142話 境界の入り口
「五鬼王の捜索を再開する」
見鬼の才能を持つ凪紗を加えた一樹達は、再び宮城県北部に向かった。
一行は、一樹と蒼依のほかに、沙羅と凪紗、そして香林である。
龍神から派遣された香林は、仕切り直しであるにもかかわらず、再度付き合ってくれた。
「何度もお付き合い頂いて、すみません」
一樹が頭を下げると、香林は微笑んだ。
「寄進の御利益です。今後とも、よしなに」
香林の要求は、一樹にとって有り難かった。
龍神の陣営に力を借りた対価に、一樹も力を貸すとなれば、大変な仕事になる。
なぜなら、現在の龍神陣営が手を借りるような相手ともなれば、少なくともS級下位だったムカデ神以上の相手となる。
何かを手伝えと言われるよりも、金を渡すほうが確実に楽だ。
魔王戦に従事した一樹は、それなりの金をもらっている。
「かしこまりました。現代では、お金も掛かるでしょうし」
「そうなのです。うちは、姉妹も多いですから」
「姉妹ですか」
伊勢崎市によると、赤堀道元姫は400年以上前、戦国時代の終わり頃の生まれである。
ムカデ神と争っていた蛇神が、戦力として1年に5人の娘を生み出していたとすれば、少なくとも2000人の娘が誕生している計算だ。
それらはムカデ神の子供達との戦いで命を散らしていったが、本丸である赤城山は蛇神に守られていたので、壊滅していたわけではない。
生存率が1割だと仮定しても、200人は生き残っている。
赤城山から男体山に至る広範囲の土地は、龍神の実効支配する領域となった。
これが昔から人間の街中にある社であれば、お参りに来る人間に加護を与えて、代わりに寄進を受け取るサイクルが完成されている。
だが領域を変えたことと、人間の街中から遠すぎるために、お参りに来る人間は居ない。
妖怪の領域なので税金は一切掛からないが、服や化粧、生活用品はタダではない。人間社会から、真っ当な手段で物資を調達するには、調達する物資に見合う金が掛かる。
ちゃっかり者の姉は、一樹からガッポリと稼ぐ魂胆であるらしい。
すなわち一樹が困っていれば、寄進と引き替えに、力を借りられるということだ。
――意図が明確で、むしろ信頼が置けるな。
香林との相互利益を確認した一樹は、次いで新たに加わった凪紗に、方針を説明した。
「五鬼王は、石巻市と登米市の中間付近の東側にいるはずだ。そこを探していく」
「伝承が2つの市に伝わっているから、二つの市の中間を探すのですよね」
「そうだ」
「東側になるのは、なぜですか」
「人の居住地が西で、妖怪の領域が東だ」
宮城県の石巻市は、南が太平洋に面する港町である。
森、山、川、海といった自然が豊かな土地で、水や食糧の確保が容易だった石巻市には、古くから人が住んでいた。
旧石器時代の貝塚が見つかっており、日本書紀にも昔の地名が載っている。
そのように昔から人が暮らす石巻市であるが、人間の領域は西だけだ。
旧北上川を挟んだ東側、そして南東に突き出た牡鹿半島は、妖怪の領域である。
面積で考えれば、8割以上が妖怪の領域に属している。
「田中明神に追われた五鬼王は、最終的には東に逃げたはずだ。人里から離れなければ、田中明神が追いかけ続けたはずだからな」
一樹の予想に対して、沙羅が補強する言葉を付け加えた。
「あるいは人間側が、五鬼王が追い払われた土地とは別のところに住んだかもしれません。大昔の話ですから」
「そうだな。そういうことも有り得そうだ」
石巻市の周辺では、人は西に住み、妖怪は東に住んでいる。
石巻市の北に位置する登米市も、やはり北上川を挟んだ東側が、妖怪の領域となる。
もっとも、厳密に地形で分かれているわけではない。
川の西側にも妖怪の領域はあるし、東側には人間が進出した地域もある。
