29 最後のお願い
みなまで言うな風な、包容力を漂わせたおっさんは言う。
「この世界から、無事に戻っていった人たちに、いつもお願いしてたんだ」
「お願い?」
「もし白い本を見つけたら、必ず読まずに焼いてくれって」
「そう……だったんですか」
「それでもまだ、やっぱり取り込まれてくる人はいるんだよ」
実際に俺も、白い本に導かれてしまったわけだが。
「だからきっと、どこかに処分されてない、親玉みたいな、一番力を持ってる白い本があるんだと思う」
「親玉みたいな、白い本……か」
おっさんは腕組みをして、眉間にしわを寄せる。
「きっとその、どこかに残ってる本が依り代となって、未だにあっちの世界の、白い本を増殖させてるんだろうな」
白髪少年が、横から口を挟む。
「じゃあ、その白い本の大元を燃やさないと、この連鎖は終わらないってことなんじゃないの?」
そんなものを、どうやって見つけたら。
何か言いたそうに、先輩がもじもじとしている。
「先輩、どうかしたんですか?」
「あの……ごめん。もしかしたら、それ私のせいかも」
「私のせいって、どういうこと」
「それがさ、私が書いた、その『異世界放課後』なんだけど、一度刷り上がった本に、欠落ページが見つかって」
「欠落ページ?」
「なぜか途中のページが抜けてたみたいなんだよね。手違いで、最終データで追加したはずの部分が、いくつか、抜けた状態のまま印刷されちゃってて」
「致命的なミスって、そのことだったんですね」
「あれ、私、話したことあったっけ?」
「偽物の先輩が言ってたんです。まぁ取り込むための嘘だったかもだから、どこまでが本当かは謎ですけど」
「……私の体で、なんか変なこと言ってなかったでしょうね」
こちらの世界に飲み込まれる直前に言われた、「君のそういうおバカで優しいところが、とても大好きだったよ」という言葉を思い出していた。
そうか、あれは偽物の言葉だったのか。
「ちょっと、なにその沈黙」
「俺のこと、『最高に格好良くて、大好きだ』って言ってました」
「……やっぱり偽物だな。そんな偽物に騙されるなんて、君は本当のおバカさんだな」
「なんでディスってる部分だけ、正解なんですか」
「虚偽の報告をしたという自白ですか?」
「い、いえそんなことは、めっそうもない」
ダメだ。見抜かれている。
白髪少年がじっと見ている気がした。こっちには、もっと見抜かれているだろう。
先輩は、ものすごく胡散臭いものを見る目で、俺のことを見ながら、話を続けた。
「間違ったまま刷っちゃった分は、もうしょうがないから処分して、原稿の再確認と修正をしてから、新しく刷り直しをする予定になってたんだよ」
だが、その予定の日は、訪れなかったということか。
「で、先にもらった献本分は、私がちゃんと処分しなきゃいけなかったんだけど、残念ながらできなかったんだよね」
「どうしてですか」
「せっかく本として、この世に生まれてきたのに、欠落ページがあるせいで、誰にも読んでもらえないまま、捨てられちゃうのって、なんか可哀想でしょ」
先輩は、長くて真っ白な髪の毛を、指に絡めていじっている。
「その本だって、好きでそんな未完成の状態で生まれたわけじゃないのに」
きっと先輩は、その白い本に、自分を重ねていたのかもしれない。
「出来の悪い子でも、やっぱり自分の作品だし、全部捨ててしまうのがしのびなくて。どうしても手元に残しておきたくてさ。捨てなかったのが一冊だけあるんだよ」
先輩は人とは違う姿で生まれたことで、いつも普通ではないという偏見や差別と、戦い続けた人だ。だからこそ、普通とは違うものに、感情移入してしまうのかもしれない。
「じゃあ、その捨てられなかった『異世界放課後』が、白い本になっちゃったってことですか?」
「かもしれない。ごめんっ」
「いや、先輩は謝らなくても。こんなことになるなんて、誰も思ってなかったでしょうし」
こんな未来予測は、エスパーでもなければ無理だろう。
それでも先輩は、申し訳なさそうな顔をしている。
「正式な修正データを、もう一度出版社に渡す前に、作者である私は死んじゃったし、執筆してた携帯も、一緒に行方不明になっちゃっただろうから」
