106話 金山の生血鳥
群馬県太田市は、南が埼玉県、北が栃木県に挟まれた内陸の町だ。
南側には利根川も流れており、北関東工業地域を形成する工業都市の一つとなっている。
群馬県が発表した太田市の工業製造品出荷額は、2020年の確定値で、2兆9865 億円。これは市区町村では全国11位で、人口が128位でありながら、目覚ましい経済力である。
そんな太田市の太田駅から、東武桐生線で北側に2駅進んだ治良門橋駅が、目的地の最寄り駅だ。
一樹達は治良門橋駅から、徒歩で東へ15分ほど歩いた。
すると北西が田んぼ、南西が住宅地、東側が標高235メートルの金山の山裾となる強田地区に入った。ここに4羽目の鳥の妖怪が、生息している。
「あっちの山に行って、中鬼よりも強そうな鳥の妖怪を探して、ここまで追い立ててくれ」
「「「「「クワッ!」」」」」
一樹がキャリーバッグを開けて東の方角を指差すと、指示を受けた八咫烏達は、一斉に東へと飛び立っていった。
太田市史に記される生血鳥は、主に太田市強田地区で目撃例がある。
人の生き血を吸う妖怪であり、人間の子供が1人で居るときが狙われやすく、1人では下校しないようにと言い伝えられてきた。
強田地区は人口1000人に満たず、地区内には小学校が無い。そのため小学生は、一樹が下車した治良門橋駅がある西側の成塚町に通っている。
そして生血鳥の目撃例は、成塚町には無くて、東の強田地区では地元に根付いている。そのため、生血鳥の活動場所は東側で、生息場所は東の金山と考えるのが順当だ。
妖怪化した生血鳥が金山に陣取って、餌場である強田地区などへ定期的に血を吸いに行くのは、縄張りを持つ鳥の習性だと考えられた。
「そこまで分かっているのに、どうして調伏されなかったのかな」
生息地を確定させている一樹に対して、水仙が当然の疑問を投げかけた。
太田市の金山は、独立峰と呼ばれる単体の山で、標高230メートル台と低くて山裾も小さい。そのため退治に赴くのに、登山が大変だということはない。
これが北西にある赤城山と連なっていれば、柚葉の母親である蛇神が住んでいたため、「山狩りをして蛇神を怒らせたらどうするのだ」などの明快な理由が示せる。
だが連ならない小山には、そのようなリスクも無い。
「人間は空に手が届かなくて、被害も小さいからだ」
澄み渡った青空を見上げながら、一樹は断言した。
人間には翼が生えておらず、空を飛べない。
そのため相手が鳥の妖怪で、飛んで逃げられた場合には、対処の術が無いのである。
――相手はカラスくらいの大きさだし、木の枝で休めるからな。
強田地区の木を全て切り倒して、寝床を奪ったとしても、電柱で羽を休まれれば無意味だ。
電柱も撤去したとして、生血鳥が隣の地区へと移り住んだら、全国11位の工業都市である太田市の電柱も残らず撤去するのだろうか。
電柱の次は、民家の屋根などに居座られるかも知れない。
生血鳥の巣を潰すのは、現実問題として不可能だ。
「対抗手段は同格以上の鳥の式神だけど、それを使役する陰陽師は、まず居ない」
一樹は確信を以て、水仙に告げた。
式神使いの割合は、受験生同士の対戦が公開されている陰陽師の国家試験で、概ね把握できる。
晴也のように鷹の式神を使う術者が、試験の時だけ式神を使わないなど、有り得ない。一樹も仕事が欲しかったので、式神を使える陰陽師なのだとアピールした。
試験での使用割合から考えた一樹は、戦闘可能な鳥の式神使いが少数派だと考える。
「どうして居ないの?」
「式神は、維持するだけでも呪力を喰う。そして鳥の式神は、陸上型の近接戦闘に向かない」
陰陽師は荒事を依頼されるので、妖怪への対応力は必須だ。
だが鳥の式神の維持に呪力を持って行かれると、対応力が落ちてしまう。
鳥には手が生えておらず、牛鬼や信君のように武器を持てない。鋭い牙も持たず、四肢で大地も踏みしめられず、陸型の妖怪と戦うには向いていない。
あらゆる状況に対応できる式神は、存在しないのだ。
幽霊巡視船は水上でしか戦えず、牛鬼や信君は陸でしか戦えない。
一樹の場合は、水上で戦えば牛鬼や信君が、陸上で戦えば幽霊巡視船が使えず、その分だけ呪力が無駄になる。
一般の陰陽師がお手本とすべきは、A級3位の豊川のような戦い方だ。
豊川が行う式神術は、異界より召喚する護法神に対価を捧げる形で、自身の呪力消費を最小限に抑えている。
普段から狐霊達と交流してお供え物などを捧げる引き替えに、1000体もの狐霊を扱えるのだ。発現させる術の効果は、呪力消費に対して、最大級に極まっている。
