4 死ぬわけにはいかないカラス
俺が動けるようになるまで、その白いカラスは何度も餌を運んできてくれた。いい年をしたオスが、メスに餌をねだるなんて、みっともないとは思ったが、俺は生きなければならない。
この白いカラスに恩返しをするために、俺は今、死ぬわけにはいかないのだ。
「なんでこんな山の中で暮らしてるんだ」
「……群れには居づらくて。こんな体だしね。みんなの縄張りを避けてたら、こんなところまで来ちゃった感じかな」
好きで白い体に生まれてきたわけじゃないだろうに。
いつだって、世の中ってやつは理不尽だ。なぜだかわからないが、前にもこんな気持ちになったことがあるなと、心がざわついた。
「ずっと一羽だったのか」
「そうだね」
「寂しくなかったのか」
「別に。だっていっぱいいる中で一羽より、最初から一羽のほうが寂しくないよ」
なんてこいつは強いんだ。そう思った。
実家から追い出されて、つがいにもなれず、若い奴らと惰性で群れていただけのくせに、「俺はみんなとは違う」なんて思い上がって、孤高を気取っていただけの、俺なんかとは全然違う。
そこで生きるしかなかった、静かに生きてきたやつの強さだ。
「それに今は一羽じゃないから、ちょっぴり寂しくなくなったかな」
カァーと鳴いた白いカラスは、空に舞い上がった。
その姿は凛として美しかった。
この時、俺は白いカラスに惚れてしまったのだろう。いつか絶対に、こいつを幸せにすると心に誓った。
少し動けるようになって、俺は山の中で、餌を探す練習をし始めた。
さすがにずっと、白いカラスに世話になっているわけにもいかない。
街中で、ゴミ捨て場を漁るのとはわけが違う。決まった位置に、わんさかと餌になるゴミが、湧いて出てくることもない。
自分で探して、わずかな木の実や動物の死骸を見つけるしかない。思った以上に骨が折れる。確かにこれでは、カラスがこぞって、都会に進出したくなる気持ちもわかる。
圧倒的に街中で餌を探す方が楽だ。
俺はなかなか、自分で餌が見つけられなくて、焦っていた。
オスとしての威厳も、崩れ放題だ。
少しは白いカラスに、いいところを見せなくては。そんな気持ちが積み重なって、自分で思っているよりずっと、精神的に追い詰められていたのかもしれない。
白いカラスの鳴き声で、我に返った。
「ダメだよ、それ罠だよ」
久しぶりのゴージャスな肉につられて、うっかり人間が仕掛けた、捕獲用の罠にはまるところだったのだ。
また白いカラスに助けられた。
まったくもって情けない。
「なんで俺のことを助けてくれるんだ」
「なんとなく」
「……バカなのか」
「かもね」
白いカラスはバカにされたというのに、ピョンピョン跳ねて喜んでいる。
もうダメだ。
こいつ可愛すぎるだろう。
「おい、お前。俺のつがいになれ」
「なんで」
「な、なんでって、す、好きだからに決まってんだろうっ」
「へー。そうなんだ。いいよ。つがいになろう」
このすっとぼけた感じも、ツボだった。
くっそーなんなんだ。
どんだけ俺をメロメロにしたら気が済むんだ。
かなり怪我も治って、普通に生活ができるぐらいには回復した。これなら遠くまで飛べるはずだ。
「よし、新居を作るぞ。ついてこい」
「どこに」
「俺が生まれた街だ」
「なんで」
白いカラスは首を傾げている。
無駄に可愛いからやめろ、それ。
「……嫌なのか」
「街なんかに行ったら、また面倒なことになるよ」
白いカラスは少し怯えたような目をした。
「大丈夫だ。俺が守ってやる」
「わかった」
いつものように、白いカラスはピョンピョン跳ねた。
だから俺をメロメロにするのは、よせって言ってるだろうが。
いや、言ってなかったな。
って言えるか、こんな恥ずかしいことっ。
「いいのか、その……本当に」
「いいに決まってるじゃん。君と一緒にいられるなら、きっと楽しそう」
あーくっそー、可愛いな。
なんだこいつ。なんなんだもう。
