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7 ひとりぼっちのカラス

 さっきの夢は、なんだったんだ。

 なんで俺が、人間の夢なんか見たのか。さっぱりわからない。


「どうかしたの?」


 白いカラスは心配そうに、俺を見ている。


「なんでもない」

「本当に?」

「大丈夫だって言ってんだろ」


 口ではそう言うが、なんだか胸がざわついた。わけもわからずに不安になっていた。そんな気持ちを断ち切るように、カァーと大きな声で鳴いた。


「飯を調達してくる」


 俺は心のモヤモヤを振り切るように、空に飛び立った。




 道路沿いの満開の桜から、花が房ごと落ちてくる。


 きっと花に群がるスズメたちが、蜜を吸って用無しになった房を、根元からブチブチと抜いては捨ててを、繰り返しているのだろう。


 無粋なことをするやつらだ。

 いくら見た目が可愛いからって、何をしても許されるとでも思っているのだろうか。


 俺たちはそんなことはしない。

 なのに嫌われるのは、いつだって俺たちカラスのほうだ。


 納得がいかない。

 だが、そんなことを愚痴っていても、しょうがない。


 やつらにかまっている暇などない。俺は餌の確保に忙しいのだ。腹を空かせた愛しのメスが待っているのだから。


 今日の食事処は、近所の公園だ。

 この公園に来るガキは、かなりバカだ。


 それはもう笑えるほど、危機意識が薄い。だから狙い目である。


 予想通り、公園で遊んでいたガキたちは、食べかけのお菓子をほったらかして、そのままボール遊びを始めている。


 俺はチャンスだと思った。


 ほかの人間どもが、そばにいないことを確認してから、お菓子の箱に近づき、つついて中をひっくり返した。丸くて平べったいお菓子を、一枚かじってみる。


 美味い。あの森で、死にかけていた時に、食った味と似ていた。

 サクサクとしていて、口の中でホロリと崩れる。


 あまりに美味いので、もう一枚食べてみる。

 だが、ちょっとばかし、のどが渇く。


 公園の中心にある水飲み場まで飛んで、蛇口をクチバシでひねって、水を出す。冷たくて透き通った水を、ごくごくと飲み干すと、再びお菓子を食べたくなる。


 美味すぎるお菓子というのも、なかなか危険だ。

 こんなに美味いものを、ひとり占めするのは、もったいない。


 ずっと巣で待っている、あいつのことが頭に浮かんだ。


 真っ黒な俺とは違って、白くて赤い目をした、世界で一番、綺麗な俺の嫁だ。やつは今、卵を温めながら、俺の帰りを待っているはずだ。


 このお菓子を渡した時のことを想像した。前にあの森で、弱っていた俺に、同じようなお菓子をくれた時に、「美味しいでしょ」と言っていた。それだけ気に入っている味のはず。


 きっとこれを持って帰れば、やつも喜んでくれるはずだ。


 誰かが言っていた。

 美味いものを見つけたとき、それを一緒に食べたいと思ったやつこそが、本当に大切な相手だと。


 俺にとって、あいつが世界で一番、大事なメスであることは否定しない。


 やつには命を救われたことが何度もある。だから今度は俺が、やつと子供達を守らなくてはならない。


 そのためにも、まずは餌だ。ボール遊びに飽きたガキどもが戻って来る前に、戦利品を持って帰ろう。


 俺はお菓子を二枚ほどくわえて、空高く飛び上がった。




 イチョウの葉っぱが、程よく茂っている場所に、俺たちの巣は作ってあった。


 普段は人通りの少ない場所にある街路樹だが、なぜか今日は人間が二人、近くをうろうろしていた。ちょうど俺たちの巣がある場所の下だ。


 背の高い男が、巣のあたりを見上げている。

 春先だというのに、フサフサの黒いフード付きのコートを着て、黒い丸メガネをかけている。なんだか怪しいやつだ。


「本当に、こいつが? 冗談だろ」

「間違いないよ。森でも見たし。あの人と同じように、独特な匂いがあるから」


 もう一人の少年が、巣のあるあたりを指差している。かなり小柄だが、白髪頭で赤い瞳をしていた。なんだかうちの嫁みたいだ。人間にも白いやつがいるらしい。


 黒コートの男が、見る角度を変えて、なんとか巣の様子を伺おうとしている。


「なんで、よりによってカラスなんだよ」

「知らないよ。そんなこと、おれに聞かれても。お待ちかねの相手が、一番なりたくなかったのがカラスだったってことでしょ。それに合わせたんじゃない?」


 何の話をしているのかはよくわからないが、少なくとも、俺たちの巣を狙っている可能性は高いだろう。


 人間というやつは、俺たちカラスの巣をいきなり撤去して、嫌がらせをするのが趣味らしい。なんて悪趣味なんだと思うが、そういう邪悪な種族に生まれついてしまったのは不可抗力だろう。可哀想なやつらなのだ。同情しかない。


