144話 新たな女神
花咲市の奥地にある、相川家が所有する山々の連なり。
その全域が、僅かな神気を帯びていた。
山には清浄な空気が漂っており、小鬼が迷い込めば苦しんで逃げ出すだろう。
もっとも山には、神使の八咫烏が5羽も住んでいる。
そして最近は、大鬼の格に届いた神使の猫又も住む。
それらが住まう神山には、小鬼が紛れる余地は無い。
「合格ですね。神域は正しく作れていますし、土地の力も得られています」
「香林様、範囲と強さは、どうでしょうか」
「それは神域を作る神の力、伝承、歳月で変化します。現在の貴女が作れる神域としては、これが適切でしょう」
「ありがとうございます」
先達の女神が太鼓判を押して、新たな女神が礼を述べた。
太鼓判を押した香林は、龍神の娘であり、自らも神域を作れる。
母龍や自らの神域と比べた香林は、蒼依が生み出した神域に欠陥が無いことを保証した。
先だって蒼依は、神域を生み出せる偉業を成した。
『イザナギとイザナミが征伐できなかった五鬼王を討ち滅ぼした』
元々はイザナミの分体であった蒼依は、イザナミに関する神話を補完した。
イザナミの呪詛は『1日1000人を殺す』であり、分体を全国の山々に撒き散らし、山姥化させて人を襲わせていた。
分体の一つであった蒼依は、本体超えの偉業を成して、本体の力が及ばなくなった。
蒼依という個体は、本体から分離独立して、新たな女神に成ったのである。
これから蒼依は、どうなるのか。
すでにイザナミの支配は及んでおらず、山姥化の可能性は消滅した。
独立した女神である蒼依の子孫も、イザナミの影響は受けない。
『イザナミを由来とする、新興の山の女神の一柱』
そのように認識するのが、概ね正しいだろうか。
国生み・神生みと呼ばれるイザナギとイザナミから誕生した神は、たくさんいる。
そのため女神の誕生の仕方としては、極めて一般的な話だ。
イザナミから生まれましたといえば、ほかの生まれかたよりも腑に落ちる。
「残念ながら、人に伝わっておらず、信仰がないために、偉業の割に神格は低いようですが」
香林が指摘した伝承の格が、あえて挙げた場合の難点だ。
人に知られていない伝承は、偉業としての権威が小さく、信仰に結び付かないので、神格に及ぼす影響も少ない。
田中明神が今一つパッとしないのも、伝承を知られていないことが原因である。
現時点で蒼依は、正体不明の女神だ。
蒼依の女神としての神格を補完するならば、伝承は人に知られたほうが良い。
明確な伝承を知られ、女神として納得されれば、信仰を得られて神格が上がる。
神格が上がれば、神力の上昇によって、神域の範囲と強さも上がる。
「蒼依の功績と昇神につきましては、陰陽師協会への報告を検討しています」
「報告ですか」
「はい。この山が蒼依の神域であると、人間社会で確立しておこうかと思いまして」
香林から問題を告げられた一樹は、蒼依と共に検討していたことを明らかにした。
蒼依の寿命は、人とは異なる。
いつまで経っても年を取らなければ、やがて役所から違和感を持たれるようになる。
蒼依の祖先である山姥達の場合は、100年も経てば妖怪に襲われて食べられたことにしていたが、そんなわけにもいかない。
蒼依が人間社会と関わり続けるのであれば、女神だと認知させたほうが良い。
身元が確かな女神であれば、数百年後に公共事業で山々を開発するから取り上げるとか、おかしな流れになりそうな話が出た時にも、抑止効果がある。
人の目ならぬ神の目があるので、正体を明らかにしておけば、神に不当なことは出来ない。
蒼依が暮らしていくならば、正体は明らかにしたほうが良い。
話を聞いた香林は、それで良いのかと問うように蒼依を見た。
「協会からの公表は、高校を卒業した後にしてもらうつもりです」
「それでしたら、良いかもしれませんね」
一樹の報告は、権威が高い。
賀茂家の出自であるA級陰陽師の一樹は、900年振りに比叡山を解放し、村上海賊船団を調伏して瀬戸内海も解放した。ほかのA級陰陽師から報告が上がるのと、何ら遜色ないレベルで取り扱われる。
しかも五鬼王の征伐には、五鬼童家のB級陰陽師が2人も同行していた。
この報告が信じられないのであれば、各地の陰陽師達が上げる報告に意味など無くなる。
「つきましては、香林様が五鬼王の征討に同行して下さったこと。蒼依の神域を間違いないと確認して下さったこと。それらを報告に加えさせて頂きたいのですが、如何でしょうか」
「五鬼王の征伐と、神域の保証ですか。その二つであれば、事実なので構いません」
龍神側の保証は、権威付けに寄与する。
陰陽師協会は、最高権威でも諏訪の現人神で、A級上位だ。
対する龍神は、毛野国(群馬県と栃木県)に祀られる神であり、S級中位の力を持つ。
龍神が「蒼依が五鬼王を征討し、神域を作った」と保証すれば、協会は否定できない。神である龍神のほうが、鬼神や神術に通じているのが明らかだからだ。
「感謝申し上げます。今後も寄進は、しっかりと行いますので」
「信仰深い者には、御利益があるでしょう」
一応取り繕った言葉を返した香林は、笑顔を浮かべて感情を露わにした。
香林の笑顔は、沢山寄進しろという催促である。
一樹は素早く三度ほど頷いて、よく分かっていますと、言外に伝えた。
◇◇◇◇◇◇
「それで主様、凪紗の件ですけれど」
機嫌の良い女神が、作りたての神域を笑顔で去った後。
イザナミとは分離独立したはずの新米女神が、ご機嫌麗しからざる表情で口を開いた。
「うちへの同居は、無し、ですからね」
「……はい」
返答までに僅かな間があったのは、高校1年生の1人暮らしに思いを馳せたからだ。
そして素直に応じたのは、相川家が蒼依の家だからである。
B級陰陽師の凪紗は、金銭に関しては、困る立場では無い。
一軒家と家政婦くらい、依頼でC級妖怪の1体でも倒せば、すぐに用意できる。
仕事で手伝いを求める際に来てもらえば、事務所のバイトも成り立つ。
「そういえば猫太郎、強くなったなぁ」
あからさまに話題を変えて、一樹は荒ぶる女神の怒りを逸らしたのであった。
今話にて、第5巻(10万字+α)が終了しました。
引き続きお楽しみ下さい!
