人間が東側に進出したのは、銃火器が発展して、生存圏を拡大させようとしたからだ。
川の対岸が集中的に拓かれたが、現在では放棄されている。
自衛隊の連隊を投入すれば、市の4倍の広さがある山地に住む妖怪を殲滅することは、可能かもしれない。大鬼が住んでいれば難しいが、中鬼くらいであれば出来るだろう。
だが、殲滅した妖怪が怨霊化すれば、物理攻撃が効かなくなる。それらをすべて祓うなど不可能で、開発計画は頓挫となる。
東側は放棄されて、架けていた橋も、妖怪が来ないように落とされた。
東の川岸には道路も伸びているが、使っている人間は居ない。
「北上川の東側を歩きながら探す。凪紗は見鬼で見てくれ」
「分かりました」
一樹の式神である幽霊巡視船には、7メートル型高速警備救難艇や、複合型ゴムボートもある。それらは巡視船よりも遥かに水深の浅い場所を航行することが出来て、幽霊なので座礁もしない。
それで川を渡ろうと考えていた一樹は、凪紗に掴まれた。
「川を渡りますね」
「いや、待て待て」
焦った一樹は、慌てて凪紗を止めた。
そしてジッと見詰める蒼依を一瞥しながら、咄嗟に言い繕う。
「五鬼王に逃げられたら困るから、力を隠して移動するんだ。凪紗が金翼を広げて飛び立ったら、五鬼王から注目の的だろう」
「隠形も得意ですよ」
「いや、慎重を期して船で渡る。出てこい複合艇」
一樹が影に呼び掛けると、北上川の川岸に、海上保安庁という文字が入った複合艇が現れた。複合艇には、ヘルメットを被った隊員も乗っている。
召喚によって放たれた呪力は、皆無に近い。
そして五鬼王が肉眼で見ていたとしても、ゴムボートを脅威だとは思わないだろう。
少なくとも金翼の天狗が空から向かってくるよりは、遥かに危険性が低いと認識するはずだ。
「部分使役ですか」
感心した凪紗は、応じる素振りを見せた。
そのタイミングで一樹は蒼依の手を引いて、一行を引き連れて複合艇に乗り込んだ。
それで容易く川を渡ると、一行は東側に伸びる人影の無い道路を歩き始めた。
北上川の東側は、妖怪の領域である。
両市の山と森は、宮城県の北部にある岩手県、さらに北の青森県や西の秋田県とも繋がっている。南下すれば、宮城県西部の森林地帯や、その西の山形県にも連なる。
それら妖怪の領域は、本州の端である和歌山県や、山口県までも続く。
すなわち本州に存在する妖怪は、妖怪の領域を移動して、本州のどこに出現してもおかしくない。妖怪の領域では、どのような妖怪が飛び出してくるか分からない。
踏み入った陰陽師の殉職率が高いのは、想定外があるからではなく、そもそも出現する妖怪を想定し切れないからであろう。
妖怪の領域に踏み込んだ時点で、狩人は、同時に狩られる側にもなる。
そんな妖怪の領域である山に踏み入った5人は、平然と歩みを進めていった。
1人は、山姥の孫で、山の女神の見習い。
2人は、鬼神と大天狗の子孫。
1人は、山々の女神である龍神の娘。
いずれも山に通じているどころか、山にいるのが当然の存在だ。
そして一樹は、妖怪の領域よりも遥かに酷い世界を知っている。その世界に比べれば、一樹が歩いている場所は、単なる野山にも等しかった。
――少し生態系が異なるだけの、単なる野山だな。
一樹にとっては、荒ラ獅子魔王が支配する領域でも、恐ろしくはない。
もちろん荒ラ獅子魔王は、自分を殺し得る脅威だと認識する。それでも、魔王の領域が怖いかと問われれば、首を傾げざるを得ない。
渦巻く怨念は『軽めの地獄』を想像させるが、頭に『軽め』と付けてしまう程度の認識だ。
だから一樹にとっては、見つけにくかったのかもしれない。
歩いていた凪紗が立ち止まり、一樹のほうを振り返った。
凪紗の表情は、この先が五鬼王への境界の入り口だと、訴えていた。
 
























