128話 風雲・金山城
金山城の日ノ池は、山頂に有りながら水が湧く不思議な池である。
そのため戦いの勝利や、雨乞いなどの儀式に用いられてきた。
そんな日ノ池から、二尾の狐によって、盛大な狼煙が打ち上げられた。
『狐火』
炎の塊は、周囲のどこからでも確認できるほど、遙か高みへと伸びていった。
そして眩い光を放った直後、大きく膨れ上がって、上空で弾け飛んだ。
それはあたかも、ミサイルが爆発したかの光景だった。
赤と黄色の閃光が迸り、炎が膨れ上がって、金山の全域に轟音と熱風が襲い掛かっていく。
『花咲など、皆殺しに出来る』
犬神を継承しても調子に乗るなと、人間に身の程を知らしめながら、春は選定試験を開始した。
直後、候補者の4人が叫ぶ。
「皎」
「シロ」「ポチ」「ニンジン」
開始前から距離を取っていた1人と3人との間で、4頭の分霊が激突した。
小太郎の犬神・皎が、格田の犬神・ニンジンを体当たりで弾き飛ばす。
大地を踏みしめた皎は、力強く跳ね飛んで愛奈の犬神・シロに飛び掛かった。皎を迎え撃つシロの後ろでは、助井の犬神・ポチが駆け抜けていく。
犬神達の能力は、D級からE級の術者が籠めた呪力に見合う程度でしかない。
だが頭数差を活かしたポチは、皎の迎撃をかいくぐり、小太郎に襲い掛かった。
『奉鎮・鉄長刀子』
小太郎がポケットから、紙製の鎮物を取り出した。
それは瞬く間に短刀へと変化して、飛び掛かってきたポチに叩き付けられた。
『ギャワンッ』
呪力が籠められた短刀が、ポチを弾き返した。
数メートルを押し返されたポチは、四つ足で体勢を立て直しながら、小太郎の短刀に警戒の眼差しを向けた。
残る3体の犬神達も睨み合い、刹那の膠着状態が生まれる。
「ずっるーい!」
「どこがだ」
愛奈が抗議の声を上げたが、小太郎は即座に切って捨てた。
試練の開始前、春は「ご自身の力や犬神の分霊を使い、突破して下さい」と告げている。
「鎮物を作成したのは、俺自身だ。これらの鎮物は、俺の力だ」
「だったら、こっちもコレを使うから!」
愛奈が取り出したのは、滑石製の勾玉だった。
滑石製の勾玉は、翡翠に比べて入手が容易く、加工も簡単だ。
そのため勾玉は、古墳時代の前期に翡翠製だったものが、中期には滑石製に代わっている。
そして後期には、緑色に限られていた勾玉が、緑色ではない瑪瑙へと変わって、呪力も薄れて、廃れていった。
瑪瑙製の勾玉が登場した辺りで、呪力を籠める技術は、失伝したのだと考えられる。
効果に乏しい瑪瑙製が主流となった理由は、日本に記録が無いために、定かではない。だが三種の神器の一つ『八尺瓊勾玉』が影響した可能性も考えられている。
神授の八尺瓊勾玉は、瑪瑙製だ。
そのため瑪瑙製が正しいと思い込み、人の身で神造品を模倣して、失敗したのかもしれない。
愛奈が取り出した滑石製の勾玉は、技術の失伝前に作られた、本物の効力を持つ勾玉だった。
「おい、それはお前の力じゃないだろう」
滑石製の勾玉は、価値が高くて、入手も困難な霊物だ。
誰でも使えて、物理が効かない霊体に対しても有効で、再生産はできない。
勾玉を求める国や組織は日本に留まらず、近年では他国に買い負けている。
愛奈が勾玉を持てるのは、旧財閥で軍需産業にも強い三戸家であればこそだ。
三戸家の力で入手した勾玉と、小太郎自作の鎮物。
その二つを一緒くたにされた小太郎が、強い口調で違いを指摘すると、愛奈はまったく悪びれずに言い返した。
「どんな動物でも、生まれながらに差があるよね。身体の大きさ、身体能力、知能、容姿、呪力、生まれた国や場所、同族や家庭内での立場。すべてを含めて、わたしが持っている物は、わたしの力だよ」
「……ちっ」
「それじゃあ行くよ。臨兵闘者皆陣列在前……」
愛奈が掲げた勾玉が、白光を迸らせて、愛奈の犬神に呪力を送り込んだ。
「シロちゃん、やっておしまい!」
『バウッ』
愛奈の指示で駆け出したシロが、正面に立ち塞がる皎に襲い掛かった。
苦々しい表情を浮かべた小太郎は、自らも呪を唱えて犬神に気を送る。
「臨兵闘者皆陣列在前」
小太郎の気を受け取った皎が、シロを迎え撃つべく駆け出した。
そして2体の分霊は、正面からぶつかり合う。
激突した両者の優劣は、一目瞭然だった。
より大きなシロが弾き返されて、土に塗れながら、地面をゴロゴロと転がっていく。対する皎は、かすり傷程度で健在だった。
「ポチ」「ニンジン」
皎が前に出た隙を突いて、助井と格田が各々の分霊を突撃させた。
駆け寄る2体のうち、ポチに向かって右手で短刀を構えた小太郎は、もう1体のニンジンに左手を向けた。
『奉鎮・鉄盾』
左右に掲げられた短刀と盾が、左右から迫った分霊2体を弾き返す。
