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32 探さないといけない本

 俺に出会ったせいで、先輩は死んだのかもしれないと、ずっと思っていた。


 少しは俺が、先輩を救えていたのなら、この悲しみも、ちょっとは意味があったということなのだろうか。


「私ね、あの子が、本を書いていたのすら、全然知らなかった」

「そうだったんですか」


「生前に書類のサインをとか、お父さんと、こそこそやりとりしてたのは、そのことだったのかもしれないわね」


 少し怒ったような表情は、先輩になんだか似ている気がした。


「うちのお父さんったら、自分のせいで娘が、同じような姿に生まれてきて、ずっと負い目を感じてたみたいだから、甘やかし放題で、もう困っちゃって。私だけ、いっつも小言を言う悪者だったんだから。嫌になっちゃうでしょ」


 母親は苦笑いを浮かべる。


「でもそんなの、私があの子を産みたいって言ったんだから。わがままを言って、出産に踏み切った私にも責任はあるのに。父親だけの責任なんて勝手よね。あの子がわがままなのは、多分ダブルで親譲りだから、どうしようもないわね」


 ふいに俺が、監督のことをおっさん呼ばわりしていたのが、知らないうちに、白髪少年にも受け継がれていたことを思い出した。


「まぁ、親子ってそういうところあるのかもしれないですね。似たくないところとか、変なところばかり似てしまう、みたいなのが。逆に似て欲しいところは、似ないとか」


「そうそう。あの子、せっかく運動神経抜群な両親から生まれて、サラブレッドのはずなのに、ボール競技が全然ダメで」


「確かに、そうでしたね。俺が先輩に少し、リフティングを教えてあげた時も、いくらやってもできなくて。あんまりにもできないから、ヘソ曲げた先輩に、『私は手が使えるから、いいの』って、ボール投げつけられましたから」


 当時を思い出して、二人で吹き出すように笑った。


「あったね。さすがにどういうことって、なったもの。我が娘よ、なんでそこは似ないのよって。やっぱり子育ては、ままならないものだなと、痛感したわね、あの時は」


 もしかしたら、白髪少年が、やたらとノーコンだったのは、運動音痴な先輩譲りだったのかもしれない。


 必死にサッカーの練習をしていたのは、俺のことを嫌いだといいつつも、少しは俺みたいなストライカーになりたいと、思ってくれていたのだろうか。


 だが、きっと本当のところは、ずっと記憶を封印して、先輩を悲しませていた俺にムカついて、いつかはボールを蹴りつけてやりたいだけだったのかもしれない。


 もし、そっちが真相だったら、俺はちょっとだけ、泣いてもいいだろうか。

 ここにいない人のことを話題にすると、よけいにその人に会いたくなってしまう。


 少しだけ甘いものを食べたら、もっと食べたくなるようなものだ。

 その誘惑に負けないように、俺はやるべきことをやらないといけない。


「あの……部屋の中を、少し調べさせてもらっていいですか」

「いいけど、どうして? さすがに男の子の部屋じゃないから、エロ本とかはなかったわよ」


 下ネタをぶっこんでくるあたりは、やっぱりあの父親と夫婦なだけあるなと思って、ちょっと笑ってしまった。


「探さないといけない本があるんです」

「本?」

「白い本なんです。『異世界放課後』っていうタイトルの。見たことありませんか」


 母親は首を振る。


「いいえ、そんな本、見たことも聞いたこともないわね」

「ええ、発売される前に、処分されたんだそうです」


「あら、何か問題でもあったの」

「人を食らうんです、その本」


 母親は吹き出した。


「今時の若い子は、面白いことを言うのね」


 きっと信じてもらえないだろう。実際に体験した俺ですら、まだ半信半疑なのだから。


「じゃあ、どうぞご自由に。私も手伝うから」


 先輩の母親と一緒に、本棚や机の引き出しを探すが、白い本は見つからない。

 部屋にあると、先輩は言っていた気がするが。一体どこに。


「先輩が大事なものを、隠す場所とか、知らないですか」

「大事なものをね……たぶん、あの箱かな」


 母親が押入れを漁って、出してきたのは、大きめのお菓子の鉄缶だった。

 四角い蓋をあけると、その中には、おもちゃの指輪やネックレス、学生服の第二ボタン、小さなメモなどが入っている。


 すべて俺が先輩にあげたものだ。


「その第二ボタン、私が昔、卒業式に告白して、お父さんからもらったって話をしたら、自分も彼氏からもらいたいからって、わざわざ詰襟制服のある学校に進学したんだから。で、後から君を同じ学校に入らせるために、必死に勉強教えてたみたいよ。動機が不純というか、なんというか」


