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30 約束だから

 俺が白い本を処分する。

 予想はしていたが、やっぱりそうなるよな。


 おっさんが、俺の目をじっと見た。


「オレたちは白い本に食われた人間を、なんとか正気に戻して、あっちの世界に送り返すことはできる。でも、このままこっちの世界も、これ以上おかしくなっちまったら、取り込まれた人間を、戻してやることすらできなくなるかもしれない」


 おっさんは窓の外を見た。


「ついさっき、お嬢ちゃんも、ガラクタ屋敷のじいさんも、元の世界に戻ったところだ。ちょうど、今は取り込まれた人間は誰もいない。今しかチャンスはないんだよ」


 遠くでまた建物が一つ、ねじれるように地面に消えた。


「残念ながら、もう死んじまったオレたちには、白い本を処分することもできないし、あっちから来るやつを、無理やり止めることはできない」


 おっさんは俺の肩に、手を置いた。シュートを決めて、何度も撫でてもらった、大きな手の平だ。


「それができるのは、ちゃんとまだ生きてる人間だけだ。わかるだろ。お前に頼むしかないんだ」


 俺にしかできないこと。

 それはわかっている。痛いほどわかってる。だけど。


「きっと、普通の人じゃダメなんだよ。もともとこの世界は、うちの娘が、お前のために作ったものだろ。だからたぶん、お前が燃やせば、ちゃんと終わりにできるんじゃないのか」


 元の世界に戻って、白い本の元になった『異世界放課後』を燃やして、処分する。

 でもそんなことをしたら。


 この世界は消えてしまうのではないのか。


 俺の心を読んだであろう、白髪少年は言う。


「そうかもしれないね。白い本を処分した時点で、きっとこの世界は、本当に崩壊するかもしれないね」

「だったら、そんなこと」


 できるわけないだろ。

 先輩も、おっさんも、白髪少年も、みんなここにいるのに。


 いくら本が作り出した幻想だって言われても、今こうして、目の前にいるのに。


「できるよ。君なら、きっと。大丈夫だから」


 先輩は優しく頬んだ。


「君が必要だと思う間は、ずっと心の中にいるから。でも十分だって思ったら忘れてくれていいから」

「忘れるわけ……ないですよ」


 先輩はまた泣きそうな目をした。

 俺は弱いんだ。何度も何度も、夢の中で見たのと同じ、悲しそうな目だった。


「人間は忘れるように作られてるんだよ。当たり前のことなんだから」

「当たり前じゃないです」


「もういいんだよ」

「良くないです」


「私のことは忘れていいんだから」

「忘れたりしませんっ」


 気がついた時には、先輩のビンタをくらっていた。


「お願い。私の本を見つけて、処分してほしいの。きっとまだ私の部屋にあるはずだから。すべてを終わりにして」

「終わりにって、そんな簡単に言わないでください」


 またもう一度、失えというのだろうか。


「別に無理やり忘れる必要もないし、必死に覚えておくこともない。自然に、なんとなく、そうしたいように生きればいい。きっといつか楽になる日がくるよ」

「きっといつか。そう思って、あの日も、屋上で待ち続けましたよ。それでも」


「大丈夫。君は、この世界に取り込まれるぐらいに弱いけど、それでも幸せになるために、もう一度、立ち上がろうとするぐらいには、強いんだから。きっとうまくやれるよ」


 先輩の手が、俺の頬に触れた。


「これからは、私のためじゃなく、自分のために生きて。これが私の最後のお願い。叶えてくれるよね? だって君は優しいから、おバカなんでしょ」


「最後の最後まで、ディスることないじゃないですか」

「褒めてるんだよ」


 そう言って先輩は、いたずらっ子のように微笑んだ。

 俺の一番大好きな笑顔だった。


 もうこの笑顔とお別れなのか。そう思ったら、視界がぼやけてきた。

 先輩を、みんなを、この世界を壊すのは俺だ。


 こんなことを俺にやらせるなんて。

 本当に先輩は、意地悪だと思う。


 でもきっと、俺が前に進むために、必要なことなのかもしれない。きっとそれをわかっていて、先輩は俺に、その残酷な役目を託そうとしているのだろう。


 だから、この白い本もまた、意地悪で優しいのだ。


「君はおバカさんだから、最後にもう一度、忠告しておきます。絶対に、未完成の白い本は読まないでね。約束だから」

「しつこく言われたら、余計に読みたくなっちゃいますよ」


 先輩は吹き出すように笑う。

 だが、その目からは涙が溢れて、頬にこぼれ落ちていた。


「もうここに、来ちゃだめだからね。君のそういうおバカで優しいところが、とても大好きだったよ。さよなら」


 あの時の偽物と、同じ言葉を口にした先輩の唇が、一瞬だけ、俺の頬に触れた瞬間、俺は意識を失った。




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