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9 つつきたくなるカラス

 再び、ひとりぼっちになってから、初めての夏が来た。


 相変わらず、変な夢ばかり見る。同じようなやつを何度もだ。おかげで俺は寝不足だった。勘弁してほしい。だが飢えて死にそうになるよりは、よっぽどマシだ。我慢するしかない。


 夏は人間が出すゴミ以外にも、たっぷりと餌のある時期だが、今の俺には養うべきメスもいない。自分の分だけ、たらふく食えば、それで十分だ。


 今日も管理が甘くて、ちょろいゴミ置場をいくつか回った。網のかけ方が雑だったり、適当なところに置いてあるゴミがあれば、つつきがいがある。たっぷりとゴミを散らかして、腹ごしらえが済んだあとは、公園で水浴びでもして、暇つぶしをするだけになる。


 いつものように俺は、電信柱から出っ張っている、細長い看板に飛び乗って、街を見下ろしていた。


 何やら見慣れないものが、近づいてくるのが見えた。


 路地裏を歩いているのは、フサフサ感がゼロなやつだ。大きさや形はかなり犬っぽい。だが俺の知っている犬とは、少々様子が異なっている。


 銀色のツルツルで、やたらと妙な感じのする『犬のようなもの』が、よたよたと進んでいる。その足元は生まれたての子犬みたいに、危なっかしくておぼつかない。


 宝石みたいに、ピカピカ光る首輪をつけているから、誰かに飼われていたやつかもしれない。


 餌を探しているのか、それとも飼い主でも探しているつもりなのだろうか。


 粗大ゴミの山から、急に動き出したかと思うと、しばらく進んだところで電信柱にぶつかった。


 ずっと進もうとしているのに、いつまでたっても同じところで足踏みを続けている。

 無駄な努力をしているやつを見るのは、実に寂しいことだ。


 哀れというのだろうか。

 そういうやつを見ると、俺はつつきたくなる。ちょっかいを出したくなってしまう。なんでも一応、一度はつついてみる。それがカラスの習性というやつだ。


 きっと人間なら、こういう哀れなやつを見かけたら、そっと抱き上げて、優しく撫でたりしてやるんだろう。


 だが、あいにく俺には、そんな長い腕も、大きな手の平もない。しょうがないからつついてみるだけだ。


 カツンと硬そうな音がする。犬のような形をしているのに肉っぽさがないし、全然フサフサじゃない。犬でなかったら、こいつはなんなのか。


 おい、こら、なんとか言えよ。返事しろよ。


 少し距離を取ってから、俺はカァーと鳴いて問い詰めるが、犬のようなものは何も言わずに、ただ黙々と電信柱に向かって歩き続けている。


 まともに話もできないなんて、もしかしたら、こいつは死にかけているやつなのかもしれない。だが、こんなに硬そうな音がするぐらいだから、せっかくお陀仏になっても、あまり肉は美味くなさそうだ。


 たとえ死んだとしても、誰からも必要とされないなんて、実に哀れだ。


 こんな不味そうな肉を食おうとするのは、よっぽど腹を空かせて、罠にかかってしまうような、あの森での愚かな俺か、巣立ってすぐのバカな若鳥ぐらいだろう。


 もちろん俺だって、死にかけている緊急事態でもなければ、こんなカチコチの肉はごめんだ。人間のゴミで舌が肥えている、俺たちカラスを舐めんなよ。


 しばらく様子を見ながら、背後から何度かつついてみるも、反応もしないし、うんともすんとも言わない。


 完全に俺を無視してやがる。

 カラスごときに返事をする口は、持ち合わせていないという、意思表示なのだろうか。


 なんだかムカついたので、もう一度つついておいた。


 俺たちカラスってやつは、なんだかんだで嫌われている。

 こんな風に話しかけても、無視をされるぐらいなら、まだいいほうだ。


 ひどい時はこちらは何もしていないのに、街中をうろつく人間どもから、出会い頭に、石やゴミを投げられることだってある。


 ちょっとばかし真っ黒な羽と、でかい口ばしが、ほかの鳥どもに比べたら、可愛げがないのは薄々気づいている。


 しかも俺たちカラスは雑食で、人が生活している場所に、食料を調達しに行くせいで、ずっと人間のやつらに疎まれ続けている。


 だが俺たちだって、生きるために仕方なくやっていることである。ただ生きているだけなのに、こんなに嫌われるなんて、あまりに理不尽だ。


 人間だって、鶏の卵を取り上げたり、牛の乳を横取りしたり、海から魚を盗んだりしているくせに。それどころか、俺たちを非難するお前たちこそ、いろんな動物の死肉を、食ってるじゃないか。


