118話 縄張りの中
「後退するぞ」
一樹が指示した直後、車に乗り込んだ堀河がハンドルを切った。
車が反転する間、酒匂川に居たキヨも姿を消して、晴也の傍に戻ってくる。
だが赤牛だけは、羅刹の傍に留まったままだった。
「赤牛は!?」
「異界より喚び出した護法神だ。自分で異界へ還る」
問い質した一樹に対して、堀河は切り捨てるように答えた。
――思い切りが良いな。
式神を使い捨てるような堀河の使役方法は、本来あるべき姿だ。
式神使いと式神は、お友達ではない。
人間社会であれば、雇用者と労働者が『労働契約と給与』で結ぶ関係。
それが、式神使いと式神が『式神契約と呪力』で結ぶ関係だ。
式神は、式神契約と与えられる呪力で、それらに見合う働きをする。
給与や待遇が悪ければ反発し易くなるが、堀河の要求は不当ではない。
そもそも堀河は、父親の敵討ちのために、赤牛に願掛けで力を借りたのだ。
したがって「敵である羅刹と戦え」と求めるのであれば、当初の願い通りである。赤牛に単身の突撃を求めたところで、相応の呪力と引き換えであれば、要求は通るだろう。
そして赤牛が倒されたとしても、術者の呪力で復活できる。
――呪力の負担は、大きいだろうが。
B級陰陽師がA級の鬼を倒そうとするのだから、元より負担が軽いはずもない。
不足する呪力を補うために、気力や生命力なども、削り取って使っているはずだ。
秋田県の統括陰陽師だった春日家の結月が、結婚相手の候補から外すくらいには、危ないことをしている。
もっとも敵討ちは、堀河自身が自己選択したものだ。
堀河家は、静岡県で代々続く陰陽大家だ。
先代を鬼に殺されて放置するようでは、ほかの陰陽大家への示しが付かず、縁を結ぶことを避けられる。
そうなると、やがて家が没落していく。
陰陽大家が潰れると、いかなる影響があるのか。
それを春日家への訪問で垣間見た一樹は、堀河に無茶をするなと言う資格はないと考える。
「分かりました。引きましょう」
キヨの乗車を確認した一樹が告げると、反転した車が相模川に向かって走り出した。
すると拘束を解かれた羅刹は、手元から離れていた斧に駆け寄っていく。
そして斧の柄に手を伸ばしたところで、背中から赤牛の突進を受けた。
「ムオオオオオッ!」
「ヌオオオオオッ」
斧の柄を握った羅刹は、赤牛に弾き飛ばされて、再び酒匂川を転がった。
盛大に水飛沫が上がる中、肋骨を折って脂汗を掻く羅刹が、赤牛に斧を向けてけん制した。
すると斧を向けられた赤牛は、僅かに躊躇う素振りを見せた。
そして次の瞬間、躊躇う素振りを見せて油断を誘った赤牛は、突進して羅刹に襲い掛かった。
肋骨を骨折して威力の落ちた斧が、赤牛の背中を叩き切る。
そして赤牛の角は、羅刹の胸部を再び打ち据えた。
――獅子鬼さえ居なければな。
両者の呪力、そして獅子鬼の呪力も知覚する一樹は、戦いの結末を想像して惜しんだ。
獅子には、テリトリーがある。
そして小田原市は獅子鬼の領域内であり、一樹達は獅子鬼にとって、テリトリーに踏み込んだ侵入者だ。
この範囲内で羅刹を倒そうとしても、必ず獅子鬼が介入する。
もっとも、箱根山の山頂に現れた獅子鬼は、すぐには動かなかった。
羅刹が即座に敗北することは無いとみなしたうえで、周囲を警戒したのである。
――流石に2000年も暗躍しただけあって、慎重な性格だ。
最初に獅子鬼と戦った際、人間側はA級陰陽師4名を投入した。
さらに宇賀が珊瑚の簪をした霊物を用いて、三尾の白狐である良房は泰山府君の霊符を用いて、それぞれ加勢した。
人間側の戦力は少なからず居て、獅子鬼に手傷も与えて、脅威になると示した。
だから獅子鬼は、単調に突撃せずに、周囲を警戒したのだ。
だがキヨと赤牛は、いずれもA級の力を持つ。
それが敵側にいるのであれば、獅子鬼も座視できない。
排除すべきと判断した獅子鬼は、ついに動き出した。
もっとも獅子鬼は、羅刹のようには駆け出さなかった。内包する呪力を籠めて、その場で腰を落としたのである。
――来るっ!
