にあたるD級で、使役可能な妖怪を探しに来た。
「D級2体で、歌と楽器をカバーする。香苗がどちらをやりたくても、もう片方を補えるために」
「分かりましたけれど、今回探す妖怪のナナカマスは、本当にD級なんですか」
「霊狐達が、現時点でD級だろうと言っていた」
キツネットを構築する霊狐達は、『妖怪の種類、呪力、個別の性質』、『近似種の呪力上昇率』、『地域で得られる呪力や情勢変化』などを総合的に勘案して、現在の力を予想している。
熟練の職人は、勘で高度な仕事が出来る。
そして霊狐達は、それぞれが熟練の職人の10倍くらいは練達している。その霊狐達が、集団で出した予想である。
「当たっているんじゃないか?」
「そうですね」
一樹達には、探しているナナカマスの呪力予想が、ピッタリと的中する未来が見えた。
「それでナナカマスだが、兵庫県の豊岡市、竹野町奥須井に伝わる妖怪だそうだ」
「伝わっている地域が、凄く狭いですね」
「話を広めたくない理由があったそうだからな」
かつて四国地方の伊予、あるいは讃岐から、兵庫県の奥須井に遊びに来た姫がいた。
そして奥須井の『ななかます』と呼ばれた海で、村の若者の悪戯により死んだそうである。
若者の悪戯とは、船底に穴でも空けたのか、船を漕ぐ櫂でも壊したのか。そのせいで姫は、儚くも命を落とした。
以降、姫の怨霊が現れるようになった。
姫は海域を通る船に「伊予や讃岐の者なれど、今は住む住むななかます」と悲しく歌うという。日本版のローレライである。
それから暫く経った明治頃。
浜須井の平兵衛という者が、隣家の者と漁に出て、姫の亡霊に遭った。
現れた亡霊は、船に取りすがって、歌を歌ったそうである。
恐ろしくなった平兵衛は、必死に船を漕いで、家まで逃げ帰った。
そして大慌てで家の大戸を閉めたが、追ってきた亡霊が大戸に爪を立てて、ガリガリと引っ掻いたので、しばらく寝込むことになった。
それらが、村に伝わってきた話である。
「酷いですね。悪戯をした村人が」
「ああ。地元民が言いたくないのも、無理はない」
姫君が他国へ遊びに来られたのだから、時代は平和な江戸だろう。
死んだのは姫だが、悪戯をした当事者が名乗り出なければ、事故と判断が付かないこともある。大名であろうとも、他藩での話であり、村を勝手に処断したりは出来ない。
悪戯をした者は口を噤み、死の間際にでもようやく子孫に語って、それが伝承として村に受け継がれたのかもしれない。
「悪戯をした若者は、どうなったんだろうな」
『ちゃんと子孫を呪って、寝込ませたぞ』
声を掛けられた一樹と香苗は、ビクッと身体を震わせながら、背後を振り返る。
すると後ろには、赤くて綺麗な着物を着た少女が、ゆらりと浮かんでいた。
その霊の年齢は、一樹には小学校高学年くらいに見えた。
――海域と一体化した地縛霊だから、気付かなかったのか。
人よりも感知能力に優れた一樹が気付かないほど、少女の霊は、海域と一体化していた。
改めて視れば、霊狐達が言っていたとおり、D級中位ほどの呪力が内包されている。
少女は頬を膨らませて、怒りを示しながら、一樹に訴えた。
『その平兵衛が、妾を殺した下手人の子孫じゃ』
「なるほど。それで姫様は、平兵衛をどうされましたか」
『妾が呪って、あの者が寝込んで、終わった。妾は、ここから離れられないからの』
即座に堂々と応じた一樹に対して、ナナカマスと呼ばれる姫も不満げに答えた。
姫の訴えから、この海域を離れたいのだと予想した一樹は、香苗に使役させる算段を立てる。
故郷に帰りたいと思いながらも帰れなかったのは、『ななかます』という海域に捕らわれた姫の元に向かう陰陽師が、これまでに居なかったためだと考えられる。
連れ帰って成仏させるだけでは、何のメリットも無い。
姫がどうしても故郷に帰りたいのだとすれば、故郷を見た後の使役を条件にすれば、条件に応じる可能性がある。
「ところで姫様は、伊予や讃岐の者と歌われたそうですが、実際にはどちらでございますか」
『妾は、伊予松山藩15万石、二代藩主である松平定頼の五女じゃ。伊予や讃岐の者と申したのは、但馬の漁民には、伊予だけでは分からないかと思ったからじゃ』
伊予国は、四国地方の愛媛県。
讃岐国は、四国地方の香川県。
但馬国は、近畿地方の兵庫県。
江戸時代の前期、日本海側に住んでいた漁民は、四国地方について詳しくなかった。
なぜなら当時は、日本地図など習わない。
学ぶ機会が無かったものを知らなくても、無理はない。
地名を「伊予や讃岐」と並べ立てて、ようやく理解されたのだとしても、何ら不思議はない。
「なるほど、腑に落ちました。それにしても松平とは、姫様は家康公の血縁であらせられますか」
『妾の祖父である松平定行の伯父が、東照大権現様である』
東照大権現とは、徳川家康の没後の神号だ。
ナナカマスは、紛う事なき姫君であった。
江戸時代の少女にしては教養が高いのも、家柄を考えれば道理であろう。
『それで其方、妾を伊予に連れ帰ってはくれぬか』
それは予想された要求であり、姫から言い出したことで、一樹も条件も付け易くなった。
見た目は小学校高学年くらいだが、御年は三百数十歳。
その大半を海の魔物として歌っていたので、歌唱力も抜群である。
「それでは姫様、故郷へお連れするために、2つばかりお願いがございます」
『それは何じゃ』
「1つは、地縛霊として捕らわれている海域から出るために、ここに居る香苗の式神として使役されることです。地縛霊では、土地から離れられませんので」
『それは道理じゃな。この身は伊予松山藩主家の姫なれど、かくなる上は、致し方がなかろう』
長らく海域を離れられなかった姫は、地縛霊と言われたことに納得したのか、一瞥した香苗が女性であることに納得したのか、一樹の要求に対して素直に応じた。
「もう一つは、故郷の松山城を見られた後は、陰陽師である香苗に式神として力を貸して頂きたく、願い奉ります。なぜなら徳川幕府が15代将軍の時、朝廷に大政奉還を行っており、姫のご実家を含むすべての藩が無くなっておりますので」
『……なんと』
唖然とした姫の表情を見て、一樹と香苗も唖然とした。
1867年の大政奉還は、情報が入らない海域の地縛霊にとって、初耳であったらしい。
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本日、『転生陰陽師』の初投稿(2022年7月14日)から、1年が経ちました。
前作が書籍4巻で完結し、それが悔しくて書き始めた本作ですので、
やる気というか、絶対に5巻以上を続ける執念は、怨霊化できるほど有ります。
ですが、実際に続けさせて頂けるのは、皆様が応援して下さるおかげです。
これからも、面白い話を続けられるように頑張りますので、
引き続き応援のほど、よろしくお願いします( *・ω・)*_ _))
