神霊などを祀り、戦いの時に召喚して力を借りれば、自身の呪力を超えた戦いが出来るだろう。
「昔は偵察用として、呪力消費が小さい鳥の式神も使った。だけど今は、ドローンで代用できる」
「鳥の式神使いって、マイナーなんだ」
「そうなる。犬神使いだったら、程々には居るけどな」
日本では、花咲一族に憑く犬神の知名度が高くて、使い勝手の良さも知られている。
人よりも小柄なので、屋内などの狭い空間でも活動できて、被弾面も少ない。
皮膚の上にある毛皮で防御力が高く、暗闇での視力も人の5倍。
索敵能力、反射神経、俊敏性も高く、鋭い犬歯で獲物の喉元に食らい付ける。
そのため過去に花咲家を模倣して、子孫に継承している陰陽師の家も多少はある。
それらは概ね二系統に分類されており、恨みで作った強い怨霊系と、妖犬を子犬から天寿を全うするまで飼って、陰陽師の一族に宿した氏神系だ。
「使役型の式神には、呪力を消費するのに見合う利点もあるけどな」
「たとえば?」
「術が任意発動なのに対して、使役型の式神は常時の自動発動である点だ」
急急如律令と唱える術は、術者が任意で発動しなければならない。
だが式神の八咫烏達であれば、一樹が睡眠中で意識が無かろうとも、あるいは登校や遠征で不在でも、相川家の周辺に住む鬼を自発的に狩って、守ってくれる。
趣味で狩っているように見えるが、最初に鬼の狩り方を教えて、上手く狩れた時に褒めたのは、他ならぬ一樹自身だ。八咫烏達は、ちゃんと教えられた事を守っている。
それに「あっちの山に行って、中鬼よりも強そうな鳥の妖怪を探して、ここまで追い立ててくれ」
と指示すれば、それを履行できる能力も持っている。
紙で作る鳩の式神には、そこまで複雑な事は出来ない。
また外で野宿する時は、水仙や信君に夜番を頼める。
それどころか頼まずとも、自己判断で守ってくれるだろう。
使役型の式神達は、常時の自動発動で、各々の能力に見合う行動を採ってくれる。
「ふーん。だったら1体くらい居たほうが、安全じゃない?」
「それで大多数の支持を得たのが、犬神なんだろう。鳥を使役する式神使いは、マイナーだ」
そのため生血鳥が倒されなかったのだろうと、一樹は想像した。
C級の生血鳥を倒すならば、同格以上の鳥の式神を使わなければならないが、誰も持っていない。
それでは陰陽師ではなく、自衛隊に要請したら、一体どうなるのか。
C級妖怪に攻撃する場合は、機関銃では効かず、個人携帯対戦車弾が必要だと考えられる。
だが個人携帯対戦車弾を発射したとして、誘導装置を持たない弾頭が、遠方で飛行する鳥の妖怪に命中するものだろうか。
しかも周囲は、田んぼと住宅地だ。
空に向けて発射して外れた場合、住宅に着弾しかねない。
そうなった場合、住宅を破壊された被害は、生血鳥に血を吸われるよりも大きくなる。
「宇賀様や豊川様なら対応できるだろうけど、生血鳥は、人間の子供を襲って血を吸うが、殺しているわけではない。A級陰陽師を出すような事態でもない」
生血鳥の脅威度は、人が死なないために、小鬼以下と見積もられる。
すると人間側は、A級陰陽師に10億円以上を支払って依頼するよりも、小鬼1匹を小銃で撃つほうが安くて効率的だと考える。
そのため優先順位の低い生血鳥は、これまで見逃されてきた。
「もしかすると、過去に討伐隊を送り込まれた経験から、獲物を殺さない程度に抑える知恵を身に付けていたのかも知れないが」
カラスの賢さは、八咫烏の育成を通じて一樹も実感するところだ。
ハシボソガラパゴスフィンチを飼った経験は無いが、外見は似通っており、極端な差がなければ学習能力は相応にあると考えられる。
「ふーん。だったら今回は、運が悪かったね」
せっかく対策したのに、全く関係のない羽団扇作成で狙われるなど、想像だにしないだろう。
しかも羽団扇を作ることになった原因は、2000年振りに復活した魔王だ。
「人間にも想定外があるし、鳥にもあるさ。それに生血鳥は、無辜の鳥ではない」
生血鳥は人間の子供の血を吸っており、被害者は出ている。
それが協会の群馬県支部に知られており、宇賀が求めたB級以上の鳥の妖怪からは条件が外れるが、群馬県の統括から宇賀に報告が上げられた。
そして宇賀が諸般の事情を考慮した結果として、今回の狩りの対象に選んだのだ。
そのため一樹も、討伐を躊躇う感情は抱かなかった。
やがて東の空から八咫烏達の鳴き声が聞こえてきて、目標の生血鳥と接敵した。
 
























