104話 予知ではなく、ズル
「6種類のうち、3種類が集まったわね。お疲れ様」
8月24日、奈良県御所市。
御所市の西に聳える白雲岳、その山肌を切り拓いて建立された神社と、それを守るように建てられた協会本部の中に、一樹の姿があった。
目的は、金文の霊鳥と白鷹の風切羽について、宇賀に手渡しすることである。これらは貴重すぎて、誰かに預けるなど出来なかった。
蒼依と沙羅は、夏休みが終わって二学期が始まるという理由で、家に帰っている。花咲理事長が存命であれば公欠に出来たが、現状では不確実だ。
もっとも、それは建前である。
一樹の本音は、蒼依を協会本部に連れて来たくなかったからだ。
協会本部は、妖怪を調伏する陰陽師達を取り纏める総司令部のようなところだ。
そんな場所に、山姥の孫で、未だ充分な神域を作れない蒼依を連れて行くのは挑戦的であろう。常任理事の1人である一樹の立場は高いほうだが、協会設立にも関わった宇賀とは、比べるべくもない。
無理を押し通したいなら、会長にでもなるべきだ。
会長に対しては、宇賀も退いてみせる態度を取っている。
だが魔王が復活したタイミングで新会長を担うなど、過労死の志願者でしかない。一樹は波風を立たせないように、蒼依を家に帰したのだ。
応接室で宇賀と向かい合い、高価なお茶を飲みながら、一樹は残念な結果を伝えた。
「残念ながら2種類は、枚数を集められませんでした」
発言とは裏腹に、一樹は残念そうな表情を浮かべていなかった。
それは五鬼童家が、鵺を2頭倒して、風切羽を入手したと耳にしていたからだ。
沙羅が事前に聞いていたとおり、五鬼童家はあらかじめ判明していた福井県と長野県の鵺を狙い撃ちで倒していた。
2体の鵺はいずれも土行で、一樹と五鬼童家は、それぞれ金行と土行を集めた。
残りは木行、火行、水行で、どちらも必要な五行と枚数が変わらないため、追加収集の必要は生じていない。
五鬼童の風切羽が不足した場合、引退した天狗から、呪力を徴収しなければならなかった。それを回避できているので、大きな問題は無い。
小さな問題としては、集めた風切羽に力の差があることだ。
一樹が集めたのは、B級上位の金行(大森山の怪鳥)、A級上位の土行(金文の霊鳥)、A級中位の金行。それら3枚の5%で、呪力3万2千、B級中位相当の加算。
五鬼童家が集めたのは、B級中位の土行2種類(鵺)。そこに大森山の怪鳥を足す。それら3枚の5%で、呪力4千、C級上位相当の加算。
五鬼童家も11枚を足せば、B級下位の加算にはなるであろう。だが沙羅の羽団扇のような素材があれば、A級候補の義経は、簡単に目標値に届いた。
これらの結果に対して宇賀の反応は、淡泊なものだった。
「こんな風切羽が10枚ずつもあったら、対価を支払いきれないわ」
宇賀が手にしているのは、金色の風切羽と、白色の風切羽。
2種類の羽根を眺める宇賀は、「神力が大量に籠められた」などの単純な表現を行わなかった。どちらにも、特別な力が宿っていることは感じ取れたらしい。
一樹が集めた風切羽の由来について、各支部に情報提供を依頼した宇賀には、春日家から報告が入っている。
2種類目は金文の霊鳥で、医薬の薬師三尊に関わる。
3種類目は白鷹で、英知と幸福の虚空蔵菩薩に関わる。
集めた一樹に神仏へ祈願する余地があるならば、宿らせるのは、力の引き出しだ。
宇賀は一樹に祈願の余地があったと予想して、対価が支払えないと見なしたのだ。
「私が可能な範囲で風切羽を多く集める対価は、2本目の羽団扇を作成して頂くことですが」
「物事には、限度があるのよ。これは、やり過ぎというの」
至極もっともな指摘に対して一樹は、ぐうの音も出なかった。
「ほかの風切羽と力の差があっても、その2枚であれば、五行の循環は滞りなく行えるはずです。加工して頂く際には、力を弱める調整などは無用に願います」
「それは、大したものね」
改めて2枚の羽根を検分した宇賀は、丁寧な手つきで、木製の小箱に仕舞い込んだ。
これにて貴重な2種類の風切羽は、引き渡し完了である。
「ところで魔王についてですが」
応接室のテレビに視線を送った一樹は、避難命令の報道について話を振った。
「政府の対応が早いですが、宇賀様が九条陰陽長官辺りに、事前に危険をお伝えされたのですか」
最初の煙鬼確認が、24日の深夜から早朝にかけて。
避難レベル7と半径60キロメートルの範囲拡大が、同日12時17分。
朝6時頃に官邸へ第一報が届いたとして、そこから発令までに、6時間しか経っていない。
いかに妖怪被害に慣れていても、魔王など滅多に出現せず、日本政府の腰も重い。
事前に相当の権威がある専門家から判断を聞かされていなければ、300万人も強制的に避難させる命令など、出せるはずもないというのが一樹の認識だ。
