108話 空気の変化
「賀茂さん、おはようございます。重役出勤というやつですね」
「まあな。A級陰陽師が国に出向すると、将補とか警視長の扱いらしいぞ。だけど校長と、どっちが偉いのかは知らん」
二学期の開始から数日遅れて、一樹は花咲高校に登校した。
まずは脳天気な柚葉の挨拶を軽く受け流して、席に着く。そして鞄から教科書や、ノートを取り出して、机の中に放り込んでいった。
一樹の重役出勤に関して、欠席の理由を問うクラスメイトは居ない。
なぜなら欠席の理由が、誰の目にも明らかだからだ。
8月13日にA級と目される蜃が出現して、一樹を含むA級陰陽師4人が、対応に駆り出された。
依頼内容は『蜃の勢いを弱めること』であり、それは果たしたが、依頼の達成直後に魔王が出現して、敗退に追い込まれている。
A級陰陽師は1人が殉職、1人が負傷引退に追い込まれた。
その両名は、陰陽師として世間への認知度が高い、花咲と五鬼童である。
そして10日後には、魔王の領域の周囲に煙鬼が発生。半径60キロメートル以内の300万人に、レベル7の避難命令が出された。
学校には欠席を連絡したが、一樹が「魔王が出て対処しているので」と言ったところ、担任からは「分かった、頑張れ」と即座に了承されている。
「賀茂、煙鬼の対処方法を教えてくれ」
机の中が教科書とノートで半分埋まったところで、クラスメイトの一部が一樹に群れてきた。
心なしかクラス内の話し声も小さくなって、周囲の意識が一樹のほうへと向けられている。
だがそれは無理からぬ話で、現在の日本人にとって、煙鬼は目下最大の関心事項なのだ。
「対処方法か。そうだなぁ……」
煙鬼の恐ろしさは、ゾンビのように、被害者が新たな煙鬼になる点にある。
最初に出現した煙鬼達は、使役者の傍から離れられない。
だが使役されていない二次感染以降の煙鬼は、呪力が独立している。倒されれば復活しない代わりに、呪力と陸地が続く限り、地の果てまでも歩いて行ける。
本州に住んでいる者であれば、突然目の前に煙鬼が現れて殺される事も有り得るのが現状だ。
ただし、元が人間である煙鬼は、ゾンビと同様に水中までは移動できない。
万が一にも日本が煙鬼に支配された際には、一樹が使役した幽霊巡視船が、大活躍することになるだろう。
――その時は、蒼依と沙羅は連れて行くとして、柚葉は龍神様のところに帰すべきか。
龍神の神域と化した中禅寺湖の一帯であれば、怨霊である煙鬼は神気に阻まれて近付けない。
神気の元となるエネルギーは地脈から得ており、それを龍神が神聖な気に変換して発しているため、龍神が在る限りにおいて中禅寺湖は安全だ。
そして1000年も経てば、龍神の娘の誰かが、神域を継承できるレベルに達するだろう。
安全性や将来性を総合的に鑑みれば、巡視船と中禅寺湖では、中禅寺湖のほうが良い選択だ。
――香苗は、豊川稲荷に送るべきか。
豊川稲荷にも、中禅寺湖並の自衛手段がある。
獅子鬼が豊川稲荷に攻め込んだ場合、豊川と良房を中心とする狐の戦闘集団が迎撃して、逆に獅子鬼を倒してしまいかねない。したがって煙鬼ごとき、豊川稲荷の敵ではない。
そして狐のクォーターで、豊川稲荷の狐霊から魂の欠片を5つ継承した香苗であれば、豊川稲荷に受け入れられると考えられる。
そのように日本には、いくつかの神域や安全地帯がある。
いかに獅子鬼や煙鬼が暴れたところで、日本が壊滅することはない。
――だからこそ神仏も、一々介入などしないのかもしれないが。
安全地帯を思い浮かべた一樹は、それらを教えることが先方への迷惑になると考えて、口には出さなかった。
どこの神域でも、安全や衣食住を与えられる人数は、無限ではない。
であれば、普段から関わりを持っていた者を優先したいだろう。
危険になってから飛び込んで来た者を受け入れて、従来の懇意な関係者が締め出されるようでは、将来の懇意な者を失って組織や集団も潰える。
国が税金で運用する施設には逃げ込んでも構わないだろうが、政府の傘下には、陰陽師が居ない。したがって煙鬼に襲われた際の対応能力には、あまり期待できない。
「テレビでは、対策を報道していなかったか」
一樹が裏技を避けて、一般的な対処法について振ったところ、男子の1人が不満げに訴えた。
「避難範囲から離れて、煙鬼を見つけたら逃げて通報しろという話ばっかりだけど」
「その対処方法は、間違っていないぞ」
テレビの報道について、一樹は肯定した。
政府が一般人に望むのは、新たな煙鬼にならないために、命令範囲から逃げてもらうことだ。
