125話 伝承の犬神
「良く来てくれたね。壮健そうで何よりだ」
「はい、良房様もお変わりなく」
9月27日。
白面の三尾である良房から連絡を受けた一樹は、豊川稲荷に赴いた。
良房は、豊川稲荷に1000体並ぶ霊狐塚に宿った付喪神の一つだ。すなわち死んだ狐の霊魂だが、A級3位の豊川が匙を投げるくらいには、自由に活動している。
香苗と雪菜の関係を相談した時と同様、千人が入れる大座敷に通された一樹は、良房と面会した。
――豊川様よりも古い生まれで、良房と言えば、藤原良房が思い浮かぶけれど。
藤原良房とは、平安時代の公卿である。
良房が属する藤原北家は、『大化の改新』を行った中臣鎌足の孫・藤原房前を祖とする一族だ。
中臣鎌足の6代後が藤原良房で、良房の父親は、左大臣の藤原冬嗣。
良房自身は、従一位、摂政、太政大臣となった。
そして死後には、贈正一位となっている。
人臣として初の摂政であり、当時は禁じられていた天皇の皇女・源潔姫も臣籍で娶り、公家の筆頭であった。
妹の藤原順子は、仁明天皇の妻。その子は、文徳天皇。
娘の藤原明子は、文徳天皇の次に天皇となった清和天皇の実母だ。
すなわち良房は、歴代天皇の娘婿、義兄、伯父、祖父、祖先にあたる。
良房に息子は生まれなかったので、兄の子・基経を養子にもらった。そして基経は、日本初の関白となっている。
良房が生きた時代の前後、藤原北家は、藤原北家に何度も訪れる栄華の一つを極めた。
その後の五摂家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家)や、堂上家(上級貴族)である137家のうち87家は、すべて藤原北家の子孫だ。
「平家にあらずんば人にあらず」で有名な平清盛も、藤原北家の子孫。
その平家を倒した源頼朝の祖先である清和天皇も、良房の孫である。
そんな藤原家と狐との繋がりは、中臣鎌足にまで遡れる。
鎌足は幼少期、稲荷神から『鎌槍』という武具を授かった。
そして大化の改新を成し遂げた後、神宮を詣でる旅に出た鎌足の夢枕に神が現れて、「大化の改新を成し遂げた今こそ、この地に鎌槍を奉納せよ」と告げた。
鎌足は白狐に導かれるまま、鎌倉五山のひとつ浄妙寺の裏山に鎌槍を奉納した。
それが現存する神奈川県の鎌足稲荷となり、その地は『鎌倉』と呼ばれるようになった。
中臣鎌足の『足』は、敬称に用いる語尾であり、本来の名前は『鎌』の一字だ。
中臣家の鎌さんが、神授の宝を奉納した倉のある地域が、鎌倉と呼ばれた次第である。
神奈川県鎌倉市の地名、そして鎌倉幕府の名称でもある『鎌倉』は、稲荷神と中臣鎌足の縁で生まれたものだ。
そして中臣鎌足が狐の縁者であることは、武具を授けた稲荷神の優遇から明らかだ。
狐を使いとする稲荷神が、何の由縁もなく、人間に武具を授けたりはしない。
――中臣鎌足の母である大伴智仙娘は、正体が狐だったのかな。
常識的に考えて、智仙娘という名前はおかしい。
おそらく地上で仙術を学ぶ狐、地仙狐だったのだろうと一樹は考えた。
現代社会に確固たる地位を築いた妖狐の足がかりには、大化の改新で権力を握った中臣鎌足の存在が垣間見える。すると中臣鎌足の子孫である良房は、人間と妖狐との関係を現代の形に導いた、張本人の可能性がある。
だからこそ良房は、妖狐の長老格が1000体も集まるような豊川稲荷の霊狐塚で、代表のような立場で居られるのだろう。
力も貢献度も自分達より上で、恩恵まで受けていたとなれば、誰も文句を付けられない。
良房や豊川稲荷が、人間との関係を良くする豊川りんの活動を支援して、香苗に対しても後任候補になれるほどの支援を行ったのは、良房の立場に鑑みれば当然だとも考えられる。
「賀茂氏には、立ち会いをしてもらいたいと思ってね」
「立ち会いでございますか」
良房からの要求は、一樹にとって思いも寄らぬものだった。
良房や豊川稲荷の伝手であれば、大抵のことは自前で出来る。
陰陽寮を廃止して以降、陰陽師と政府との仲はよろしくないが、それも繋がりが途絶えたわけではない。本気で連絡を取ろうと思えば、一樹ですら陰陽長官を介して総理に連絡できる。
良房であれば、国内で出来ないことなど、殆ど無いだろう。
白面で素顔を隠した良房は、怪訝な表情を浮かべる一樹に答えた。
「我々にも、気を使う相手は居るのだよ。人間との関係であれば、中立的な立会人が欲しいこともある」
「まずは、お話を伺います」
「ふむ。頼みたいのは、四十九日を終えた花咲家の次期当主、それを選定する場の立会人だ」
「花咲家の選定ですか?」
良房の話は、一樹に本日二度目の驚愕を与えた。
A級7位にして、花咲家の当主であった小太郎の父は、8月9日に殉職した。
その日から数えて、四十九日が9月26日。
現在は忌明けとなっており、花咲家に憑く犬神が、取り憑く相手を選ぶ時期に入っている。
そこまでは一樹が理解するところだが、花咲家の犬神が次代の当主を選ぶにあたり、他人が関わるとは聞いていない。
「花咲家の犬神と我ら狐には、因縁がある。1798年に浄瑠璃で公演された『錦着恋山守』は、知っているかな」
「合っているのかは分かりませんが、触りだけでしたら、知識としてあります」
錦着恋山守とは、全40巻からなる『太平記』(14世紀に成立)を基にした物語である。