 どうして俺たちカラスだけが、人間が捨てた食料を狙っただけで、こんなに疎まれなきゃいけないのか。


 納得がいかない。鳥権侵害だ。


 お前らそんなに、取られたら怒るぐらいに、ゴミが大事だって言うのなら、捨てるなよ。

 ちょっと興奮しすぎて、ついアホーと鳴いてしまったではないか。落ち着け、俺。


 なんだかんだで、カラスってやつは、生まれながらに冷遇されすぎている。

 俺だって、好きでカラスに生まれたわけじゃない。


 もし生まれてくる種族が選べるのなら、公園で餌をもらえるという謎の高待遇を受けている、ハトあたりに生まれてきたかったぐらいだ。


 首を前後に動かしながら、クルックーと鳴いているだけで、餌にありつけるなんて、どこの国の貴族様だ。


 ハトの中には、人間と一緒に仕事をしているやつまでいるらしい。


 昔は遠くまで手紙を届けていただの、レースをしていただの、こちらが聞いてもいないのに、長老たちから伝え聞いた昔話を、公園の井戸端会議で長々としているような、エリート気取りのうざい輩もいるぐらいだ。


 誰かの自慢話ほど、退屈なものはない。


 特に白いやつなんて、美しい羽を持っているから、平和の使者だかなんだかって、やたらと丁重に扱われていると、これ見よがしに自慢してきやがって、実に始末が悪い。


 白くて綺麗ということなら、俺のつがいだった白いカラスのほうが、よっぽど綺麗だと自慢し返してやりたかったが、今はもういない相手を見せびらかすわけにもいかない。黙ってやり過ごすしかなかった。


 あいつら、一体どんな賄賂を渡せば、そんな地位に登りつめられるんだ。

 わけがわからない。


 たまたま灰色や白色の姿に生まれて、俺たちカラスほど、威圧感がない見た目だっただけのくせに。納得がいかねぇ。


 もしミミズやカブトムシの幼虫を、百匹ぐらい人間に貢げば、俺たちカラスの立場も、少しは良くなったりするんだろうか。そんな世迷言を考えたこともあったが、きっとそんな奇跡のような日が来ることはないだろう。


 いつだって、俺たちカラスは嫌われ者だ。

 その事実が覆ることなんてない。


 きっと永遠に。

 だが、別に人間ごときに嫌われたって、問題ない。


 オオタカみたいな猛禽類に、狙われるような環境に比べたら、少しぐらい石を投げられたって屁でもない。どうせ人間の投げる石なんて、当たらない。


 つい最近もごみ置き場を漁っていて、うっかり出くわした人間に、石を投げられたことを思い出し、ムカムカして、ついアホーと鳴いてしまった。


 通りすがりの老人が、さも嫌そうな顔で、空を見上げた。


 別にお前に向かって言ったわけじゃない。説明するだけ無駄だから、俺は顔を背けて、知らんふりを決め込んだ。


 老人が通りすぎる間にも、犬のようなものは相変わらず、うんともすんとも言わずに、ただ電信柱に頭をこすり続けている。


 これ以上、残念なやつの相手をする気力も、興味もなくなったので、俺は高く飛び上がり、いつもの看板の上にとまった。


 この看板は、程よく幅があって、安定感があり、街がよく見渡せる、とても良い場所だった。


 看板に描かれた白いカラスの絵を、俺は気に入っている。俺が昔、つがいになったあの白いメスに、少しだけ似ていたからだ。


 真っ黒な俺とはまったく違って、真っ白で赤い目をした綺麗なメスだった。

 過去形なのは、もうそのメスはいないからだ。


 つがいになって、彼女が初めて卵を産んだ直後のことだ。俺が餌を探しに行っている間に、巣ごとメスは姿を消した。


 人間どもが勝手気ままに、俺たちカラスの巣を壊したり、撤去したりすることはよくあることだ。だから巣を撤去されただけなら、何度か作り直して乗り切ることもできた。だが肝心のメスがいなくなってしまったのでは、どうしようもない。


 白いカラスは珍しいから、狙われた可能性もある。きっと人間に捕まって、処分されてしまったのかもしれない。


 それとも肝心な時にそばにいてやれなかった、残念な俺のことが嫌になって、どこかに逃げてしまったのだろうか。


 だが今となっては本当のことはわからない。

 それ以来、そのメスとは会えていない。


 だから俺はこの看板を見て、少しだけあのメスのことを思い出す。


 看板の中から、俺をじっと見ている偽物の白いカラスは、突然消えたりしない。

 だから安心だ。


 多分、あの犬のようなものが、ずっと電信柱に頭をこすりつけているのと、今の俺は同じ状態なのかもしれない。


 ずっと同じところで、堂々巡りをしている。忘れる勇気すらない。

 いつかきっとあのメスが戻ってくるんじゃないか。


 そんなことを期待して、巣があった場所を見渡せるこの場所で、ずっと俺は待っている。いるかどうかもわからない彼女を。


 情けなくてみっともない。

 無駄な努力をしているやつを見るのは、実に寂しいことだ。


 哀れというのだろうか。

 そういうやつを見ると、俺はつつきたくなる。ちょっかいを出したくなってしまう。なんでも一応、一度はつついてみる。それがカラスの習性というやつだ。


 きっと昔の俺が、今の残念な俺を見たら、何度もつついていることだろう。


 愚か者にちょっかいを出すのも、少し疲れてきた。いつもの定位置に戻って、一休みすることにする。


 こんなろくでもない気分の時は、昼寝なんてするもんじゃない。わかってはいたが、眠気には勝てない。案の定、やっぱりよくない夢を見る羽目になった。





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