134話 花咲湾にて
多数の船舶が停泊している花咲湾内。
その中で、花咲学園から徒歩7分に位置する港ドックに、一際大きな船が停泊していた。
船体は、全長117メートル、最大幅14.8メートル。
30階建てのオフィスビルに匹敵する大きさで、建造費は約144億円。
民間船には存在しない武装もあって、40ミリ機関砲を2門備えている。
船の規模は、大型客船、タンカー、コンテナ船などには大きく水をあけられる。
船の武装は、同規模の現役軍艦とは比べるべくもない。
客船ほどの豪華さや充実した設備はなく、輸送船ほどの物資も運べず、軍艦ほどの武装もない。だが一点だけ、他の追随を許さない圧倒的な特性を備える。
それは、式神として使役された幽霊船である点だ。
「うひょーっ、幽霊船だ!」
「でけぇ、やべぇ!」
幽霊船に乗り込んだ1年3組の生徒達から、歓声が上がった。
潮風に身を曝しながら、ヘリコプター甲板の上で何度も飛び跳ね、船上から湾内を見渡す。
花咲湾内には、小型船舶が停泊するマリーナ、輸送船の船着き場、大型船も修理できる港ドック、漁船が出入りする漁港、フェリー停泊所、海洋水族館などが、ズラリと並んでいる。
陸上には、関連施設が建ち並び、道路を挟んだ先には花咲市の民家が連なっている。また花咲湾には、花咲学園もあって、大学、高校、専門学校、幼稚園などが集中する。
人口17万人ほどの花咲市は、多大な財を成した花咲家が切り拓いていった田舎だ。
切り拓いた土地で必要になったものは、過去の花咲家が揃えていった。
それが現在の花咲グループの前身である。
市民の就職先は、大半が花咲グループとなる。直接就職した家族が居なくても、花咲が作った各種施設は、市民であれば必ず利用している。
そのため市長や市議会議員は、花咲からの後援の有無で決まると言っても、過言ではない。花咲グループは、周辺の市町村にも進出しているので、周辺も花咲家の影響を強く受ける。
元々が山村だった花咲市と周辺の市町村は、半分くらい花咲で成り立っている。
――小太郎も大変だ。
小太郎が継承することになった花咲は、そのような家だ。
湾内と周囲を見渡せば、かなり発展しているように見えるが、連なる建物の先には山脈がある。山のほうには花咲湾を一望できる旅館もあって、その先は妖怪の領域となる。
そんな花咲市を幽霊船から見渡した北村は、昂揚した様子で一樹に尋ねた。
「ヘリ甲板がある幽霊船って、珍しいよな!」
「そうだな。まず無いな」
幽霊船自体は、世界中の海に数え切れないほど存在する。
古今東西、海で沈んだ船は枚挙に暇がない。
その中で、船員の強い無念や怨念、その他の様々な条件が揃うと、幽霊船が発生する。
新天地を求めて、道半ばで果てた、数千年前の木造船。
村上海賊のように、歴史の中で滅んでいった海賊集団。
財を求めて大海原へと出港し、沈没していった交易船。
国家間の戦争で、任務を果たせずに沈んでいった軍艦。
造船技術と航海術が発達した近年は、沈没する船自体が減っている。
大型船には救命ボートなどが備え付けられており、乗員が全滅することも滅多になくなった。
巡視船は、一般船に比べてダメージコントロールに優れている。
水面下の下甲板は、法定基準より遥かに多い隔離区画に分けられている。1区画が浸水しても、ほかの大多数の区画には浸水が広がらないので、沈没しない設計だ。
ディーゼルエンジンの主機4基は、別々の区画に分けて設置されている。機関室も複数あって、区画が分かれており、1ヵ所が駄目になっても航行不能には陥らない。
このような船が、理不尽に沈没して、乗員が逃げられずに全滅し、無念から幽霊船と化すような事態は、基本的には起こり得ない。
「この船って、2020年に就役したんだよね」
一樹と北村の会話に、絵理が入ってきた。
「よく知っているな。その通りだ」
「だって、テレビで何度も報道されて、有名じゃん」
普通の女子高生は、巡視船の就航年度など知るはずもない。
感心した一樹に対して、絵理は呆れた表情を浮かべながら言い返した。
絵理が呆れたのは無理もなく、一樹が使役した幽霊巡視船のPL200に限っては、テレビで何度も報道されている。
巡視船の諸元は、村上海賊船団を殲滅した頃、頻りに報道された。