 まったくあの人は、どれだけ俺の人生を翻弄したら気が済むんだ。


 学年が違うから、同級生みたいに同じ教室でいられるわけじゃなかったけど、靴箱にメモを入れて、やりとりをすることが何度かあった。その時に俺が書いたメモが、全部この箱には詰まっていた。


 あんな、ただのメモ書きを、宝物みたいに。


 涙がこみ上げてくるのを、必死にこらえて、お菓子の鉄缶の中を探していると、一番底に、その本はあった。


「あった、きっとこれです」


 真っ白な本には、『異世界放課後』という文字が刻まれている。


「これ、もらってもいいですか」

「そうね。あの子が大事にしていたものなら、あなたに持っていてもらったほうが、喜ぶでしょうから。ちょっと見せてもらってもいい?」


 先輩の母親が、白い本を手に取り、開こうとした。

 俺は慌てて止める。


「ダメなんです、その白い本、中身を読んだら、食われます」

「なるほど、そういう設定なのね」


 母親はクスッと笑う。

 たぶん、俺が厨二病か何かだと、勘違いされているかもしれない。この際それでもいい。


「『異世界放課後』か……。あの子、もうすぐ自分が死ぬことがわかってたから、もし自分が死んでも、いつかまた異世界で、あなたに会えたらいいなって、そう思って、こんな本を書いていたのかしらね」


 母親は、本の表紙を優しく撫でている。


「会えましたよ、先輩に」

「え?」

「それに、お父さんにも」


 先輩の母親は、少し驚いたような顔をしてから微笑んだ。笑っているのに、必死に泣きそうになるのを、堪えているような表情だった。


「あの子たちは笑ってた?」

「ちゃんと笑ってました」


「そう……良かった」

「お父さんには、ボロカス言われました」


 母親は吹き出すように笑う。


「あの人らしいわね。あなたがうちの子と付き合ってるのを知ってからは、文句ばっかり言ってたから。でも結構、あなたのこと気に入ってたのよ。うちのチームの自慢のストライカーだって。自分の息子みたいに思ってたと思うわ、きっと」


 堪えきれなくなった大粒の涙が、彼女の瞳から、いくつも流れ落ちた。




 俺が病院で死にそうになっていた頃、あの悲劇の日からしばらくの間、二人の遺体は見つからなかったらしい。


 ずっと、ずっと探して。

 それでも、なかなか見つからないままだった。


 やっと体の一部が見つかったのは、かなり時間が経ってからだった。


 よりによって、違う場所で、同じ日に見つかったらしい。

 親子の絆というものなのだろうか。


 見つからなければ、いつかきっと、どこかにまだいるかもしれない。ひょっこり帰ってくるかもしれない。そう信じることもできた。


 だが、かすかな奇跡すら、許されなくなった。


 この母親は、一度に大切な人を、二人も亡くしたのだ。

 きっとその苦しみは、俺よりも深く、重かったに違いない。


「信じてもらえないかもしれませんけど、先輩が書いた本が、いろんな人を本の世界に、取り込んでしまうみたいで」

「本の世界に取り込む?」


「この原本が残っていると、ダメみたいで。だからこの白い本を燃やして、処分するように、先輩に最後のお願いをされました。だからこれ、持っていってもいいですか」

「あの子が望んだのなら」


 先輩の母親が、ふいに手を叩いて、「ちょっと待ってて」と、何かを思い出したように部屋を出てった。


 戻ってきた母親の手には、見覚えのある銀色のライターが握られていた。


「これ、あの人が使ってたやつ。本を燃やすなら、使ってやって。その方が、あの人も喜ぶだろうから」

「ありがとうございます。じゃあ、少し借りていきます」


 ガキにはまだ早いと言われたあのライターだ。まだガキかもしれないが、今だけは許してもらおう。


「あの子の最後のお願い、ちゃんと叶えてやってね」

「はい、わかりました」


 玄関まで見送られ、別れ際になって、先輩の母親が、急にまた「ちょっと待って」と台所の方へと消えると、いくつものビニール袋を持って帰ってきた。


 久しぶりに実家に帰った息子が、よくわからないお菓子や、日持ちのしそうな乾物なんかをたっぷり持たされる、例の謎の儀式のようなものかもしれない。断る暇も与えられず、パンパンの袋を押し付けられた。


「じゃあ、いってらっしゃい。またいつでも、ご飯。食べに来なさいね」


 そう言って送り出してくれた先輩の母親の声は、俺たちチームメイトにいろんな料理をふるまって、「じゃんじゃん食べなさい」と言ってくれた、肝っ玉かあさんみたいだった頃のように、力強く、優しかった。




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