111話 最後の風切羽を求めて
「これが斑猫喰の風切羽なのね」
奈良県の陰陽師協会本部にある談話室。
そこで一樹から、瓶詰めされた風切羽を受け取った宇賀は、それを光に透かして眺めていた。
羽根には化学兵器よりも遥かに強力な毒があり、他人に委ねられない一樹は瓶に封入した上で、協会本部にいる宇賀の元まで直接持参している。
高校には、重役出勤からの欠勤という連続技をかました。
だが流石に致し方がないと、判断せざるを得なかった。
「見事に赤いわね」
「はい。明らかな火行です。呪力はA級下位でした」
「それは重畳だったわね」
一樹が持ち込んだ風切羽の色は、探していた火行を如実に表わしている。
斑猫喰の呪力もA級下位であったため、羽団扇の素材としての要件を満たしていた。
一樹はA級中位と評価されており、A級下位の妖怪との戦いは推奨されない。
だが斑猫喰は、妖毒に特化したタイプだった。最大の武器が一樹や式神に通じなかったため、戦闘での相性は非常に良かった。
斑猫喰の調伏によって、風切羽探しは残り1種類、水行を残すのみとなったのである。
「斑猫喰を素材にすると、羽団扇の力に妖毒が加わる。その点については、懸念しました」
羽団扇は、素材に使った妖怪や天狗の力を引き出して使える。
斑猫喰の風切羽を使ったならば、妖毒を扱えるようになるのだ。
ニューギニア島に生息するピトフーイは、ホモバトラコトキシンという猛毒を持つ鳥であるが、保有する毒の量には限りがある。
ホモバトラコトキシンは、サリンの4000倍から1万4000倍も強力な毒性を持つが、それならサリンを4000倍から1万4000倍も製造すれば互角だという考え方も成り立つ。
だが呪力で生成できる妖毒になると、話は変わってくる。
羽団扇に呪力を籠めれば妖毒を放てるならば、呪力がある限り、妖毒を製造できることになる。
「ですが、五鬼童家が広範囲の煙鬼を一度に殲滅するには、とても有効だと考えます」
「確かに五鬼童家は近接型で、広範囲の攻撃手段は持たないのだけれどね」
一樹から懸念を伝えられた宇賀は、考え込む素振りを見せた。
B級の呪力で、どれくらいの人間を殺せる妖毒を生産できるのか。
呪力で生み出した妖毒は、呪毒として呪符や勾玉に籠めて、保管できるのか。
伝承では、古池に毒を撒けば、足を踏み入れた人間を皆殺しにできた。また屋内で羽ばたけば、部屋で密談する人間達を皆殺しにできた。
畑に撒けば、作物が毒に塗れる。そして現代では、上水道や地下鉄がある。
その恐ろしさを知った中国の皇帝は、鴆を駆除するために、山ごと焼き払わせている。
しばらく悩んだ宇賀は、やがて結論を出した。
「どんな妖怪の風切羽を使っていて、何が出来るのかは、公開しないことにしましょう。強い呪力を浴びせて、霊体の煙鬼を倒しているのだとでも、説明するしかないわね」
「わかりました」
羽団扇は、作成時に呪力を混ぜた本人にしか使えない。
羽団扇を所有することになるのは、義理堅い五鬼童一族だ。
しかも羽団扇を渡す側は、五鬼童の危機に際して羽団扇を手配した宇賀や、過去に五鬼童家を助けて収集も全面的に手伝った一樹となる。
五鬼童家は、社会的な地位・数多の名誉・千年以上に亘る信用・莫大な財産・子孫の安寧まで併せ持つ。それら全てを五鬼童家が捨てて、宇賀や一樹の信頼を裏切るとは、おおよそ考え難い。
裏切って得られる利益が皆無で、感情面での動機も無いからだ。
五鬼童家の誰か1人が暴走しても、他の誰かが止めるだろう。
だからこそ宇賀や一樹は、五鬼童家には渡しても問題は起こらないと考える。
だが世間は、そこまで五鬼童家を信頼できないかも知れない。
宇賀や一樹であれば、もしもの時には実力で阻止できる。
一樹は、生血鳥の風切羽によって自身の血が混じった羽団扇を追える。そこに信君を送り込めば、A級下位までであれば寝首を掻けるだろう。
だが世間には、B級やA級の五鬼童家を止める手段が無い。個人携帯対戦車弾でも倒せない集団に、強力な化学兵器を持たれるのは、怖いだろう。
故に情報を公開しないことで、不安を抱かせず、口も出させない判断を下したのだった。
「それにしても、想定以上に強力な羽団扇が作れそうね」
斑猫喰の風切羽を検分し終えた宇賀は、残り1枚を残す現状を振り返った。
「10枚が集まった現時点で、羽団扇による呪力加算は、B級中位くらいですね」
「そうね。大森山の怪鳥は想定内だけれど、A級下位の生血鳥と斑猫喰は、想定外だったわ」
