126話 継承の儀
「生血鳥を探しに、先月来たばかりだな」
良房から犬神の試練への立ち会いを求められた一樹は、群馬県太田市を訪れた。
新田家は、元々は源氏の子孫だ。それが上野国新田荘(群馬県太田市周辺の荘園)を任されて、新田と名乗るようになった。
太田市に金山城を築いたのは、犬神と争った新田義貞の曾孫にあたる、岩松家純である。
「賀茂様は、この辺りに来られたのですか?」
一樹の呟きに、二尾の妖狐が首を傾げた。
彼女は犬神と干珠を奪い合ったお辰狐の娘で、お春だ。
花咲家における犬神継承の儀では、主催者を務めている。
――鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞と共闘した狐の娘です……とか、時代感覚が狂うな。
人間と比べて、妖狐は長生きだ。
仙術を学んで二尾に至れば、寿命が900年に届く。
新田義貞は、1301年の生まれで1338年に没しているが、その頃に共闘したお辰が後に産んだ娘であれば、余裕で生きている。
もっとも三尾に至るのは非常に難しく、二尾の大多数は二尾で終わるが。
妖狐に対して人間は、代替わりも甚だしい。
新田義貞の子孫にあたる岩松家は、重臣の由良氏に下剋上されて、金山城を奪われた。
そして下剋上した由良氏は、従った北条家が豊臣秀吉に滅ぼされて、金山城を廃城にされた。
妖狐に管理を任せていなければ、いずれかの時点で干珠を失っていただろう。
すると犬神が激怒して、原因となった北条家や豊臣家に突撃していたかもしれない。
――歴史が変わってしまうな。
人間でA級妖怪を止められそうなのは、五鬼童家の当主くらいだ。
だが五鬼童家の当主を四六時中、お殿様に貼り付けるわけにも行かない。どこかで隙が生まれて、お殿様は犬神に狩られる。
『御注進。金山城を廃城にした豊臣家が、怒った犬神に倒されたとの由』
報告を受けた徳川家康も、唖然とするだろう。
秀吉が犬神に狩られた場合、家康は花咲家の犬神を盛大に祀っただろうか。
すると徳川綱吉が定めた生類憐れみの令も、犬に限っては、『徳川家ならば仕方がない』と世間は納得したかもしれない。
「つい先月、血吸鳥を探しに太田市まで来ました。金山城には寄りませんでしたが」
「そうだったのですね。血吸鳥は、倒されたのですか?」
「はい」
「それは重畳にございました」
まるで他人事の言い草だが、金山城跡は、春の所有物ではない。
れっきとした国の指定史跡であり、住み着いた妖怪の対策は、管理者が責任を負う。
そして被害は、極論すれば血を吸う蚊と変わらず、小鬼1匹にも劣る。
結果として、一樹の調伏まで放置され、羽団扇の素材となって、現在は魔王対策に役立っている。
「さて、継承候補の皆様も、お揃いでございます。始めさせて頂きます」
「分かりました」
金山城跡の総合案内板前には、一樹と春のほかに、4人の候補者が集まっていた。
1人は一樹のクラスメイトである小太郎だ。
そして残る3人のうち1人についても、一樹は面識を持っていた。
それは先日、卿華女学院でメイド服を着て、一樹を案内した愛奈だった。
――花咲は、財閥と血縁関係があるのか。
旧華族で、旧財閥の令嬢。
立派な家柄である三戸愛奈は、同じく立派な家柄の花咲家と血縁関係があったらしい。
残る2人の男性は、一樹が知らない相手だった。
第一印象としては、1人が陽気な新社会人、もう1人は真面目そうな大学生に見えた。
いずれも愛奈の傍に居て、親族間の関係では、小太郎よりも愛奈に近いのだと窺える。
「お集まりの皆様、お待たせ致しました。これより花咲家の氏神、継承の儀を執り行います」
春が宣言すると、その傍らに白い犬が姿を現わした。
それはA級の花咲陰陽師が、羅刹と戦うに際して用いた犬神で間違いない。
犬種は、紀州(和歌山から三重県南部)で生まれた紀州犬だ。
紀州犬は白色が大半で、忍耐心が強く、落ち着いた性格が多いとされる。飼い主に対しては忠実で、真面目だ。
氏神として代々の子孫を守るには、犬種的に相応しいタイプだろう。
花咲家に憑いた犬の霊は、花咲か爺さんの子孫達に向かって舌を出しながら、ハッハッと親しげに笑顔を向けていた。
「時は、鎌倉時代に遡ります。花咲家の犬がもたらした宝、それを隣家の爺が盗み、売り払いました。その宝は幾人もの手を渡り、後に鎌倉幕府を滅ぼす、新田義貞の下へ届きます」
春が語り始めたのは、妖狐と犬神が『干珠』を取り合った物語だった。
錦着恋山守では、盗む側が悪者とされている。
だが春は、花咲家の犬神が奪われた宝を取り返そうとしたのだと明言した。
もっとも新田家側も、盗品とは知らずに正当に手に入れており、宝を守ろうとした行動は当然だったとも付け加える。
犬神は取り返しに来たが、新田家も正当に手に入れた品。
互いに譲らず、力の強い犬神と、良房の子孫で妖狐に守られた新田家との奪い合いとなった。
結果は、どれだけ追い払っても向かってくる犬神の霊に、妖狐が手を焼いて妥協した。
当事者間で話し合いが行われて、宝は妖狐が管理する代わりに、花咲の継承は手伝う約束を交わして決着したのである。
