3 バカなことをしたカラス
運命の日はやってきた。
遠くでガァガァガァガァという、警戒するような鳴き声が聞こえてきた。
「やばい、やばい、やばい、やばい、やつが来たぁぁぁっ!」
噂通り夕方になって、ねぐらに戻ろうとする若いカラスを、オオタカが待ち伏せていたらしい。あの噂話をしていた、若いビビリカラスの丸っこい方が、必死に逃げながら、助けを呼んでいる。
俺はオオタカの前方に、素早く割り込んだ。
「今のうちに、逃げろっ」
「すまん」
追尾するオオタカが、標的を変えたのを確認すると、俺は急旋回する。
ここは俺が生まれた街だ。隅からすみまでよく知っている。
どこを抜ければ、近道になるか。全速力でつっこんで、抜けた先の道が、行き止まりな場所も知っている。
オオタカが壁に激突するように、ルートを選んで逃げまくるが、やつもなかなかしぶとい。俺の目論見を見透かしているかのように、罠を回避された。
徐々にオオタカが追いついてくる。
追い立てられるように飛ぶうちに、いつの間にか街の縄張りから出ていた。見たこともないような、深い森に紛れ込んでしまった。
まずい。これは非常にまずい。
きっとここは、やつのテリトリーだ。
罠にかけるつもりが、まんまとはめられたのは、俺のほうだったようだ。
オオタカの鋭い爪や口ばしが、何度も体をかすめる。
ギリギリで回避を続けるが、どんどんその攻撃の精度は上がっていく。
いくら速くなったつもりでも、カラスがオオタカになんか、一対一でかなうわけがなかったのだ。そんな当たり前のことを、ようやく思い知ったところで、もう遅い。
なんとか木々の間を縫うように飛びながら、必死にオオタカから逃げようとする。
だが、知らない森の中で、高速移動をするのは限界があった。
身体的にも精神的にも疲れ果て、逃げきれなくなった瞬間、俺はオオタカの一撃を食らい、真っ逆さまに落ちた。
「……っ!」
そのまま草むらに突っ込んだが、あまりの痛さに声も出ない。
息が苦しい。
草がクッションになったおかげで、骨は折れていないようだが、傷口が焼けるように熱い。血が流れ出すのを感じる。
たまたま落ちた先がよかったおかげか、オオタカは俺を見失い、上空を旋回している。
近くで声がした。
「あら、あれオオタカじゃない」
「ほんとだ」
大きなリュックサックのようなものを担いでいる人影が見えた。
どうやら登山道をあがってきた人間たちのようだ。その気配を嫌ってか、オオタカは俺を諦めて飛び去っていった。おかげで、なんとか命は助かったようだ。
だがやつにやられた傷は深い。このままここにいても、傷が治って動けるようになる前に、飢えて死ぬだろう。
本当にバカなことをした。
思い上がりも甚だしい。何がすごいやつになるだ。
自分の能力を見誤って、ただ無鉄砲なことをして、野垂れ死にをする羽目になっただけじゃないか。
とんでもない大バカ野郎だ。
草むらの中から空を見上げると、すっかり夜もふけて、たくさんの星が瞬いていた。
俺は誰にも知られずに、ひとりぼっちで死んでいくのか。
こんなことになるなら、毎日バカバカしくても、普通のだらけた生活をしていればよかった。そうすれば今頃は、いつもの寝床で、ぐーぐー寝ていられたかもしれないのに。
とにかく体が痛かった。
しばらくすると血は止まったが、まだ動けそうにない。
腹も減っている。
いつも飯を食っている管理の甘いゴミ捨て場は、あまりにも遠すぎる。
口が届く位置にある草を口にしてみるが、あまりにもまずかった。食えたもんじゃない。
何でも食べるようになったとはいえ、都会で育ったカラスの舌を舐めるなよ。いくら背に腹は代えられぬと言っても、限度というものがある。
ダメな時というのは、足掻くだけ無駄というやつだ。
こんな時は、とりあえず寝よう。
俺はゆっくりと瞼を閉じた。
翌朝、目が覚めても、状況は良くなるどころか、悪化しているようにしか思えなかった。
相変わらず傷口は痛いし、なんとか動こうとしても、腹が減っていて力が入らない。
やっぱり俺は、このままここで死ぬのかもしれないと、思い始めた時のことだ。
「大丈夫?」
俺をつついているのは、白いカラスだった。
これまでに見たこともない、真っ白で綺麗な羽をしていた。
もしかして俺はすでに死んでいて、違う世界に来てしまったのだろうか。
「あ、生きてた」
俺が目を開けたのを確認すると、白いカラスは小さくピョンと跳ねてから、カァーと鳴いた。
「おい……やめろ。オオタカの野郎に……見つかるだろ」
「今は平気。さっき街のほうへ、飛んでいくのを見たから」
「……そうか。ならいい」
白いカラスは、じっと俺のことを見ている。
もうすぐ死ぬ俺のことを、笑いに来たのだろうか。
「お腹すいてない?」
「別に」
俺は嘘をついた。
「ちょっと待っててね」
白いカラスは飛んで行った。
しばらくすると、白いカラスは、何かをくわえて戻って来た。
「これ、美味しいんだよ」
登山客から、かっぱらってきたのだろうか。普通は山になんか落ちてなさそうな、人間がよく食べているタイプの、丸くて平べったいお菓子をくわえていた。
俺は恐る恐る口にする。
美味い。美味いじゃないか。
しかも、サクッと口の中で壊れてしまう。不思議な感触だった。一口では飽き足らず、残りも全部食ってしまった。
「ね、美味しいでしょ」
白いカラスはピョンピョンと、嬉しそうに跳ねている。
わざわざ死にかけの他鳥に餌を与えて、無邪気に喜ぶなんて。
お人好しならぬ、とんだお鳥好しだ。
「バカじゃないのか」
「なにが」
「貴重な餌を分けるなよ」
「ダメなの?」
「無駄になるだけだぞ」
「なんで」
「どうせ、もうすぐ……俺は死ぬ」
「死にたいの?」
白いカラスの赤い目は、俺をじっと見据えていた。
「……わからない」
「なら、生きればいいじゃない」
白いカラスは、空を見上げて、カァーと鳴いた。
俺は、この時、こいつに心を奪われたんだと思う。