107話 穢れを吸った生血鳥
「ガァッ、ガァッ、ガァッ」
普段は聞き慣れない濁音の鳴き声は、八咫烏達が発しているものだ。
天空には飛行機雲の代わりに、五色の光が尾を引いていた。
「クワアッ」
赤く輝く矢と化した朱雀が、同等の大きさに見える茶色い影に急接近して、空中で蹴り飛ばす。すると蹴り飛ばされた生血鳥が高度を落として、地上に落ちてきた。
落ちながらも旋回しようとした生血鳥の横合いから、青い光の青龍が体当たりした。
弾き飛ばされた生血鳥の直上から白光が降ってきて、白虎が三本足で背中から獲物を掴んだ。
取り押さえた生血鳥の頭をクチバシで突きながら、白虎は滑空して、一樹のところまで獲物を運んでくる。
玄武と黄竜は左右に着いて、編隊飛行を組んでいた。
「これは過剰戦力だったか」
生血鳥の呪力は、八咫烏1羽の5分の1程度だった。
1羽で圧勝のところを5羽も投じた結果、生血鳥は敢え無く捕まっている。
「ギリギリで戦うのは駄目なんでしょ」
「そうだな」
陰陽師協会は、1ランク下の妖怪と戦う事を推奨している。
B級陰陽師であれば、C級以下の妖怪との交戦が良いとされており、B級下位の八咫烏達がC級中位だった生血鳥と戦ったのは、協会的には適切だった。
そのような戦い方をさせているのは、A級2位の宇賀である。
権力者に狙われながら生きてきた人魚の宇賀は、何重にも保険を掛けて、勝利を確定させてから行動する性格だ。
原則を遵守してきた結果、これまで宇賀は生き延びてきた。
「戦力差が大きいほど、勝率が高くなって、損害も小さくなる」
だからこそ宇賀は、多数の羽団扇を作るために、風切羽を集めている。
陰陽師としての技術では、豊川に学ぶところが数多ある。だが確実に目的を果たす点では、宇賀にこそ学ぶべきだと、一樹は考えた。
その間に滑空してきた白虎と生血鳥は、田んぼのあぜ道に軟着陸した。
下側になった生血鳥の身体が、地面と擦れて摩擦を起こし、10メートルほど滑って停止した。
「ギャワッ」
「グワッ!」
うめき声を上げた生血鳥の頭に、白虎のクチバシが突き立てられる。
「よし、お前達、良くやったぞ」
「カァッ、カァッ、カァカァカァ」
勝利の雄叫びを上げる5羽を褒めた後、一樹は式神達に指示を出した。
「これから生血鳥に血を与えて、B級上位……いや、A級下位まで強化する。水仙はあらかじめ妖糸で縛って、麻痺させて、動けなくしてくれ。A級下位に達した後、信君殿はトドメを願います」
一樹が欲張ったのは、加算が2.5倍も違うからだ。
B級上位の風切羽であれば、C級中位分の力を加算できる。C級中位は、柚葉や香苗と同等の呪力であり、滑石製の勾玉1個分でもある。
それがA級下位の風切羽になると、加算は2.5倍になる。
柚葉であれば、神降ろしで母龍を呼んだ上で、不知火などの炎で敵を攻撃できる。
香苗であれば、水行と金行の霊狐を同時に呼び出して、雪菜も参戦させられる。
それでは沙羅や五鬼童家は、増した呪力で何が出来るようになるのか。
鬼火の手数を増やして攻撃、鬼神の護気で防御、天狗の翼を使って撤退など、残り一手が増える。
達人に一手を増やさせる事が、どれほど困難で、かつ貴重であるのか。その一手が、勝敗や生死を分ける事すらも有り得る。
だからこそ一樹は、せっかく強化した上で収集できる機会を逃すまいと欲を出した。
もちろんコントロールできる範囲で収めるべく、水仙の妖糸と麻痺毒を使った上で、優勢な状態で信君にトドメを刺させるが。
「血を与えても、B級下位が精々じゃない? 」
「血だけなら、そうだろうな」
「まあ良いけどね」
