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33 誕生日おめでとう

 俺はこの白い本を、あの学校の屋上で燃やすことに決めていた。

 すべての幸せが終わった場所で、最後の決着をつけるべきだと思ったからだ。


 あの場所で、この本を成仏させるのなら、きっと先輩も、納得してくれることだろう。


 俺はもう誰も使っていない、瓦礫まみれの校舎に、再び入って行く。

 あたりはすっかり暗くなっていた。携帯のライトを使って、地面を照らしながら進む。


 夜中の学校というのは、ただでさえ、何かが出そうで恐ろしい。よりによって、ここは瓦礫まみれの廃校なのだから、幽霊ぐらい出ても不思議ではない。


 何と言っても、ここで擬態する白い本に吸い寄せられ、あちらの世界に行っていた俺が言うのだから、信ぴょう性も増すというものだろう。


 ようやく屋上に到達し、空を見上げた。

 真っ黒な世界に、星がいっぱい散りばめられている。


 先輩の母親にもらったライターを出した。父親が集めていたジッポーライターというやつだ。


 タバコも吸わないのに、ライターをいっぱい集めるのが好きだったらしい。大人の趣味はよくわからない。


 金属の重みと冷たさが、やけに心地良い。


 手のひらに収まるサイズの銀色ボディには、白いカラスの模様が刻まれている。もしかしたら、あの看板のデザインは、これから来ていたのかもしれない。


 先輩の部屋にも、白いカラスのオブジェがいくつかあった。白髪少年が投げようとして止められたオブジェも、同じものだった。きっと先輩も父親も、白いカラスが好きだったのだろう。


 黒いカラスの中に、ごく稀に存在する白いカラスに、感情移入していたのかもしれない。


 昔、俺が「カラスにだけは、生まれ変わりたくない」なんて言って、きっと先輩は内心ガッカリしていただろうことを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 自分が好きなものを、誰かが嫌いなんて言ったら、やっぱり悲しくなる。


 それでも、そんなことをおくびにも出さずに、「自分は好きなんだから、お前も好きになれ」みたいなことを言わなかったくせに、俺をカラスにして意地悪をするあたりが、いかにも先輩らしい。


 今の俺は、そんなにカラスのことを嫌いじゃない。


 先輩ほど好きになっているかは、わからないけれど、それなりにカラスも悪くないな、と思えるぐらいにはなっているはずだ。うっかり、アホーと鳴いてしまいそうになる程度には、カラスだった感覚がまだ残っている。


 小説を読んで楽しんだ物語が、頭の中から消えないみたいに、あの奇妙な『異世界放課後』という本に取り込まれて、体験したこともまた、俺の一部になっているようだ。


 ライターの蓋の部分をあけると、キンっと耳に心地よい金属音がする。


 丸い部分を指の腹で擦っても、火花だけがパチっと出る程度で、先輩の父親が使っていたみたいに、スマートに火をつけることは難しかった。それでも何度かチャレンジして、ようやく炎が灯った。


 暗闇に、小さな炎が揺れている。

 本当に燃やしてしまっていいのか。最後の自問自答をする。


 やらなければならないんだ。

 それが先輩の最後の望みなのだから。


 小さく息を吐いて、決意を固める。

 白い本に、炎を近づけた。


 しばらくすると、本に炎が燃え移った。だが思っていたほどは燃えない。表面だけが燃えて、中身は白いままだ。


 何度も炎が消えて、それでも火をつけてを繰り返し、ようやくすべてが灰になった。

 強い風が吹き抜けて、黒い灰が舞い上がった。


 これから始まるのは、新しい物語だ。


 後ろ向きな後悔ばかりをしているほど、人間の人生は長くない。あっという間に、いつの日か、俺にだって死は訪れる。


 生きていたかった誰かのためではない。自分のために、歩き出す。

 もしまた今度、あの世で彼女と会うことができたなら、胸を張って言えるように。


 俺は人生を楽しんだと。


 だから、もう少し待っていてくれ。

 俺にはまだ、人生を楽しむ時間があるみたいだから。


 それまでさようなら。

 俺の愛しい人。


 ふいに、「当分来ちゃダメだからね。優しくて、おバカさんな人」という声が聞こえた気がした。


 俺は少しだけ笑って、屋上を後にした。




 校門を出ようとした時、暗やみの中から声をかけられた。


「よかった。すれ違いにならなくて」


 近寄ってきたのは、先輩の母親だった。


「どうしたんですか」

「さっき連絡があって、これ」


 差し出されたのは、傷だらけになっている携帯だった。


「あの子の携帯が、やっと見つかったの」


 先輩がいつも使っていた、真っ白な携帯だった。小さな白い鳥のストラップがついている。紐の部分は泥が染み込んで汚れている。今思えばただの鳥だと思っていたが、これは白いカラスのつもりだったのかもしれない。


