153話 音楽に秀でた妖怪
愛知県豊川市の豊川稲荷にある、1000体の石像が並ぶ霊狐塚。
格調高い越殿楽が聞こえそうな厳かな霊場に、ギターを掻き鳴らす明るい少女の声が響いていた。
ギターを掻き鳴らしているのは香苗で、観客は石像に宿る千体の霊狐達だ。
霊狐達は、何れも100年以上を生きた地狐や、500年以上を生きた気狐で、100年程度では畏れ多くて来られないほど格の高い場である。
「ギターや最近の流行曲は、皆様の趣味に合わないのではないかと、不安も抱いておりましたが」
観客の中で、唯一の人間である一樹が尋ねた。
すると、一樹を含めて2人しか居ない生者の豊川は、しばらく考えてから答えた。
「奉納には、何が求められるのだと思いますか」
「それは奉納する相手に届いて、基本的には満足させたり、鎮めたりするものだと考えます」
奉納する側が相手を騙して、目的を達成する場合もある。
芸能事の元となった天鈿女命の踊りでは、天の岩戸に隠れた天照大神を騙して、引き出した。
だが基本的には、相手を喜ばせて御利益を得たり、鎮めて不利益を避けたりするものだと一樹は考えている。
当たり前の話だが、贈り物をする場合、受け取る相手が喜ぶ物のほうが、喜ばれる。
それでは、喜ぶ物とは何か。
「祈理は、真摯な思いと、適切な気を捧げています」
豊川が指摘したとおり、香苗は音楽に真摯な思いを持っている。
また妖狐の半々妖であるため、捧げる気には狐の気が混ざっている。
幼い孫娘のような香苗から、笑顔で「おじいちゃん、おばあちゃん、どうぞ」と渡されれば、自然と顔も綻ぶ。
生け贄のような犠牲ではなく、奉納者や周囲の負担になっていないところも、気兼ねなく受け取れて良い。
「ですから祈理の奉納は、皆を満足させています」
「はい。ですがギターは、舶来品で聞き慣れていないかと思いまして」
ギターが生まれたのは16世紀初頭で、鎖国した日本に届いたのは19世紀に黒船が来た時だ。船で来た品なのだから、ギターは舶来品で間違いない。
庶民の耳に届き始めたのは、大正時代以降。
霊狐塚の霊狐達は数百歳で、若かりし頃にはギターを聞いていない。琵琶や三味線とは異なり、聞き慣れた楽器ではないはずだ。
「皆、もう慣れています。良房様に、連れ回されたので」
「連れ回されたというのは、調伏後の打ち上げなどでしょうか」
一樹が想像したのは、虎狼狸退治後に協会長から教えられた打ち上げの慣習だ。
狐達は悪ふざけをしており、それに未成年の一樹を巻き込めないからと、協会長経由で豊川から代わりの現金を渡された。
打ち上げの場として、お姉さんがお酒を注いでくれる店、ホストクラブ、ゲイバーなどを列挙された。
そのような場で、ギターの生演奏なり、バックミュージックが流れるなりしたのかもしれない。豊川に呼び出される調伏が数年に1回だとしても、二桁の回数を練り歩けば流石に聞き慣れる。
「そのほかでも、遊び歩いています」
「打ち上げ以外でも、遊び回られるのですか?」
「……未練を残した者達を、成仏に導く意図もあるのでしょうが」
「なるほど。リーダー気質ですね」
意外に評価しているのだ、と、一樹は感心した。
そんな白面の三尾は、自身が宿る石像の台座に腰掛けながら、特等席で香苗の弾き語りを聴いている。
ほかならぬ良房が香苗の立ち位置を指定して、自分の石像を特等席にしたのであるが。
ほかの霊狐達も人魂ならぬ狐火を浮かび上がらせながら、歌唱奉納を霊体で受け取っていた。
なお撮影係は、水仙である。
「今日はここまでです。聞いて下さって、ありがとうございました」
1時間ほど歌った香苗は、お辞儀をして感謝を述べた。
すると良房が拍手をして、狐火が浮かぶ数多の石像からも、沢山の拍手が聞こえてきた。
「実に素晴らしかった。香苗君は、音楽と巫女の才能を併せ持っているようだ。そのまま技能を伸ばせば、大成していくだろうね」
「本当ですか」
褒められた香苗は、純粋に喜色を浮かべた。
「勿論だ。歌唱奉納は、なるべく行うと良いだろう。香苗君が、霊狐達から力を借りたい時には、先払いしておいた分だけ、召喚に必要な呪力が下がる」
「そうなのですか。あんまり危険なことは、しようと思わないのですけれど」
一樹と出会った頃にE級上位だった香苗は、最初からの陰陽師志望ではなく、音楽活動への協力と引き替えに勧誘された口だ。
第一志望は音楽活動で、陰陽師として活動する意思は、それほど強くない。