問われた宇賀は、軽く笑みを浮かべただけで、肯定も否定もしなかった。だが否定しない時点で、実質的に肯定しているようなものだ。
人に不老長寿と予知を与えられる人魚。
それが権力者から二重に求められるのは、今回の一事を見るだけでも、無理からぬ話だろう。
もっとも宇賀は、権力者とは心理的にも物理的にも距離を取っており、フルオロアンチモン酸まで所持して自衛しているが。
「煙鬼の被害は、どの程度になるのでしょうか」
今度の一樹は、予知能力を持つ宇賀ではなく、協会の副会長である宇賀に見解を求めた。
すると今度は、しっかりと返答の言葉が紡がれた。
「すでに万単位で殺されたわ。寝ている時間に、音も立てずに忍び寄る怨霊に不意打ちをされて、普通の人間が防げるわけがないでしょう。これから1桁は、被害が増えるわね」
一樹は目を見張って驚いたが、最初に数千体の煙鬼が出現したことを思い出して、有り得ると考え直した。
「ゾンビは走れませんが、煙鬼は走れるのでしょうか」
「走れるのと、走れないのが居るわ。煙鬼は、アヘン中毒者の怨霊なの。そして症状には、程度があるでしょう」
「なるほど」
手元のスマホを操作した一樹は、アヘン中毒者の症状について検索した。
禁断症状が出て止められなくなり、全身がやせ細り、皮膚が青白くなり、性欲や食欲が減退し、不眠、不安、幻覚、恐怖、手足の震え、知覚過敏、言語障害を引き起こすとされる。治療は困難で、入院隔離を要する。
患者を一見すると、まるでゾンビである。
そして吸煙が過ぎれば、呼吸麻痺で死亡し、煙鬼に至る。
1840年から始まったアヘン戦争では、イギリスがインドで製造したアヘンを中国に売り、中国がアヘンを禁止して没収・処分したところ、イギリスが不当だとして艦隊で攻め込んだ。
そして中国は敗北し、南京条約でイギリスへの賠償金の支払い、香港の割譲などを行わされた。
中国では、麻薬の密造、密売、密輸が最高刑で死刑とされているのに対し、薬物使用者は被害者かつ病人とされて治療を優先されているが、法の成り立ちには歴史背景も踏まえる必要がある。
「煙鬼が、真っ直ぐに走れるのかは怪しそうですが、一応走れることは分かりました」
煙鬼は怨霊で、体力が尽きない。
そして獅子鬼からの供給で、呪力も尽きないと考えられる。蜃の領域から発生した煙鬼は、蜃と同様に、獅子鬼に使役されているだろうからだ。
そのため一般人が煙鬼に見つかれば、走って逃げても、いずれ体力が尽きて追い付かれる。
煙鬼は怨霊であり、ゾンビのように頭を殴っても、あるいは自衛隊が銃撃しても、倒せない。
そのため追い付かれれば、煙を浴びせられて、アヘン中毒になって仲間に引き摺り込まれる。
その時点で、煙鬼の数は2倍だ。
2倍に増えた煙鬼が新たな犠牲者を引き込めば、総数は最初の4倍。それが8倍、16倍と増えていく。
また犠牲者は、殺される際に生気も吸われてしまい、それが獅子鬼の下へと流れて行く。
「……厄介すぎませんか」
中国で1億人が煙鬼に殺されたのも、納得できるほどに厄介な特性だった。
しかも煙鬼の特性を効果的に利用する魔王がいるのだから、なおタチが悪い。
アヘンで死んだ煙鬼は、死んでいない人間を恨んでおり、自発的に襲って仲間に引き込む。自発的に人間を襲うのだから、術での命令が不要で、使役者の負担や消費は殆どない。
魔王は好きなときに、好きな場所へ煙鬼を出すだけで、包囲する人間の軍隊を追い散らし、陰陽師に負荷を掛けられるのだ。
「厄介ではない魔王なんて、滅ぼされた魔王だけよ」
「それもそうですね」
魔王と見なされる基準は、S級だ。
陰陽師協会にS級陰陽師は存在しないし、S級下位のムカデ神に単独で勝ちきれなかった一樹も、S級は単独で勝てる相手ではないと認識する。
複数で共働した結果も、前回の敗北だ。
今から獅子鬼が東京に侵攻を始めたならば、協会も苦渋の決断を迫られることになる。
「そこでお願いの追加なのだけれど、風切羽の枚数、10枚から増やして貰えないかしら」
「羽団扇の作成数を増やすのですか?」
「五鬼童の血縁者も、使おうと思ってね」
飛べるB級が数人増えれば、広範囲をカバーできる。
煙鬼が各所に出現しており、補助要員も必要になったのだと考えられた。
「八咫烏達の抜け落ちた羽根さえ集めれば良いので、大して手間は増えませんが」
「助かるわ。初列ではなくても良いから、よろしくお願いするわ」
「畏まりました」
一樹が応じると、宇賀は安堵の表情を浮かべた。
「ところで風切羽の収集だけれど、次の目処は立っているのかしら」
「いいえ、見当は付いていません」
「だったら、ズルをしましょう」
「……はい?」
首を傾げた一樹に対して、宇賀はズルの具体的な手順を告げた。
