御殿場市から半径60キロメートルは、使役されている煙鬼が移動できる限界距離であって、そこから離れれば復活する煙鬼は出ない。
そして防衛ラインを突破した、獅子鬼に使役されていない煙鬼を通報してもらえれば、潰して個体数を減らせるので有り難い。
「怨念である煙鬼は、物理攻撃では倒せない。だからゾンビのように、一般人が野球バットなどで頭を潰しても倒せたりはしない。一般人は、危険な場所には近寄らないのが正解だ」
煙鬼の呪力はF級の下で、G級にでも分類すべき怨霊だ。
そのためF級の呪力を持ち、符呪も使えると国家試験で確認できているF級陰陽師であれば、単独でも対処できる。
だが一般人は、そこまで呪力を持っていない。
今年の陰陽師国家試験では、13万1739人中8293人が一次試験に合格した。
すなわち100人中94人ほどは、呪力の時点で煙鬼を倒せない。
一樹は国家試験の合格率について説明する。
「一般人は、100人中94人が煙鬼に対抗できる呪力を持たない。1クラス30人中28人は、対処できる呪力に達していない。だから付け焼き刃で術を覚えても、煙鬼には対抗できない」
一樹は言外に、一樹達を除くクラスメイトの呪力では、対処は不可能だと告げた。
「術を覚えられるなら、陰陽同好会に入ろうと思ったんだけどなぁ」
「止めてくれ。教える人数が多くなりすぎて、俺が過労死する」
学校中の生徒が同好会に入会する様を想像した一樹は、ウンザリとした声を上げた。
そして同好会から部活への昇格基準を思い出す。
【部活の昇格に関する規定】
・生徒10名以上と、教員の顧問1名を以て構成する。
・昇格願いと活動実績を提出する。
・部長会で審議し、承認基準に沿って承認を得る。
・職員会議で審議し、校長の承認を得る。
煙鬼の脅威が世間の話題を席巻した現状ならば、生徒10名以上の達成は容易い。
花咲高校は1学年300名だが、来年度の新入生にはF級の呪力を期待できる人間が18人いるはずだ。
水仙に調べさせて、陰陽師になれる呪力があると言って勧誘すれば、きちんと活動できる人間だけでも10人以上の部活を成立させられる。
活動実績については、小太郎、柚葉、香苗の3人が国家試験に合格している。
現役陰陽師は1万人ほどで、医師に比べて30分の1、弁護士に比べて4分の1。高校生の同好会に求める実績としては、おそらく充分だ。
申請に関しては、問題が無いはずである。
――部長会の審議が、一番よく分からないな。
各部の部長達に、霊符1枚ずつの賄賂でも渡すべきなのだろうか、と、一樹は妄想した。
A級陰陽師の一樹が作成する霊符は、市場に流すと億単位の値が付いてしまう。税務署が動き出さないか心配したところで、一樹は我に返った。
「煙鬼は数が多くて、活動範囲も広くて、根拠地も魔王の領域にあるから潰せない。あの辺りは、妖怪の領域になったと思ったほうが良い」
「何とかならないのか?」
「A級4人で行って、全滅しかけたんだぞ」
一樹の視線が、空席になっている小太郎のほうに向かう。
殉職したのは小太郎の父で、死後2週間は経っているが、小太郎は登校どころではないはずだ。
花咲家の当主は、花咲家に代々憑いてきた氏神の犬神が憑くことで決まる。
花咲グループは売上高1兆円規模を誇るが、それらの資産は犬神が築いてきたようなものだ。
横取りしようとする者の末路は、民話『花咲かじいさん』に登場する隣の老夫婦が示している。
したがって花咲一族は、犬神の選定を受けている真っ最中のはずである。
――小太郎が選ばれる可能性は、どれくらいだろうな。
花咲家の犬神は、術者がD級であろうとも、A級下位の力を発揮できると評価されている。
そのため小太郎に犬神が憑けば、小太郎は御方から、A級陰陽師だと認められる。ほかの花咲一族であろうとも、呪力がD級であれば、やはりA級陰陽師に任命されるだろう。
小太郎自身は、犬神を継承する意志があって、自ら陰陽師になっている。
一樹としても、全く知らない人間がA級陰陽師になるよりも、小太郎がなってくれたほうが連携しやすくて有り難い。
だが現状でA級になることは、国民から大きな期待を受けることでもある。A級に就任だけして、高校卒業まで殆ど活動しないという訳には、流石にいかないだろう。
花咲グループ全体の会長に就任することにもなるので、小太郎には大きな負担が掛かる。
――せめて高校卒業後なら、会長職も務まっただろうに。
一樹は不意に、11歳で征夷大将軍になった四代将軍の徳川家綱の話を思い浮かべた。
