水仙と信君が生血鳥の下へ行き、押さえ付けている白虎と交代して拘束を始めた。
交代する瞬間に逃げ出そうとした生血鳥は、瞬く間に全身を蜘蛛の糸に絡め取られて、仰向けにされて地面に押さえ付けられた。
水仙の両手が生血鳥の周囲でクルクルと回り、身体に妖糸が巻き付けられていった。
蜘蛛は7種類の絹糸腺を持っており、目的に応じて使い分けている。
その中でも大瓶状腺から分泌される牽引糸の大瓶状腺糸は、鋼鉄の5倍の強度を持ち、重量は鋼鉄の5分の1から6分の1で、300度の耐熱性を持つ。
軍の防弾チョッキなどに使われるアラミド繊維が、同程度の強度と重量、400度の耐熱性を持つため、性能は概ね同じと見なして良い。
直径1センチメートルの太さがある大瓶状腺糸で巣を張れば、飛んでいるジャンボジェットすらも止められる。
妖糸を作るためには呪力を消費するが、水仙は一樹から呪力を引き出せる。
「呪力もらうよ」
「構わないから、余裕を以て縛ってくれ」
「ギャワッ、ギャワッ!」
1羽が抗議したが、血を吸うなと抗議しても聞かなかった妖怪の主張であり、一樹は無視した。
同意を得た水仙が、糸を生成するために一樹から引き出せる呪力は、最大でA級上位並だ。
ジャンボジェットでも捕まえたいのかと呆れるほどに強靱な糸が生成されて、生血鳥の身体に巻き付けられていく。
蜘蛛が太古の昔から殆ど姿を変えずに繁栄を続け、世界に広がっていったのは、糸を使うからだ。
クモ類で最古の存在はAttercopusと考えられており、3億9000万年前の化石が見つかっているが、これが8本足で糸を使っていた。
約4億年、あらゆる生物に打ち勝って蜘蛛を生き残らせてきた糸が巻き付けられて、生血鳥は身動きを封じられた。
「次は麻痺毒だね」
糸と同様に、毒も太古の昔から使われている。
4億年前には、ミクソプテルスという海サソリが、尾に毒針を持っていた。そして妖毒であれば、妖怪にも充分な効果を及ぼす。
一樹の呪力があったからといって、毒の成分を変える事は出来ないが、毒の分泌量は増やせる。
全世界に広がった絡新婦の妖怪が使う、糸と毒。
ガラパゴス諸島という狭い環境で進化した生血鳥の妖怪が持つ、対応力と毒耐性。
両種族の戦いは、絡新婦に圧倒的な軍配が上がった。
――A級の絡新婦って、厄介だよなぁ。
万能型の五鬼童家も、特化型である絡新婦の巣へ攻め込んだ際には、敗退した。
それでも人間は、数が多く、様々な手段を投じられる。そして人間の陣営には、宇賀や豊川など、A級妖怪であっても対応できる陰陽師も存在する。
そのため水仙は、受肉後には獲物を人間から妖怪に変える事で、調伏の回避を図ろうと模索している。生存と繁殖を優先する絡新婦の妖怪にとっては、獲物を変えるほうが目的に適う。
人間を食べることは可能だが、敢えて食べなかった蛇神は、人間と共存できていた。そのような成功例も見ている水仙は、敢えてリスクは取らない。
だからこそ一樹は、隙が無い絡新婦が厄介だと考えたのだが。
「ギャゥ、ギャゥ……」
妖糸から麻痺毒を注がれた生血鳥は、次第に痺れて動きが鈍っていった。
「さて、俺の血を吸ってもらおうか」
腕をまくった一樹は、カッターで少しだけ皮膚を切って、仰向けに押さえ付けられている生血鳥の口に血を垂らし始めた。
血には陽気を混ぜて、陽気と一体化している自身の穢れも移す。
穢れを抑え込んでいる陽気の総量は、S級下位分。それが一体、どれだけの穢れを抑え込んでいるのかは、一樹も分かっていない。
もしかすると1の陽気で、10の穢れを抑え込んでいるのかも知れない。
そして穢れを妖怪に直接与えると、足し算ではなく、掛け算や乗算などの化学反応を起こすかも知れない。
