145話 恐山
『日本には、地脈の力が強く流れ込む地域が存在する』
そこは霊場と呼ばれ、神社や仏閣が建てられるか、修験者が修行する場となる。
それらの地脈は、人のみならず、神仏や悪鬼邪神、妖怪にも力を与える。
霊場は、人と妖怪の取り合いになる。
妖怪に取られれば力を与えてしまうために、人は渡したくないと考える。
だが霊場を押さえている妖怪は強くなるために、居座っている妖怪を倒すのは至難だ。
とりわけ強いとされるのが日本三大霊山、あるいは日本三大霊場と呼ばれる地だ。
・青森県の恐山。
・滋賀県の比叡山。
・和歌山県の高野山。
それらは、長らく妖怪に占拠されてきた。
人が赴けば、決して生きては帰れない。
その中で比叡山だけは、昨年に新進気鋭の陰陽師が、900年振りに奪い返している。
あり得ない事態に世間は困惑し、何度も繰り返し調査がされて、先頃ようやく「どうやら奪い返したらしい」と認識されるに至った。
あまりにも信じがたいことなので、未だに世の中は半信半疑であるが。
『ところで恐山や高野山には、一体どのような妖怪が棲んでいるのだ』
科学技術が発達した現代。
現地に出向かずとも、妖怪の領域を人工衛星やドローンで、覗き見られるようになった。
だが由来が明確な比叡山の鉄鼠とは異なり、恐山や高野山の妖怪は、依然として知れない。
恐山は、青森県北東部にある下北半島の中央部に位置する活火山だ。
標高879メートルで、拓けた場所には玉石と砂利の大地が広がり、高温のガスが噴出する。
火山の噴火で誕生した宇曽利湖は、酢ほどの強酸性で、湖上に炭酸の泡が浮かんでくる。
ほとんどの生物が生息できないために、湖は青く澄んでいる。
人が知り得る恐山の情報は、その程度だ。
下北半島は、1415平方キロメートルの全域が、妖怪の領域になっている。
東京都の面積が、2194平方キロメートル。
そんな東京都全体の64%に相当する、立ち入れない土地の中心ともなれば、何が棲んでいるか計り知れない。
万物を死へと誘う晩秋。
恐山の裾野に広がる宇曽利湖に、今日は珍しく訪問者があった。
「荒ラ獅子魔王様よりの贈呈品でございます」
醜悪な黒鬼が畏まりながら、宇曽利湖の畔に進み出る。
その手から放たれたのは、1頭の亀だった。
1000年以上を生きた亀は、巨大な霊力を蓄えて、霊亀と呼ばれる。
古代中国神話では、平和となった太平の世に現れる四霊・麟鳳亀竜の1つが霊亀だ。
麒麟、鳳凰、霊亀、応竜。
その一種である霊亀を、同じ四霊の一種である応竜の天竜魔王に与える。
それは『人の世に、平和など訪れない』という意が込められていた。
宇曽利湖を中心に向かって泳いでいった霊亀は、やがて深みで音もなく、沈み込むように飲み込まれていった。
それから暫く後、霊亀を届けた使いの者に対して、湖の主から意思が届いた。
『量はさておき、贈り物としては趣があって良い』
声の主である天竜魔王が前置きしたのは、荒ラ獅子魔王の苦境についてだった。
贈呈品に籠められた気は、荒ラ獅子魔王が煙鬼を用いて、数十万人分の魂を搾り取って溜めたものだ。
呪力量としてはA級で、S級である天竜魔王を復活させるには不充分である。
荒ラ獅子魔王は十全な状況にあれば、S級の呪力を溜めて送っただろう。与える気は、天竜魔王に制約をもたらしたかもしれない。それがまったく出来ていない。
それを指摘した天竜魔王は、最後に贈り物の趣を褒めて、送り主と配達人の面目を立てた。
「ははぁ、恐れ入ります」
貶されてから褒められても、本心からは喜べない。
畏まる羅刹に向かって、天竜は言葉を重ねる。
『既に我が配下達は、復活しておる』
「おおっ!」
想定以上の状況に、羅刹は驚いた。
受肉などで復活できるのは、大魔とされるA級以上だ。
阿弥陀如来との戦いに敗れた魔王達の陣営は、その多くが討たれ、あるいは降伏している。
残った大魔は僅かだが、相手は神仏ではなく人間だ。
人間にとっては、たった1体の大魔でも、最大級の戦力を投じなければならない脅威となる。
『夜叉とは知己があるな』
「はっ、古い付き合いでありますれば」
夜叉は、羅刹や阿修羅と並ぶインドの三大鬼神だ。
男の夜叉はヤクシャ、ヤッカと呼ばれ、女の夜叉はヤクシニーと呼ばれる。
原始時代のインドでは自然の精霊と目されていたが、アーリア人がインドに入ってからは悪鬼とされるようになった。
そして大乗仏教が興ってからは、護法神として引っ張られた。
大乗仏教は、夜叉のみならず羅刹やシヴァなど、様々な存在を護法神に引っ張ったのだ。
そして仏教は中国、韓国、日本へと伝来していった。
夜叉には、善夜叉と悪夜叉がいるとされる。
日本の狐に、善狐と悪狐がいるとされるようなものだ。
人に有益であれば善狐で、有害であれば悪狐とされる。そもそも同一種で、人が行動で分類しただけだ。
すなわち『善人と悪人』の分類と変わらない。
実のところ護法神にするには、呪法と呪力があれば良い。
比叡山を開放した一樹ほどの呪力があれば使役できるし、人を守らせれば護法神である。
荒ラ獅子魔王に従っている羅刹ですら、一樹に使役されて活躍していれば、善とされただろう。
羅刹や夜叉に対する善悪の分類など、その程度でしかない。
夜叉や羅刹は、沢山居る。
中国の『聊斎志異』(1766)によれば、羅刹には『羅刹海市』という国があり、夜叉には『夜叉国』があるとされる。
すなわち、国を作れるほど居るわけだ。
荒ラ獅子魔王と戦った毘沙門天すらも、夜叉一族である。
『夜叉を派遣しよう。貴様に付いていけるだろうからな』
「はっ、夜叉であれば問題ございませぬ」
夜叉は羅刹と同様に、人に化けられて、空も飛べる。
個体差はあるが、いずれの文献でも人の姿では美しく、夜叉の姿では藍色の肌、突き立った耳、鋭い牙を持つと記される。
羅刹と同様に変化できて、空も飛べる夜叉ならば、羅刹に劣らぬ活躍が出来る。
『各地には、ほかの者達も出そう。我が復活のために、気を集めさせる』
それは天竜魔王が、苦境の荒ラ獅子魔王を囮に使うにも等しい。
「畏まりました」
はたして羅刹は、当然の如く頷いた。
 
