左右から同時に衝撃があったが故に、小太郎はどちらにも押し出されずに、踏み留まれた。だが分霊の突撃は、決して軽いわけではない。
E級妖怪であれば、牛やイノシシが突進するくらいの衝撃はある。
D級妖怪であれば、ワニに噛まれて振り回される程の衝撃になる。
2体の分霊は、E級とD級の間くらいの力を持っていた。
たたらを踏んだ小太郎のところへ皎が舞い戻って、ポチとニンジンは一度下がった。
「どうして!?」
勾玉を使いながら押し負けたことに、疑問を抱いたのだろう。
小太郎とて知る由もないが、春が『ご自身の力や犬神の分霊を使い』と言っていたことから、想像は付く。
勾玉に籠められた呪力は、愛奈自身のものではなかったのだろう。
そのため自身の犬神に力を加算させられず、シロは地力で突進したのだ。
対する小太郎の犬神は、小太郎の呪力で力を加算された。
だから小太郎の皎は、愛奈のシロに押し勝ったのだ。
もちろん小太郎は、敵に状況を説明する気など無い。
強行するのは困難だと理解した愛奈は、ポケットから2つ目の勾玉を取り出して、助井と格田に1つずつ手渡した。
「攻撃には使えなくても、防御には使えるでしょ。2人で、小太郎くんを足止めして」
助井と格田は受け取りつつも、怪訝な表情を浮かべる。
「お嬢は、どうなさるので?」
「わたしは干珠を目指すわ」
「それが順当でしょうね」
納得して小太郎に向き合う2人に対して、愛奈が背中から声を掛ける。
「助さん、格さん、やっちゃって!」
「承知」
「畏まりました」
主の命を受けた2人が、威風堂々と前に進み出る。
2人の後ろからは、愛奈とシロが西矢倉台通路に向かって駆けていく。
そんな愛奈を見送った助井は、右手で頭を掻き、笑みを浮かべながら小太郎に宣言する。
「悪いが、時間稼ぎに付き合ってもらいたいな」
「2対1で勾玉も使えば、足止めは出来るだろうな」
小太郎が油断せずに告げると、格田は不思議そうに尋ねた。
「こちらも同じ分霊で、勾玉も持っています。自分が負けるとは、思わないのですか」
怪訝な表情で尋ねる格田に対して、小太郎は不敵な笑みを浮かべた。
「そちらが陰陽師であれば、呪力が低くても、技術次第では不利になっただろう」
「つまり負けないと?」
「やってみれば分かる」
もはや言葉は不要とばかりに、小太郎と2人は睨み合った。
2人どころか、3人がかりでも勝てない可能性について、愛奈の陣営は理解している。そうでなければ、最初に3人がかりで倒していた。
小太郎が『鎮め物』を操り、自力で犬神を弾き返したことは、愛奈にとっても想定外だった。いくら血縁関係があるとしても、花咲家の技術を三戸家が知らされているわけではない。
だが干珠という目標が示されているのだから、それまでの時間さえ稼げれば良い。
西矢倉台通路を駆け抜けた愛奈は、狭い物見台下堀切を抜ける。
物見台下堀切は、岩盤を人の手で削って造った狭い道だ。わざわざ狭くしているのは、城を落城されないためである。その先には石積みの虎口があって、戦国時代に突破しようとすれば、矢が飛んできた。
戦国時代以前、犬神が干珠を取り返そうとしたときには、狐火でも飛んできただろうか。
そこまで、特に妨害されることもなく進んだ先には、広い空間があった。
「何これ!?」
そこには、木製のフレームで作られた、大きな壁が置かれていた。
壁の正面には、紙が貼られており、大きく『海』と『山』と書かれている。
そしてフレームの上部には、次の文字が書かれていた。
『花咲家の犬神が遊びたいのは、どちらでしょう?』
愛奈が付いてきたシロに視線を向けると、シロは無垢な瞳で、尻尾を振りながら見返してきた。
「わたしが選べば良いの?」
「バウッ」
時間稼ぎをしている助井と格田は、どこまで耐えられるか分からない。
至急の判断を求められた愛奈は、海に向かって走り出した。
「花咲か爺さんと海辺で遊んでいて、暗くなって、もっと遊びたいって思ったんでしょう。わたし、ちゃんと知ってるよ!」
言い切った愛奈は、確信と共に『海』と書かれた紙を突き破って、その先に飛び込んだ。
そして愛奈が突き進んだ先は、泥沼になっていた。
愛奈は事故に遭ってスローモーションになったかのように、ゆっくりと流れる世界で、泥沼に向かって落ちていく。
咄嗟に大きく目を見開いて山のほうを見ると、そちらも泥沼だった。
そして中間点こそが平地になっており、マットレスが引かれている。
『……どうして!?』
愛奈が最後に見た前方には、看板が掲げられていた。
『両方で遊びたいそうです』
愛奈は表情を歪めながら、泥沼へと落ちていった。
