その後は、バラエティ番組で芸能人、討論番組で専門家らが話のネタにしていただけだったが、魔王の支配地域に対する強行偵察で、再び大きく取り扱われた。
絵理が知っているのは、それなりにテレビを見ているからだった。
「俺は、自分の話題を扱うテレビ番組は、あまり見ない」
「どうして」
「正しい情報の伝達であれば、陰陽師協会がホームページに掲載すれば済む。コメンテーターは、視聴率を上げるために変なことも言う」
一樹が断言すると、絵理は事務所の所員である蒼依と沙羅に、問い掛けの視線を投げた。
すると蒼依と沙羅は、揃って頷きを返す。
テレビのコメンテーターには、本物の専門家もいるが、番組を盛り上げて視聴率を上げるために、おかしな発言をする人間も呼ばれる。
そうやって視聴者の関心を引き、チャンネルを変えさせないことを企図するのだ。
――ようするにバラエティ番組だな。
民放のバラエティ番組は、視聴率を上げて、スポンサーのコマーシャルを入れて稼ぐことで、経営が成り立っている。
そのような番組では、正しい情報は求められていない。
自身を面白おかしく扱う番組など見ていないと知った絵理は、一樹に質した。
「それじゃあ、幽霊船を作ったらどうだ……って言う話も、知らないのかな」
「なんだ、それは?」
「同じ大きさで、もっと強い武器を積んだ護衛艦もあるから、そっちを沈めて使役して貰えば良いってテレビでやっていたよ」
意図的に幽霊船を生み出す。
そんな考えがあることを聞かされた一樹は、呆れた溜息を吐いた。
船の戦闘力に関しては、一樹も調べたことがある。
一樹が見たのは『もがみ型護衛艦』という艦で、全長133メートル、最大幅16.3メートル。みやこ型巡視船よりも一回り大きいが、幽霊船ならば使役可能と思われた。
武装は、62口径5インチ砲(127ミリ単装砲)1門、無人砲塔2基、ミサイル発射機16セル1基、艦対艦ミサイル4連装発射筒2基、324ミリ3連装短魚雷発射管2基。
40ミリ砲から127ミリ砲に代わると、どの程度の威力向上が見込めるのか。
艦対艦ミサイルの射程は400キロだが、400キロ先の霊体は補足できるのか。
いずれにせよ使役できれば、一樹が新たな魔王に認定されるだろう。
――船の攻撃力は、今で充分なんだけどな。
一樹が幽霊巡視船を欲したのは、避難先を確保するためだった。
世界がゾンビに支配されるような事態を妄想してであったが、荒ラ獅子魔王が煙鬼を出してすら、それは起こりそうにない。
だが瀬戸内海の海賊退治で乗船することもあるので、居住性は重要だ。
護衛艦は兵装に優れるが、武器弾薬と乗員が多くて密度が高くなり、居住性は悪い。
巡視船と護衛艦を交換できると言われても、一樹は躊躇いを覚える。
もっとも護衛艦の使役は、現実的ではない。
怨霊化する場合、恨みを向けるのは、沈めた側になる。
一樹が陰陽師国家試験を受けた際、蒼依に説明した犬神の怨念の作り方と同じだ。
最初から「沈没したら賀茂に使わせよう」などと考えて送り出されたら、送り出された側の乗組員は不満に思うだろう。
恨みを募らせた幽霊船員の1人が、砲塔の1門を一樹に向けたら、そこで人生は終了する。
「凄い軍艦を使役するのは、そのコメンテーターに任せる」
「それ、絶対に無理じゃん」
一樹は肩を竦めて、議論の終わりを伝えた。
「それよりもメイド喫茶だ。晴れたから、ヘリ甲板でやる。衣装を貸してくれた卿華女学院の生徒は、第二公室へ。焼きそばは、巡視船の厨房で作って、乗船タラップの手前で販売する」
「はいはい。男子には、キリキリ働いてもらうよ」
男子の仕事は、調理だけではない。
交通整理も仕事の内であり、幽霊巡視船員の一部と共に、客の誘導も担う。
文化祭の開始から2時間前の現在、すでに数十名の客らしき一般人が周囲に姿を見せている。
2時間前に数十名が待っている時点で、すでに危うい。
「おし、任せろ。賀茂、客寄せで牛鬼に、看板を持たせてくれよ。インスタ映えのサービスだ」
「式神の使用許可は取っておいたが、どうなっても知らないぞ」
一樹は少なからぬ不安を覚えつつ、文化祭当日の準備を進めていった。
