思わずそのまま衝動的に、交尾をしそうになったが、まずは新居だ。
必死に自分を理性で抑えつつ、俺たちは一緒に森を出た。
久しぶりに街へ戻ると、人間も車も、何もかもが騒がしい。
だがその喧騒が心地よかった。
やけにしっくりくるというやつだ。
やっぱり俺は、この街でしか生きられないのかもしれない。
無理やり白いカラスを連れてきてしまったが、これからは一家の主として、しっかりしなくては。白いカラスを幸せにする義務が、俺にはあるのだから。
以前の餌場に戻ると、他のやつが、我が物顔でゴミ捨て場を漁っていた。
カラスにとっては、朝のゴミの回収車が来るまでが、お食事タイムだ。寝坊するようなやつには、飯を食う資格はない。
おかげで、俺たちカラスは、人間よりよっぽど健康的なリズムで生活しているはずだ。基本は早い者勝ちだが、力関係によっては、後から横取りなんてことも、日常茶飯事だ。
弱肉強食。これが正義だ。
俺が威嚇して蹴散らすと、若いカラスは去っていった。
「ほら、好きなだけ食え。こうやって、袋の外まで色が見えているようなところを突くと、いい感じの餌が見つかることが多いぞ」
別に、俺が取ってきた食料ではないが、俺の縄張りになった時点で、俺の餌だ。
「ここのゴミには、マヨネーズのチューブが、入ってることが多いんだ」
「それ、おいしいの?」
「むちゃくちゃ美味い。やべーやつだ。見逃したら絶対に、後悔するレベルに」
「そんなに? すごいね」
「あと、居酒屋や、飲み屋街のゴミ捨て場は、特に最高だ」
「へぇー、そうなんだ」
「貴族みたいなやつらが、食物を食い散らかしてるらしくてな。食べ残しの肉が見つかることが多いんだ」
「わかった。覚えとく」
白いカラスに食べ方を伝授してやる。
山で鍛えられているだけあって、白いカラスは、すぐに効率的に、餌を散らかす方法を身につけたようだ。
さすが俺の嫁。
残念ながら、今日のゴミには、マヨネーズは含まれていなかったが、ほかのゴミは肉っぽいものも入っていて、なかなかのハイカロリーだった。
たらふく食って満足すると、池のある大きな公園に案内する。
このあたりは縄張りとは関係なく、フリースペースみたいになっている。いわゆる聖地みたいなもんだ。いちいち周りのカラスを警戒する必要もない。
俺は食事で汚れた口ばし洗うために、頭を丸ごと池に突っ込んだ。白いカラスも見よう見まねで綺麗に洗う。
そのまま水浴びもやってしまうことにした。
人間は知らないだろうが、俺たちカラスは案外綺麗好きだ。毎日必ず一回は水浴びをするぐらいだ。そこらへんの不潔なおっさんよりは綺麗なはずだ。
嫁と一緒に水浴びをする日が来るなんて、思いもしなかった。
なんて俺は幸せものなんだ。
水浴びをたっぷり堪能してから、羽を乾かすと、俺たちは街中を飛んで、あちこちを観察して回った。新しい住居を探すためである。
仲介業者がいる人間とは違って、俺たちは自分で家を見つけなければならない。
できるだけ安全で、なるべく餌場に近い方が便利でいい。
ほかのつがいと巣が近すぎると、トラブルの種になる。ほどよくほかのカラスと遭遇しない場所が必要だった。
街中を右往左往して、ようやく巣を作るのに、ちょうどいいイチョウを見つけると、俺はあちこちからハンガーやら木の枝やら、犬の毛やら、巣作りに必要な素材を集めて、なんとかそれっぽい巣を作り上げた。
針金で作った巣なんて、人間にとってはゴミかもしれない。それでも俺たちカラスにとっては、とても大事な愛の巣なのだ。
「すごいね」
白いカラスは、ピョンピョンと跳ねて喜んでいる。
だから可愛すぎるから、やめろそれ。
あーもう、あーもう、どうしろと。
俺を幸福感で殺す気か。
さすがに我慢ができなくなった俺は、その場で踊るように飛び跳ねた。求愛のダンスを繰り広げたのち、ついに念願の交尾を決行した。
とうとう俺と白いカラスは、本物のつがいになったのだ。