内容は、途方もない力を持つ犬神が、畑悪八郎時景という如何にも悪役な名前の男に力を与えて、新田義貞の妹・玉琴姫と宝物を奪おうとする物語だ。
そして巫女の榊葉に化けていた、お辰狐によって退けられる。
新田家は、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先・源義家の孫を祖とする家柄だ。
新田義貞は、1301年の生まれである。元弘の乱では、鎌倉幕府の倒幕を掲げる後醍醐天皇に付いて、鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡させた。
新田家と敵対する犬神は、まさに悪役である。
「立ち会いを求める故、正直に話そう。かつて花咲の爺が得た宝を、隣家の爺が奪い、売り払った。花咲の爺が没した後、犬神は思い出の品を取り返そうとして、それを得た新田家と争いになった。お辰と争った犬神を悪役に仕立てたのは、狐の立場を守ろうとしたが故だ」
「……そんな理由があったのですか」
「然り」
良房の裏話を聞かされた一樹は、大化の改新で中臣鎌足に倒された蘇我一族を思い浮かべた。
祖父 = 蘇我 馬子
父 = 蘇我 蝦夷
子 = 蘇我 入鹿
動物の名前や蔑称が勢揃いしているが、これは敵対した蘇我家を貶めるために、わざわざ付けられたものだ。
蘇我家の系譜では、馬子の弟は摩理勢。
蝦夷の兄は善徳、弟は雄当。
入鹿の従兄弟は、石川麻呂。その子は興志。
いずれも馬鹿や、蔑称ではない。
兄弟の名前が無事に残されたのは、雄当の孫娘が、中臣鎌足と共に大化の改新を行った天智天皇(中大兄皇子)の妻で、元明天皇の母だからである。
さもなくば蘇我家の家系図は、動物園になっていただろう。
――狐、こわっ!
敵対すると徹底的にやり込める狐達に、一樹は恐怖を抱いた。
「花咲家にも言い分があろうが、宝は神功皇后が龍神から授かった2つの宝玉の1つ、『干珠』だ」
「干珠というと、日本書紀に記される、潮の満ち引きを操った宝でしょうか」
「左様。満珠と共に、水行を操る」
満珠と干珠は、神功皇后が敵と戦う際、海に投げ込んで使った。潮を引かせて敵を渡らせ、潮を満ちさせて敵を溺れさせたのである。
二つの宝は、神功皇后が龍神に返すつもりで、海に沈めたとされる。
だが日本にあると言うことは、龍神は返してもらうことなど考えていなかったのだろう。
人間と龍神との意思疎通が上手く行かないのは、一樹と龍神の娘である柚葉との関係からも、明らかである。
かくして干珠は人間の手元に戻り、花咲家の手元に渡って、隣家の意地悪な爺さんが盗み取って売り払い、新田家の手元に流れた。
そして花咲家と新田家との間で、所有権争いが発生した。
現代の法律では、取得時に花咲家から盗まれたことを知らない善意の第三者である新田家が、宝の所有者となる。
だが盗まれた側は、それで納得するだろうか。
少なくとも犬神は納得していなかったし、言い分があるというのも理解できる。
だからこそ狐側は、宝を守ったお辰狐を批判から庇うべく、犬神を悪者に仕立てたのだろうが。
「結局のところ花咲家、新田家、我らで話し合いが行われた。そこで『干珠』は花咲家に返さなくても良い代わりに、我らが管理して、花咲家の世代交代では我らが協力する形で落ち着いた」
「なるほど」
狐にとっては手間だが、干珠は神授された宝珠だ。
豊川りんが受け取った管玉がA級の霊物とすれば、干珠はS級の霊物。
核兵器だと思えば、寿命が短くて管理者がコロコロと変わる人間には、一樹だって怖くて預けられない。
本来授けられた神功皇后は、第9代天皇である開化天皇の子孫で、明治時代までは第15代天皇だった人物だ。
初の女性天皇だったが、大正時代の皇統譜令で、天皇ではなかったことにされている。
神武天皇は、父親が海神の娘トヨタマヒメの息子。母親がトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメ。
初代天皇は血筋の4分の3が海神系であり、その系譜の現人神であった神功皇后であれば、海に住む龍神の宝を使うのには最適の立場だった。
「斯様な経緯がある故、花咲家の先代が没した今、中立的な立場の人間が、立会人に欲しいのだ」
「理解致しました。お引き受けします」
大量に増えて、強力な兵器も持つ人間は、現代では脅威だ。
狐と人間との関係性に気を使う良房に理解を示した一樹は、要請を引き受けた。
「助かるよ」
「恐れ入ります」
報酬は提示されていないが、良房の依頼を引き受けて、損は無いと一樹は考えた。
世の中には、金銭換算できないコネというものがある。そして藤原良房は、金を積んだ程度では絶対に得られないコネである。
「それにしても花咲か爺さんなら、宝は沢山あったでしょう。何故犬神は、争いを起こしてまで、干珠に執着したのですか」
「これは聞き出した話だ。花咲の爺と犬神が海辺で遊んでいたとき、潮が満ちてきた。もう少し遊びたいと犬神が渋ると、花咲の爺は潮を引かせて、遊んでくれた。そんな一夏の思い出の品らしい」
「……龍神の宝で、遊ぶな」
かつて神功皇后が戦うために、龍神から授かった宝珠。
その使い道について、一樹は思わずツッコミを入れた。
