世間体を考えて最低限の活動はしそうだが、それが危険な妖怪と戦うことにはならないだろう。
「危険を避けるのは正しい。その上で、さらに自分の安全性を高めるために使いなさい」
「はい。分かりました」
弾き語りを聴きたい良房達に、香苗が言いくるめられた感も否めない。
復讐心で行動していない香苗は、調伏相手を選択する際、冷静な判断を下せる。そのため協会が推奨する『1等級下の相手』としか、戦わないと考えられる。
通常の調伏で、同格以下の相手であれば、雪菜が倒せる。
想定外の事態で、同格以上の相手ならば、源九郎狐達が特攻して倒してくれる。
香苗は滑石製の勾玉を2個持っており、それを使って源九郎狐達を呼べるのだ。
滑石製の勾玉は、いきなり充填できなくなって使い物にならなくなる品だが、呪力を充填できた分は使える。
そして勾玉が使えなくなれば、香苗は一樹に相談するだろう。
虎狼狸退治で豊川が行った千体の霊狐による殲滅戦などは、香苗にとっては有り得ない事態だ。
――まあ本人達が良いなら、構わないか。
自分の音楽を聞いて欲しい香苗と、無聊を慰めたい良房達との利害は、一致している。
その極端すぎる例が、安倍晴也とキヨだろうか。それに比べれば、歌唱奉納と多少の与力は、実に健全な関係だ。
互いに満足している香苗と霊狐達は、最後に水仙が構えるカメラで、Twitterに投稿するための心霊写真を撮った。
ガチ恋するファンを避けるために、同好会で撮った写真を載せたこと。
陰陽師の分野に偏りすぎており、批判されずに音楽を投稿したいこと。
豊川稲荷で承認を得た歌唱奉納であれば、世間も文句を言えないこと。
それらは説明済みで、狐達は撮影に協力してくれた形だ。
「それでは失礼します」
目的の写真が撮れた香苗は、沢山の狐火に見送られて、一樹と豊川のところに戻ってきた。
「頑張りましたね」
「ありがとうございます。歌は全然、苦ではないですから」
迎えた豊川が、澄まし顔で香苗を褒める。
すると予定を超過して、1時間ほど歌い続けたはずの香苗は、恐縮しつつ答えた。
マイク無しで、声を張りながら歌うのは、咽に負担が掛かったはずである。
それでも霊狐達の希望を叶えた香苗に対して、豊川は歩み寄って、頭を撫で始めた。
豊川の手が、香苗の頭の上で、お婆ちゃんが孫の頭を撫でるようにナデナデと優しく前後した。
一樹の視線は、香苗の後ろを歩いていた水仙に向かう。
すると水仙は撮影を続けており、豊川が香苗の頭を撫でる瞬間も撮っていた。
――よし、使えるな。
豊川の承認があるということを示す上で、豊川が香苗の頭を撫でている動画は、最適だ。
子供扱いされた香苗は恥ずかしがるかもしれないが、その動画を載せれば、もはや誰にも文句は付けられないだろう。
想定外にバズる可能性は想像できるが、『概ね大丈夫』だと、一樹は確信した。
「ところで祈理は、このまま一人で歌唱と演奏を続けるのですか」
歌唱奉納と撮影が終わり、一樹達が目的を果たしたところで、見学していた豊川が香苗に尋ねた。
「はい。今のところ誰かとバンドを組む予定はありません。1人で歌と演奏を両立するには限界があるので、組んでみたいとは思いますが、一緒に活動できそうな相手が居なくて」
香苗の説明を聞いた豊川は、なぜ組めないのかと、一樹に視線で問うた。
「香苗とほかの高校生が組むのは、A級とF級の陰陽師が、調伏でチームを組むようなものです。対等な関係なのに、極端な差があると、不満が溜まるかと」
バンドの人気は香苗に依存して、主役も香苗になる。
そのほかのメンバーは、バックミュージック扱いとなって、誰にも認められない。
音楽をやりたい高校生が、ほかのメンバーばかり褒められて、自分の音楽を認められなければ、活動していて嫌になるだろう。
香苗は収入を求めておらず、活動に付き合ったメンバーが大金を得られるわけでもない。
するとバンド内の人間関係は、香苗とほかのメンバーとの対立構造となる。
一樹が軽く想像しただけでも、メンバーの香苗に対する陰口が、聞こえてきそうだった。
「それは良くありませんね」
陰陽師で例えたところ、豊川は理解を示した。その上で、さらに言葉を繋げる。
「それでは祈理が、歌や演奏が出来る妖怪を使役しては、どうですか」
豊川の提案を理解しかねた香苗が、小さく首を傾げた。
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