5 心がざわざわするカラス
恍惚とした時を終えて、二羽でまったりとしながら、イチョウの木の上から、街を見下ろした。
あのオオタカに森まで追い込まれた、運命の日が、とんでもなく遠い昔に思えた。
強烈な一撃を喰らって落ちた時は、もう何もかもが終わりだと思っていたのに、今もこうして生きている。
死を覚悟するほどに絶望し、もう終わりだと思った瞬間も、諦めなければ、必ず未来があることを、俺は知った。
すべて白いカラスのおかげだ。
俺たちはこれからも、この街で生きて行く。
きっと人間とわかり会える日なんて、永遠にこないだろう。
だがそれでいい。少し嫌われているぐらいが丁度いい。
それがカラスってやつだからしょうがない。
俺だって、好きでカラスに生まれたわけじゃない。
だが、いくら人間に嫌われようが、ただいつものように、人間のゴミを荒らして、なんとか飢えをしのいで、その日、その日を生きて行くだけだ。
俺は絶対に、こいつを幸せにする。
いずれは俺たちの子供が、ここから飛び立っていくんだよな。
俺みたいに生意気なガキだろうか。
それとも白いカラスに似た、可愛い子だろうか。
未来予想図を思い浮かべただけで、幸せな気持ちでいっぱいになった。これはただの妄想ではない。いずれやってくる未来なのだ。
だが、ふと前にもこんなことがあった気がする。しかもその幸せなひと時が、一瞬ですべて壊れたという感覚だけが蘇った。
なぜだかわからないが、心の片隅で、既視感のようなイメージが浮かびあがる。
心がざわざわした。
やめろ。
失うことを考える奴に、ろくな未来なんてやってこない。
落ち着け。俺は幸せだ。
この幸せが壊れるわけなんかない。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
俺は何事もなかったかのように、カァーと鳴いた。
白いカラスをねぎらうように、羽づくろいをしてやる。白いカラスもまた、俺の羽づくろいをしてくれる。
はたから見たら、ただのイチャイチャしすぎの、バカップルにしか見えないだろう。
そうだ。大丈夫。
俺は幸せになるんだ。
だが、そんな甘い空気を切り裂くように、図々しくも、若いカラスが近づいてきた。俺がオオタカから助けた、ビビリコンビの丸っこい方のやつだ。
少しは空気を読めよ。
そんな調子で周りが見えてないから、オオタカに襲われそうになるんだぞ。
そういうとこだぞ、お前。
「久しぶりだな」
丸っこいビビリカラスは、まるで幽霊でも見ているみたいに、俺のことを怪訝そうに眺めている。
「てっきり死んだと思ってたよ」
「勝手に殺すなっ」
実際に死にそうになったけどな。
ビビリカラスは、白いカラスと俺を見比べるようにじっと見て、困ったような顔をした。
「まさかそいつと、一緒になるんじゃないだろうな」
「何か問題でもあるのか」
よりによって、このタイミングで白いカラスを横恋慕するために、宣戦布告をしにきたなんてことは、あるまいな。
もしそんなことがあったとしても、全力で戦って、俺の嫁は死守するだけだがな。
ビビリカラスは、耳打ちをするように、小声で鳴いてくる。
「だってそいつ、『白い死神』だって有名だぞ」
「なんだその、変な名前は」
「そいつを捕獲しようとした人間のせいで、両親も兄弟も、みんな死んじまったらしい」
どうやら白いカラスは、本当にひとりぼっちだったようだ。
「なのに、そいつだけ逃げのびてとか、怖くね? もしそいつのそばにいたら、お前もきっと、人間に殺されるぞ」
俺はあまりにバカバカしくて、思わずアホーと鳴いてしまった。
「その話が本当なら、悪いのはこの白いカラスじゃない。人間だ。いい加減にしろよ。二度とその名で呼ぶな。俺の嫁をバカにするやつは、容赦しないからな」
俺の威圧におののいたのか、ビビリカラスは慌てて飛び去った。
まったく助けてもらった恩も忘れて、何を言い出すかと思えば。これだからバカなやつはしょうがない。
まぁ仲間とメスを、取り合う修羅場になるよりはマシだと考えて、今回の暴言は、見逃してやることにした。
今度もし余計なことを言ったら、お前がまたオオタカに襲われていても、助けてやらないからな。覚悟しやがれ。
「ごめんね」
白いカラスが申し訳なさそうに、体を小さくしている。
やはり、俺の嫁は素晴らしい。
こういうやつなのだ。自分が傷ついたことより、俺に迷惑をかけたかもしれないということを、真っ先に気にするような、優しいメスなのだ。
「お前が悪いんじゃない。当たり前のこともわからないバカは、相手にするな。言っただろ。俺が守ってやるって」
「うん。そだね」
白いカラスを悲しませるやつは、絶対に許さない。
そして見せつけてやるのだ。
俺たちが世界で一番、幸せな夫婦になるところを。
そうすれば『白い死神』なんて呼ぶやつは、どこにもいなくなる。
「ありがとね。大好きだよ」
「ふざけるなっ。俺のほうが大好きに決まってるだろ」
「なんでそこ、張り合うかな」
こうして俺たちは、熱々で幸せな夫婦として、鳥生を満喫していた。
はずだった。
やけに眠りが浅い日のことだ。変な夢を見た。それはとても奇妙な夢だった。