風切羽の素材となる妖怪が、B級中位の鵺くらいで揃えられた場合、加算はB級下位だった。
B級中位の呪力2万に、11枚と5%を掛けて、呪力は1万1000。
それが現時点で、1万9000まで上がっている。残る水行がB級中位であれば丁度2万になって、紫苑でもB級中位の呪力加算を得られるようになるだろう。
「失われた製法で作られた翡翠製の勾玉と同等品かしら」
「使用者が天狗に限定されて、呪力を溜めるのも自前ではありますが」
羽団扇への呪力補充は自前で行うため、実用性があるのはC級上位の紫苑くらいからだ。
紫苑であれば、自身の5倍もの呪力容量を持つ羽団扇に、呪力を補充しなければならない。羽団扇の呪力を使い切った場合、紫苑ならば呪力を5度回復する期間、呪力を注ぐ必要がある。
呪力の回復速度は、年齢、食事、休息方法、霊場など様々な条件によって異なる。
そのため一概に何日だとは言えないが、本来は半月が必要だとすれば、自身と羽団扇とで6倍、3ヵ月に伸びる。C級中位ならば6ヵ月、C級下位ならば1年だ。
それでも技さえ身に付ければ、B級中位の呪力を用いた呪術を行使できる。
紫苑の陰陽術は、上級陰陽師向けの五鬼童式だ。B級の呪力加算を得た紫苑は、本来は同格であったC級上位の妖怪など、軽々と倒せるようになるだろう。
「元々B級に届く五鬼童家くらいしか、実用性に乏しいのが残念だわ。B級の戦力を持った統括陰陽師も増やしたいのだけれど、羽団扇の作成では無理ね」
羽団扇に期待できる範囲について、宇賀は魔王と煙鬼への対策が精々だと見切った様子だった。
沙羅の分を除いて11本を作成する羽団扇の本数を増やして、C級中位や下位の天狗に持たせても、新たな統括陰陽師にするのは容易ではない。
1年に1回しか全力で戦えないのでは、二度目が出た際には隣県から応援を得なければならず、周囲の負担に鑑みて、統括を増やしたとは言い難いだろう。
もちろん居ないよりは、居たほうが良いのだが。
「陰陽大家はいくつもありますし、宇賀様は昔から手を掛けておられたのだと存じますが、どうして増えないのでしょう」
「どうしてかしら。妖怪が病気だとして、妖怪の脅威を科学で解決できる分だけ、人間の免疫が落ちているようなものなのかしら。全体で見ると、明らかに呪力が落ちているのよね」
「西洋は極端に弱まったそうですし、それはあるのかもしれませんね」
現代の陰陽師は、天候を天気予報で知り、地脈と無関係に生産された食糧を食べ、占いなど行わず、宇賀の知るかつてのような生活は送っていない。
そのため陰陽師の呪力が落ちていき、陰陽師同士で婚姻を続けても、昔ほど呪力を保てないのは有り得る話だった。
「あたし達は昔の考え方を持っているから、あなたが側室を作っても気にしないし、呪力の高い分家を増やしてくれるなら有り難いとすら思うわよ。それで、最後の羽団扇についてなのだけれど」
「は、はぁ」
宇賀は一樹に反論の隙を与えず、話を進めた。
「B級以上で、水行に属する鳥の妖怪は、これが良いと思うのだけれど」
そう告げた宇賀が、一樹に資料を差し出す。
それを手に取った一樹は、大阪府の陰陽師協会から寄せられた情報を確認した。
「場所は大阪府の北西にある剣尾山で、対象は天津鰐という鷲の姿をした妖怪よ」
渡された資料は、『摂津国風土記』の逸文を基にしている。
昔、天津鰐という神が、鷲となって下樋山(現・剣尾山)に下り、留まって住んだ。そして剣尾山に10人行くと、5人は消えた。
その後、久波乎という者が、神の元まで下樋(地下に掘る水路)を堀り、堀内から神を祀ると、被害は収まった。
それから山は、下樋山と呼ばれるようになったという。
「天津鰐というと、天津神が住む高天原から地上に降りてきた鰐になるのでしょうか」
天津神は、高天原に住む神々のことだ。
高天原は天照大神を主宰神とし、天神達が住んでいる天上の世界である。
ただし神しかいないわけではなく、動物なども住んでいる。分かり易い例では八咫烏がおり、神使として地上に送り出された。
ほかには天照大神が大国主神への伝令として、天迦久神という鹿を派遣している。
稲荷神は狐を神使に、速玉男命は海洋生物のタコを神使にしている。
「天津国の鰐で、地上に降りるために鷲の姿になったのだと考えられるわ。それで鰐なら、水行だと考えられないかしら」
「間違いなく水行でしょう。強さは、B級ではない気もしますが」
五行の要件は満たすが、それとは別の問題があるのではないかと訝しんだ一樹であった。
























