114話 天狗の羽団扇
「牛太郎、戻れ」
天津鰐を倒した後、一樹は自身の影に、左足を食い千切られた牛鬼を戻した。
過去最大の傷を負っているが、椿の神霊である牛鬼の霊体は、霊体が繋がる一樹の神力で補える。牛鬼を回復させて影に待機させた一樹は、倒した天津鰐の姿を確認した。
「まずは鷹の姿で良かったな」
信君がトドメを刺した天津鰐は、鷹の状態だった。
高天原ではワニの姿で、地上へ降りるために鷹の姿に変じた存在だ。
戦いではワニに戻り、逃げようと鷹になったところで信君が倒したが、ワニの姿で倒していた場合には風切羽を得られなかった。
天津鰐の調伏は、風切羽を手に入れるために行ったものだ。
ワニの姿で在り続けられた場合には、トドメを刺さずに使役して、一樹が使役者として命じて、風切羽を差し出させるしか無かっただろう。
天津鰐を手にした一樹の後ろから、蒼依が問い掛ける。
「これで11種類が集まったのですか」
「そうなるな。これ以上は、流石に集めたくない」
B級以上の鳥の妖怪は、あまり数が居ない。
しかも鵺のような広範囲を探し回らなければならない妖怪を狩っても、八咫烏達の風切羽と力が変わらないので、追加で集めたところで意味はない。
集めるならば、鵺よりも強い妖怪が必要だ。
最低ラインは、大森山の怪鳥となる。
だが1枚の風切羽をB級中位からB級上位に上げたところで、呪力の加算はC級下位。しかも、八咫烏達の風切羽を省けば、八咫烏達が使える五行の力を使えなくなる。
大森山で玄武が使っていた霧は、暑さ対策に有効だった。
それらの力を省いて、別の何かを得るのだとして、五行よりも有用だとは限らない。
より良い羽団扇を求めていけば、本当にキリが無い。
「充分に良い風切羽が集まった」
一樹が充分だと見なしたのは、もしも自分が羽団扇を使えるとして素材を集めるのだとしても、満足できるものが集まったと結論付けてのことだ。
また沙羅に持たせて得られる自身の安全性や、利便性などに鑑みても、これで充分だと一樹は考えた。
「私も充分だと思います。使い熟すのが大変だと思いますけれど」
使い手となる沙羅も、蒼依に言い聞かせるように、一樹に賛同を示した。
これによって11種類の風切羽集めは、達成となったのである。
「さて、あとは天津鰐から風切羽を抜いた後だが」
「何かあるのですか?」
「水仙と朱雀達に食べさせるか、使役するかの二択だな」
蒼依に返答した一樹は、二択で得られる結果を考えた。
高天原出身である天津鰐の力は、A級中位だった。
鷹の身体は小さく、その身には神力が詰まっている。これを食べさせれば、水仙がB級上位に、八咫烏達もB級中位に上がるだろう。
水仙の目的はA級に至ることだ。
そのために充分な働きをしており、一樹が生きている間は従う。一樹が水仙との約束を守って正しく報いれば、水仙も一樹との約束は守り続けるだろう。
そして水仙に報いる方法は、A級に上げるために、天津鰐を食べさせることだ。
八咫烏達も、力を増せば安全性が増して、蒼依も安心する。
当初は式神使いとして、使役する式神を得るために卵を集めた。そのため「飼育や戦いで、数羽が死んでも仕方が無い」と考えての多羽飼いであった。
だが無駄に死なせたり、蒼依との関係を悪化させたりしたいわけではない。
「……天津鰐、強いんだよなぁ」
一樹が悩むのは、天津鰐が鷹の飛行と、ワニの水中戦を併せ持つからだ。
御殿場市に飛ばして、A級中位の羅刹にでも襲い掛からせれば、互角の戦いを繰り広げられる。そして天津鰐が負けても、一樹の身体に霊体の一部が有る限り復活できる。
羅刹を倒すまで、何度でも天津鰐を送り込むことが可能なのだ。
宇賀が海鳥の式神を送り込み、豊川が良房を派遣したようなもので、戦場に出ずに対魔王戦を戦えるようになる。
ほかの仕事でも、天津鰐は便利に使える。
イリエワニは沿岸も泳げるので、全長18メートルの天津鰐を瀬戸内海に解き放てば、村上海賊船団も真っ青な展開になるだろう。
海賊船が次々と引っ繰り返されて、海に投げ出された海賊の怨霊達は大パニックだ。
「呪力は足りますか」
沙羅の指摘こそが、一樹の懸念でもあった。
一樹が式神の使役に使っているのは、総呪力の4割弱だ。
ここにA級中位の式神を追加すると、通常では5割を超える。
だが天津鰐の場合は、負担が倍加して、6割5分が見込まれる。
それは死体から風切羽を引き抜いて、水仙達に喰わせることで、天津鰐の恨みが深くなるからだ。恨みを持つ式神を従えるためには、術で縛るしかないが、術に使う呪力は倍加する。
すると一樹の呪力が削られて、縛る力が不足したとき、天津鰐は反逆の恐れがある。
破壊されては特攻を繰り返されるのだから、反逆しないほうがおかしいくらいだ。
「水仙、天津鰐を半分食べて良い。残り半分は、朱雀達に食べさせる」