だからこそ投与量は少しずつ、全体の1000分の1ほどの陽気を籠めた。穢れは陽気に付随する分だけだ。
ゾクリと、一樹の背中に鳥肌が立った。
痺れていたはずの生血鳥の震えが、いつの間にか収まっている。
生血鳥の黒い瞳が一樹と見合い、一樹を深淵のような深い世界に引き込もうとする。
様子が一変した生血鳥の妖力を感知した一樹は、現状を式神達と共有した。
「C級中位から上位に、力を増した。だが、未だ勝てないと思っている。だから、もっと血を寄越せと考えている顔だ」
穢れを抑え込まずに直接与えた効果は、劇的に顕われた。
式神契約した水仙に気を繋げたり、陽気で抑え込んだ小指を食べさせたりした時とは、比べものにならないほどに大きな効果だ。
だがC級上位では、未だ目標には遠く及ばない。
「よし、もう一度与えてやろう」
穢れを取り込んで、麻痺毒の効果を軽減させてしまった生血鳥は、次に与えた穢れは自己強化に使うかも知れない。すると力の上昇率は、今よりも上がる。
一樹は10倍を与えるような真似はせず、5倍に抑えた陽気と穢れの血を飲ませる。
背筋ではなく全身に、おぞましさが込み上げるような震えが走った。
走り抜けたおぞましさは霧散せず、そのまま全身に鳥肌を立たせている。
――拙いことをしているかも知れない。
不意に一樹は、己の所業に恐怖を感じた。
大焦熱地獄で浴びた穢れは、菩薩がS級の気を投じなければ、抑え込めなかったものだ。
一樹を極楽浄土に行かせたならば、その魂に染み込んだ穢れを極楽浄土に持ち込むことになり、只人から仏になった穢れに耐性を持たない者達は、続々と倒れていくだろう。
極楽浄土は、瞬く間に地獄と化す。
そのように酷い穢れを与えられた生血鳥は、放つ妖気がC級上位からB級下位に上昇した。
そして「まだ足りない」と、一樹に黒い瞳を向けてくる。
「B級下位と見せかけて、B級中位だ。状況を本能的に理解して、強さを隠したのか」
溜息を吐き出した一樹は、次を最後と考えた。
「次に、今の1.5倍の量を与えます。信君殿は、生血鳥の力がA級下位に達した時点で、生血鳥の首を刎ねて頂きたい」
「ねぇダーリン、これは倒した後に、食べて良いのかな」
「……駄目だ。これは俺が、やり過ぎた」
普段は水仙の要求を断わらない一樹も、今回は流石に首を横に振った。
「これは亡者の怨念だ。水仙も、自我が壊れるのは嫌だろう。A級に上がるのは構わないが、今回の捕食は止めておけ」
「どうして、そんな力を持っているのかなぁ」
「賀茂家の禁呪だ。風切羽だけ採って、あとは俺の神気で念入りに浄化する」
一樹の代で生み出され、一樹が次代に伝えなければ、詭弁ではあるが嘘ではない。
まともに答える気が無い一樹の様子に、水仙は諦めて糸を牛太郎に繋げた。
信君が刀に手を掛けて腰を落とすのを確認した一樹は、生血鳥の口に、最後となる血を落とした。
その次に起きたことは、全てがほぼ同時だった。
生血鳥は、糸に絡め取られたままに跳ね上がって、一樹の血を狙った。
水仙は、糸から伝わった振動で、生血鳥の動きを感知して、一樹を糸で引き寄せた。
信君は、跳ね上がった生血鳥の首に居合いを叩き込んで、首を半ばまで断った。
首を断たれつつある生血鳥は、それでも大口を開けて、一樹の身体にクチバシを伸ばしている。
糸で後ろに引き寄せられる一樹は、首だけになっても襲ってきそうな生血鳥に、穢れの権化となった怨霊が襲い掛かってくる姿を連想した。
『急急如律令』
咄嗟に印を結んだ一樹は、生血鳥に向かって、閻魔大王の神気を叩き付けた。




