呪力の知覚に関して、一樹は他人の追随を許さないと自負する。
そんな一樹にとって、視覚情報よりも遥かに分かり易い動きだった。
『PL200、撃て』
獅子鬼が跳ね飛んだ瞬間、その身体が巡視船からの砲撃を浴びて、空中で弾き飛ばされた。
空中で立て続けに追撃を受けた獅子鬼は、バランスを崩して、箱根山の斜面を転がっていく。
それは一樹が隠形させながら、相模湾に待機させていた、幽霊巡視船からの砲撃だった。
「ぐぬうううっ、やはりか!」
獅子鬼の雄たけびが、激しい射撃音に飲み込まれて消えていった、
一樹が使役する船幽霊の『みやこ型巡視船』は、砲撃が一発では終わらない。
2門の70口径40ミリ機関砲は、毎分330発を撃てて、初速は秒速1025メートル。霊弾であり、物理的な減衰は無いので、有効射程は10キロメートルにも及ぶ。
秒速1025メートルは、音速331.5メートルの3倍以上だ。
命中してから射撃音が伝わったのは、砲弾が音速を超えていたからである。
「魔王は強大だけど、無敵じゃない」
車内の一樹は、B級の晴也と堀河に言い聞かせるように呟いた。
地球上の生き物では、ハヤブサの時速390キロメートルが最速だ。
それは秒速100メートルほどで、それを超える生き物がいないのだから、生き物を捕食する妖怪変化や悪魔邪神も、それよりも圧倒的に速くはならない。
音速を3倍も超えて撃ち込まれる砲撃は、毎分330発が2門。
獅子鬼であろうとも、避けられるはずがなかった。
「賀茂も、無茶苦茶やな」
晴也が呆れて評す中、一樹は獅子鬼の呪力を知覚し続けた。
その様子は、遠望からも観測されていた。
一樹の式神に撃たれた獅子鬼は、逃げる車に向いており、右半身を相模湾に向けていた。
その相模湾から飛んできた砲弾に対して、獅子鬼は左手で斧を生み出すと、それを右半身に構えて銃弾を防ごうとしたのである。
それは、あまりにも不自然な動きだった。
もしも右腕が無事であったならば、右手で身体を庇っただろう。
だが右腕を負傷している獅子鬼は、それを行えなかった。
撒き散らされた霊弾が、獅子鬼の身体を激しく打ち据える。霊弾の一部は右腕に命中して、癒やせぬ傷を揺さぶり、獅子鬼の痛覚を刺激した。
「ぬぉおぉぉおっ」
獅子鬼の顔が、激痛に歪んだ。
巡視船の砲撃は、術者である一樹の想定以上に効果を発揮していた。
「追って来んな」
後部座席から獅子鬼の様子を観察する晴也が、意外そうに報告した。
獅子鬼の負傷は、陰陽師協会も把握している。
だが程度は不明であり、宇賀が調べるべきだと主張して、充分なバックアップ体制の下に一樹達を送り出したのだ。
ほかの誰かが主張したのであれば、危険なため一樹は応じなかったかもしれない。
だが宇賀の予知であったために、一樹は応じたほうが良いと考えて、今回の作戦に至った。
「一応、近付いている。油断するな」
堀河が警戒したのは、獅子鬼が苦しんでいるように見えて、同時に箱根山から滑り降りるように東進していたからでもあった。
一樹も慢心せずに、気を引き締めた。
「そもそも、俺の呪力では足りない」
巡視船の砲撃は、一樹の呪力を霊弾として、叩き付けている。
その呪力量は、S級中位の獅子鬼が相手では不足する。もっとも呪力だけ高くても、一樹が宇賀や豊川に勝てるとは限らないが。
箱根山を下り終えた獅子鬼は、羅刹と赤牛の争う場所へと向かった。
獅子鬼が羅刹の下に向かったのは、元から助けるつもりであったのか、それとも一樹を追いかけるのを断念したからか。
いずれにせよ結果は見えており、獅子鬼に加勢されそうになった赤牛は、自ら異界へと戻っていった。
「ぐっ」
歯を食いしばる堀河の、はるか後方。