天津鰐の使役を断念した一樹は、水仙と八咫烏達に割り振った。
◇◇◇◇◇◇
天津鰐を倒してから、2週間が経った。
もともと作成の準備は進められていたが、全ての素材が揃った後、1本が最優先で作成された。
それは沙羅の羽団扇であり、五行、地脈、薬師如来、虚空蔵菩薩、生血鳥、斑猫喰、天津鰐の力を一部だが引き出せる。そのほかの分は、薬師如来と虚空蔵菩薩が、鵺に変わる。
呪力の加算は、沙羅の2本が、5万7000、
そのほかに作られる11本は、2万7000。
沙羅以外の分は、強すぎる水行の力を下げざるを得なかったために、少し弱くなった。
だが羽団扇を使うだけで、沙羅はB級上位、五鬼童家と春日家はB級中位の力を振るえる。そして沙羅の羽団扇は、治癒も行えた。
五鬼童家と春日家の羽団扇は、治癒能力が無いものの、ほかの効果は沙羅の羽団扇と同じだ。
鵺を除く11分の9もの素材について、一樹が惜しみなく渡したのは、両家の活躍が自身の貢献になるからだ。
魔王の出現によって、A級陰陽師の一樹には、立場に相応しい貢献が求められる状況になりつつある。
だが羽団扇に必要な素材の大半を一樹が提供したのであれば、羽団扇を用いた両家の活躍には、一樹の貢献があったことが考慮される。
五鬼童家が貢献した分だけ、一樹も立場に見合う助力をしたと言えるだろう。
その最たる貢献が、A級であった五鬼童義一郎と、B級であった春日家2名の治癒による現役復帰だ。
「そのような次第ですので、羽団扇は遠慮なく受け取って頂き、存分に活躍して下さい」
一樹は協会本部の談話室で、そう明言した。
半分は「殊更に恩を感じる必要はない」と受領者に伝えるためで、残り半分は「無茶な仕事は、なるべく五鬼童に振ってくれ」と宇賀に訴えるためだ。
すると沙羅の羽団扇の力で復活した義一郎が、次期当主の義経と頷き合って答えた。
「分かった。君が負担になる部分は、こちらで引き受けよう」
「今回のことは当家で引き継いで、貴家には次代以降も、借りを返します」
一回り年上の義経が丁寧語を使うのは、B級陰陽師に留まったからだろう。
羽団扇を足した呪力でA級下位に達した義経は、当初の予定とは異なり、B級陰陽師のままだ。それはA級4位だった父の義一郎が、A級4位に復帰したからだ。
ほかには春日家からも、結月の母親と兄がB級に復帰することになった。
両者は、絡新婦の妖毒に気の廻りを阻害されて、まともに呪力を使えなくなって引退していた。だが沙羅の羽団扇によって、容易く完治した。
――薬師如来と虚空蔵菩薩に、直訴したからな。
容易く治せるのは、一樹に言わせれば当然だ。
一樹の断言によって、春日家の両名が奈良県を訪れ、沙羅の治療を受けている。
治療の直後、秋田県の統括だった結月は、即座に兄と交代すると宣言した。
「春日家からは、あたしが側室で行くべきかしら」
他家との貸し借りの清算は、陰陽大家にとっては家の存続に係わる大事だ。
借りがあるのに嫁を出さない家には、どこの陰陽大家も新たな嫁は送らない。すると縁を切られた陰陽大家は、世代を重ねるごとに力が落ちていき、中級以下に落ちぶれる。
遙か昔から続く春日家で、一時的には当主の立場だった結月は、母と兄を回復してもらった分の清算を提案したのである。
「それは結構です」
結月の宣言を却下したのは、一樹ではなく沙羅だった。
治療した張本人である沙羅の明確な意志は、結月も受け入れるしかなかった。
「だったらお妾さんかしら」
「それも結構です!」
結月に翻弄される沙羅を尻目に、一樹は宇賀にふと尋ねた。
「戦力が増強されましたが、煙鬼対策は、何とかなるでしょうか」
それは天津鰐を使役しなかった不安から、発せられたものだった。
「そうねぇ」
宇賀は即答せずに、考え込む素振りを見せる。
治癒と、作成中の羽団扇11本の完成によって、五鬼童家と春日家の戦力は増す予定だ。
A級中位=義一郎。
A級下位=義輔、義経。
B級上位=義友、風花、凪紗。春日家3名。
B級中位=紫苑。(将来的に義経の子供)
五鬼童本家の当主と、次期当主は、同じ戦場に立たない家訓がある。
そして学生の紫苑と凪紗を頭数から省き、奈良県と秋田県の統括も1人ずつ除外する。
それでもB級上位以上の呪力を持ち、天狗の力で飛行も可能な5名を煙鬼対策に充てられるようになった。
「当初の予想よりは、かなり好転したかしら」
「それは、頑張った甲斐がありました」
どこぞの如来と菩薩も、少しは役に立ったらしい。
そのように不敬に顧みた一樹は、小さく微笑を浮かべた。
かくして陰陽師達は、魔王との初邂逅よりも戦力を向上させたのであった。
今話にて、第4巻(約11万字分)が終了しました。
引き続き、お楽しみ頂けましたら幸いです。
 
