「これ、中を見ても?」

「もちろん。あなた宛のメールが残ってたから」

「え?」


 俺は慌てて画面を確認する。

 まだ送信する前の、下書き状態のメールが残されていた。


 日付はあの日のままだ。

 先輩がいつか送るつもりだったメール。


 タイトルは『誕生日おめでとう』となってる。あの悲劇の日の翌日は、俺の誕生日だった。

 あんなことがなければ、日付が変わる瞬間に、俺に送るつもりだったのだろう。


 メールの中身を確認する。


『あげる。

 ありがたく受け取って、絶対に待ち受けに使いなさいよ。

 私がいなくなったからって

 ほかの女子と浮気したら許さないからね。

 ……なーんて嘘。別にいいよ。

 ほかの人を好きになっても。

 本当に君が好きになった子なら、ちゃんと応援するからね。』


 本文の下には、あの日、俺が屋上に行く前に、先輩が自撮りしたであろう、ウエディングドレス姿の写真が添付されていた。


 先輩があまりに綺麗で、まるで夢みたいだった瞬間が、頭の中に蘇った。


「今頃、誕生日プレゼントとか、遅いですよ、先輩」


 俺はもう、あの日の先輩と同じ年になってしまった。

 今なら嘘じゃなくて、いくらでも本当の結婚式が挙げられるのに。


 もっと俺が、早く生まれていれば。

 もし俺たちが同級生だったら。


 二人で一緒に卒業していれば、そのまま本物の結婚式を挙げていたかもしれない。

 あんな屋上で閉じ込められることも、黒い波に飲み込まれることもなく。


 先輩の治療がうまくいって、退院もして。

 ハンガーや木の枝じゃない、ちゃんとした新居も用意して。


 俺たちは今頃きっと、どこかで息子と一緒に、幸せな生活を送っていたかもしれない。

 しても意味のない、たらればがとめどなく、頭の中を駆け巡る。


 涙が溢れて、止まらなくなった。

 泣いている俺の背中を、先輩のお母さんが、優しくさすってくれていた。


「やっと受け取ってもらえて、きっと、たっぷり喜んでると思うわ、あの子」

「たぶん、時間差攻撃のサプライズが成功したって、今頃ほくそ笑んでいるかもしれませんね。先輩は俺を驚かせるのが、とても好きな人だったので」


 ドヤ顔をしている先輩を思い浮かべたら、少しだけ笑えてきた。

 看板の中で動かない、白いカラスを見ていた日々を思い出す。


 泣くためじゃない。俺は前に進むために、この世界に戻ってきたんだ。

 わかってる。大丈夫だから、先輩。


 涙を拭って、メールを閉じると、ほかにも下書き状態のメールがあるのを発見した。

 タイトルは『異世界放課後(その1)』と書かれている。


 本文の一番上には、『最終チェック済み。念のため、もう一度だけチェックして、明日までには、担当さんに送ること。ここ消すの忘れない。』と注意書きが記されていた。


 画面をスクロールさせると、ずらっと文章が並んでいた。どうやら小説の本文を、いくつかのメールに分割して、送るつもりだったようだ。


 先輩の明日が来なかったせいで、送られることのなかったメールだ。


「このデータがあれば、今度こそ、先輩の夢が叶うかもしれません」


 あの人は、どれだけ俺を驚かせたら、気が済むのだろうか。

 いつだって、ホラ話を聞かせて、俺を翻弄して楽しんでいた。いなくなった後まで、何度も俺をもてあそんで。


 本当に優しくて、意地悪な人だなと思った。




 その後、先輩の本は、無事に完全な形となって、世の中に出すことができた。


 もちろん、あの『異世界放課後』という本が、再び白い本になって、人を食らうことはなかった。きっとみんなに読んでもらえたことで、ようやく満足したのかもしれない。


 きっと先輩も、今頃はどこかの異世界で、勝ち誇ったように笑っていることだろう。




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