「じゃあ、印刷のし直しもできなかったってことですか」
「そうだね。出版自体が頓挫して、そのまま発売中止になっちゃったみたいだね」
おっさんも、白髪少年も、俺も、先輩の気持ちを察して、みんなで大きなため息をついた。
「だから、唯一残された『異世界放課後』は、内容としては未完成な上に、世の中に出版されなかったから、誰にも読んでもらえなくて、他の本を妬んでたのかも」
「じゃあ、修正されて、ちゃんと発売されていたら、こんなことには、ならなかったんですかね」
「かもね。だから白い本は、どうして自分だけこんな目にあうんだって、逆恨みして、運命を呪ってたんだと思う」
白い本にも、悲しい事情があったということだろうか。
「私の心残りな気持ちもあったから、未完成な『異世界放課後』を、擬態する白い本に進化させて、余計にどんどんおかしく、暴走しちゃったのかもしれないね」
発売に至らなかった残念な事情は、同情に価する。だからといって、いろんな人を巻き込んでも、いいわけではない。
「でも、できれば俺、その修正された『異世界放課後』を、ちゃんと読んでみたかったです」
先輩がクスッと笑う。
「何がおかしいんですか」
「だって、あの子と同じこと言うから」
そう言えば白髪少年が、公園のブランコに乗りながら、そんなことを言っていた気がする。
やはり親子だけあって、変なところで、知らず知らずのうちに、似てしまっているということなのだろうか。
「もちろん、私だって、完成品を見たかったよ。本当は人を救う本を作りたかったのに」
「人を救う本、ですか」
「現実から逃げるための本じゃなくて、読み終わった時に、立ち上がって、前を向いて、歩き出せるような。そんな本を作ってみたかったんだけどな。でも、完成しなかったものは、しょうがないよ。そういう運命だったってことなんだろうね」
先輩が申し訳なさそうな顔をする。
「なーんて、偉そうな御託を並べてみたけど、たぶん私、自分が生きた証が欲しかっただけなんだよね。完成するまで、ちゃんと見届けられるか、あの時はわからない状態だったから。だから、捨てられなかった。でも、こんなことになるなんて、思いもしなかったっていうか」
「そんなこと、しょうがないですよ。ただの本が、こんなとんでもない本になるなんて、誰も予想できないだろうし」
「しょうがなくないよ。自分のことしか考えてなかった」
先輩は強がって、苦笑いをする。
「そのせいで君も、いろんな人も、たくさん巻き込んでしまった。あの屋上に君を呼び出したのも、こんなことになってしまったのも、全部私のわがままのせいだから。ごめんね」
先輩の目には、涙がにじんでいた。
「謝らないでください。そのわがままのおかげで、俺はこうして、また先輩に会えたんだし、感謝してます」
先輩の涙を拭う。なぜか今は、きちんと涙の温もりが、感じられるような気がした。
「やっぱり君は優しいね。おバカさんだけど」
「だから、いちいちディスらなくていいですよ。嫌という程、自覚してますから」
あと何回、俺はディスってもらえるのだろう。
そんなことを望んでいる俺は、ただの変態なんだろうか。だからおバカさんなんて言われるのかもしれない。
「変態だよね」
ボソッと言った白髪少年が、知らんふりをしている。
自覚していても、人に言われるとムカつく現象は、なんと名付けたら良いのだろう。
先輩が俺の顔をじっと見る。吸い込まれそうなほど、透き通って綺麗な赤い瞳をしていた。
「わがままついでに、最後に一つ、お願いしてもいいかな」
「俺にできることなら、なんでもやりますよ」
「それ、君の口癖だけど、あんまり、ほいほい他人に使わないほうがいいよ。私みたいな、わがままな女に利用されちゃうから」
「先輩みたいな人なら、いくらでも利用されてもいいですよ」
吹き出すように先輩は笑う。
「バカじゃないの。私以外に利用されたら許さないからね」
「善処します」
先輩は少しだけ目を伏せて、短く息を吐いてから、もう一度、俺の目を見た。
「じゃあ、最後のお願いです。すべてを終わりにするために、私の部屋にある、白い本を処分してください」