「選定方法は、継承候補者が、宝を取りに来る犬神を手伝う試練となります」
そこまでを語った春は、持参していた紫の布を解き、拳くらいの大きさの珠を取り出した。
「これなるは、干珠。かつて神功皇后が龍神から授けられた『神授の霊物』です」
居並ぶ4人と同様に、一樹も干珠に目を奪われた。
天皇が海神から授けられた霊物であり、格としては『三種の神器』に次ぐほどに高い。
籠められた龍気は抜けており、海神の力を振るえる現人神の今上天皇、龍神、龍気を持つ一樹などが補充しなければ、おそらく使えない。
だが神力を発動できずとも、龍珠が発する威圧感は、一樹に伝わってきた。
「過日、花咲の先代が没しました。それを機として、不当な継承を目論んだと思われては不本意。故に今回、狐と犬に中立な者として、賀茂陰陽師に立ち会いをして頂きます」
紹介された一樹は、4人に向かって一礼した。
一樹は、魔王との戦いで、花咲の前当主や犬神と共闘した。また虎狼狸退治では、気狐の豊川とペアで共闘した。
両者に対して友好的であり、買収や脅迫も通じない。
A級陰陽師が金に困ることはあり得ないし、脅して恨みを持たれ、死後にA級の怨霊に成られては堪らないのだ。
――豊川稲荷の集団ですら、花咲家の犬神1体に手を焼いたからな。
B級と評価された比叡山の鉄鼠ですら、900年以上も祓えなかった。
一体誰が、A級の相手を脅せようか。
「続きまして、継承候補者をご紹介します。花咲小太郎様、三戸愛奈様、助井三郎様、格田彦六様。以上の4名が、花咲家の氏神を継承する候補者となられました」
あらかじめ面通ししていたのだろう。
春は4人を見渡しながら、スラスラと名前を挙げた。
そして4名のうち3名が花咲ではないことについて、補足する。
「息子が嫁を迎えるのと、娘が嫁に行くのとは、どちらの子孫も花咲の血が半分で変わりません。花咲の氏神は、男系が継承する定めは、ございません」
明治31年から昭和22年までの旧民法では、家督相続は長男が1人で行うものとされていた。
その頃に疑義でも呈されたのか、春は相続の基準について丁寧に説明した。
「皆様はいずれも、幼少期に氏神が化けた犬の分霊と、触れた経験があるはずです。三戸様は、犬と触れた思い出はございますか」
「あります!」
問われた愛奈は、氏神が化けて接触してきたという話に、驚きで目を見開きながらも思い出を口にした。
「幼稚園の頃、家の庭に白くて大きな犬がよく入ってきて、撫でて遊んでいました。でも、お父様もお母様も、居ないとか、見えないって言って」
「それで、如何様になられましたか」
「それでも居るって言ったら、最初はおかしいって言われました。でも、急に何も言わなくなって、その犬と遊んであげなさいって。小学校の高学年までは、時々遊んでいたかも」
愛奈は語りながら、当時の両親の行動に、得心がいった様子だった。
愛奈の両親は、娘が花咲家の氏神から見定められていることに気付いたのだ。
その上で、氏神と氏子との純粋な接触には、下心満載の大人は関わらないほうが良いと判断したのだろう。干渉を避けて、見守り続けたらしい。
「あー、全部納得しました。シロちゃんが居なくなったのは、年を取ったのかとか、呪力があるから霊が見えたのかとか、色々と思っていたけれど、氏神だったのかぁ」
懐かしむ愛奈に対して、春は鷹揚に頷いた。
「さようでございます。花咲爺の血を引き、継承資格のある者に対しては、犬神が事前に見定めを行っております。三戸様は、予選を突破されました」
「そっかぁ。普通に楽しかったんですけれど、それなら子供とかにも言わないほうが良いですよね。言っちゃうと、純粋に遊べないと思いますし」
春は微笑みを浮かべながら、愛奈の質問に沈黙で応じる。
そして次に、助井へと目を向ける。
助井は、一樹が『陽気な新社会人』の第一印象を受けた男だ。
「助井様は、幼少期に犬と触れた思い出は、ございますか」
「小学校へ登校するとき、登校班を置き去りにして、ポチと一緒に走って学校に行っていたなぁ」
問われた助井は、右手で頭を掻きながら、照れ気味に答えた。
「下校の時も、一緒にダッシュしたなぁ。中学は自転車通学になって、一緒に走らなくなったから終わったけど」
助井は「やっちまったなぁ」という軽い感じで、口元に笑みを浮かべていた。
もっとも、この場に居る以上は、氏神から継承の候補に含められている。そのため中学で走らなくなったことは、失態ではない。
そのためだろうか、一樹から見て助井は、惜しいとは思っていない様子だった。
次いで春は、格田に視線を向けた。
格田は、一樹が『真面目そうな大学生』の第一印象を受けた男だ。
「格田様は幼少期、どのように犬と触れられましたか」
「帰り道、いつも神社の木陰で休んでいる犬が居ました」
「はい」
「給食の野菜が嫌いでしたので、食べた振りをして持ち帰り、帰り道で犬に与えていました」
「バウッ!」
吠えた犬神は、嬉しそうに尻尾を振っていた。
