 きっとこいつらも、そういうろくでなしなやつらの末裔なのかもしれない。用心するに越したことはないだろう。


 本来なら威嚇をして追っ払うこともあるが、俺は今、大事な食料を口にくわえている。その状態で、鳴き叫んだりするのは、バカのすることだ。


 少なくとも俺はそんなにバカじゃない。ブドウを川に落とした、愚かなキツネになるつもりはない。


 なんで俺は今、キツネの話を持ち出したんだろう。キツネの知り合いなんていないはずなのに。よくわからないが、そんなことはどうでもいい。


 とりあえず俺は、少し離れたところから、しばらく様子を見ることにした。

 白髪少年が、何かを探すように視線を飛ばした。


「その相棒も、戻ってきたみたいだよ。ほら、あそこ」


 白髪少年は、俺のいる方向を指差した。葉っぱに紛れる場所から観察していたのに、どうして、俺の位置がわかったのか。


 黒コートの男もこちらを見た。手には金属製のライターを持っている。何度も蓋を開け閉めして、キンっと響く音をさせている。


 なんだかあの癖、見覚えがあるような気がする。よくわからない。

 だがまさか、俺たちの巣に、火でもつけるつもりなのか。


 こいつらは危険だ。絶対に俺たちの巣を狙っている。


 噂に聞いた、白いカラスを狙っていたやつらかもしれない。

 こうなったら、背に腹は変えられない。


 俺は口にくわえているお菓子を犠牲にして、これ以上縄張りに侵入するなという威嚇を込めて、カアァ、カアァ、カアァ、カアァと大きく鳴いた。


 白髪少年がビクッとしたように、少し退いた。

 俺に襲われるとでも思ったのだろうか。


 だが、カラスが急に人間を襲うなんて、ただの言いがかりだ。


 俺たちは必ず、前もって何度も警告を出している。なのにその警告を無視するから、仕方なく攻撃することがあるだけだ。いい加減にしろ。


「警戒されてるみたいだね。あんまり刺激しないほうがいいんじゃないの。下手にちょっかい出して、またわからないところに逃げられても困るし」

「わかった。今日は場所が確認できたら、それでいい」


 黒コートの男が踵を返すと、白髪少年もそれに続いて去っていった。

 また戻って来るかもしれないと、少しの間は様子を見ていたが、二人が戻って来ることはなかった。


 一応、イチョウの周りを一飛びして、怪しいやつらが、他にもいないか確認した。あの二人のように、こちらを見ている人間はいない。なんとか危機は脱したようだ。


 ホッとしながらも、地面に落ちたお菓子を見る。粉々に砕けて、アリが群がり始めていた。せっかくの戦利品が台無しだ。


 だがきっと、あれはマズイお菓子だったに違いない。人間の捨てた食べ物の中には、カビていたり腐っていたりするものも混じっている。うっかり変なものを、嫁に食べさせずにすんで、むしろ良かったと思うことにした。


 巣に戻ると、白いカラスが不安そうな顔をしていた。彼女を安心させるように、俺はなるべく優しいトーンで、カァーと鳴いた。


「大丈夫だったか」

「うん。大丈夫。なんか変な人間が、ずっとこっちを見てて」


「とりあえず追っ払っておいたが、また来るかもしれない。その時は、巣を移動したほうが安全かもな」

「そうだね」


 白いカラスが、俺の口元をじっと見ている。もしかしたら、お菓子のカスがついていたのかもしれない。


「すまん。せっかく見つけたお菓子、落としちまった」

「そっか。しょうがないよ」


 白いカラスは腹を空かせているだろうに、俺を責めるようなことはしない。いつだって優しい。よく出来たメスなのだ。


 だから俺は、こいつとつがいになった。俺の最高の嫁だ。

 しょうがない。もう一度、取りに行くか。


「ちょっと、待ってろ。すぐに戻る」

「気をつけてね」


 空に飛び上がった俺は、わかったと言うように、カァーと鳴いた。

 だがそれが、白いカラスと交わした、最後の声になった。


 再びお菓子を口にくわえ、戻ってきた時には、巣ごと白いカラスはいなくなっていた。

 街中をいくら探しても、見つからなかった。


 何度もカァーと鳴いて呼んだ。

 返事はなかった。


 結局、俺はやつを守ることはできなかった。まだ恩返しもできていないのに。

 前にもこんなことがあった気がする。


 遠い遠いぼんやりとした記憶だ。

 これから幸せを手にいれると思った瞬間、すべてを壊される。そんな感覚だけが、うっすらと思い浮かぶ。


 きっと人間だったら、こんな時は号泣というやつをするのだろう。

 だが俺はカラスだ。涙なんて出やしない。


 俺は白いカラスと出会うまでは、ずっと孤高を気取った意識高い系カラスだった。

 そして、俺はまた一羽になった。


 ひとりぼっちというのは、ろくでもないことを考えてしまう時間が長い。おかげでまた変な夢を見るようになった。




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