そこでは赤牛との戦闘から解放された羅刹が、御殿場市へと逃れていった。
「どうせなら、自衛隊も巻き込むべきやったか」
車が二宮町を東進する中、手持無沙汰の晴也が、火力不足を補う方法を顧みた。
獅子鬼は顕現しており、肉体を持っている。そして肉体を持っているのであれば、自衛隊の部隊による砲撃も通じる。
そんな晴也の考えに対して、一樹は武器が通じる点については賛同を示した。
「蜃の術の範囲外なら、自衛隊の攻撃も効くだろう」
自衛隊の装備は、巡視船を上回る。
一時期、箱根山に陣取っていた特科教導隊は、巡視船よりも圧倒的に高い火力を有していた。
また巡視船が入れる場所ならば、自衛隊の多機能護衛艦も入れる。巡視船と自衛隊の護衛艦では、やはり自衛隊の艦船の火力が圧倒的に高い。
護衛艦の62口径5インチ(127ミリ)砲は、射程が37キロメートルもあって、威力は特科教導隊が有する155ミリりゅう弾砲 にも匹敵する。そのほかに、ミサイルなども搭載している。
蜃が生み出す蜃気楼の中では効かないが、外であれば効果がある。
「だけど箱根山からは、周囲を見渡せる。隠形できない自衛隊が待ち構えていれば、単純には迫って来ないだろう」
「陸の部隊なら、民家に隠したり出来へんか」
「隠しても、露見するんじゃないか。陰陽師が居ない組織には、人に化けた妖怪が忍び込めるし」
獅子鬼の厄介なところは、2000年前に日本へ土着した魔王である点だ。
羅刹ほどの配下であれば、B級陰陽師でも確実に見破れるとは限らない。そのような相手が、防衛省や自衛隊の中枢にでもいれば、作戦内容はダダ漏れだ。
そのほかに、絡新婦の配下でもいれば、人を喰って化ければ潜り込める。
――水仙の祖父は、大魔だ。大魔なら、魔王の配下かもしれない。
日本に土着した悪魔といえば、真っ先に候補に挙がるのが貪多利魔王の率いた軍勢だ。
いずれかの魔王の配下には、絡新婦の夫や父、祖父にあたる存在が居る可能性が高い。
何人か優秀な子供を見繕って連れて行ったならば、それが魔王の手駒の一つとして、人間社会に潜んでいるかもしれない。
それもあって今回は、政府を通さずに作戦を行った。
「大磯町に入るぞ」
堀河が指摘した後、二宮町を抜けた車は、大磯町に入った。
その先には、真のA級全員、羽団扇を持つ五鬼童と春日が、隠形しながら待ち構えている。
それらは、宇賀が手配した陣容だ。
A級3位の豊川は、三尾の良房を筆頭とする豊川稲荷の狐霊1000体を召喚できる。そして1位の諏訪と、2位の宇賀は、豊川以上だと評価されている。
それらを投じた総力で迎え撃てば、今日にも魔王との戦いに決着するかもしれない。
陰陽師協会には、それだけの準備と覚悟がある。
だが獅子鬼は、一樹達を追っては来なかった。
忌々しい表情を浮かべながら、後方に大きく跳躍する。
そして家屋を次々と踏み潰しながら、御殿場市へと消えていった。
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式神編のSSには、19話『鬼猫島』の
あとがきにあったお話しも、含まれます!
[その頃、相川家では]
中鬼
八咫烏「クワッ」( 〃 ❛ᴗ❛ 〃 )ノ⌒ ~~~ (||゜Д゜)グォォォ
和則「ぎゃああっ、生きた中鬼を、連れて来るなぁっ!」((( ;゜Д゜)))
中鬼 和則
~~~ (||゜Д゜)グォォォ ......((( ;゜Д゜)))ギャァァッ
( 〃 ❛ᴗ❛ 〃 ) ……クワッ?
物凄くパワーアップした鬼ごっこになります!
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