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26 静かで幸せな日々

 あの日のように、先輩が隣に座っている。


 窓から入る風が、腰まである長い白髪をなびかせていた。

 遠くに見える夕日の照り返しが眩しくて、俺は目を細めた。


「ごめんね。全部、私のせいみたいだね」


 どうして先輩が、こんなところに。


「あの白い本の元になった、『異世界放課後』を作ったの、私なんだ」


 え? どういうことだ。


「君には内緒にしてたけど、あの日、あんなことが起こらなくても、私はいずれ君の前から、姿を消さなければならないことは、ずっと前から覚悟していたんだ」


 姿を消すって、何のことだ。


「だから、残された君が寂しくないように、大切な人にもう一度会えるような、そんな不思議な異世界みたいな物語を作ろうとしていたつもりだったんだけど」


 大切な人に、もう一度会える、異世界みたいな物語?


「きっと最初に、この世界を作ったのは、君を救うためだったのに。どうしてこんなことに、なっちゃったんだろうね」


 先輩が苦笑いをしている。

 そんなことを、俺に聞かれても。


 どうしてこんなことになってるかなんて、俺の方が教えて欲しいぐらいだ。

 いつの間にか、フード付きの黒いコートを着たおっさんが、教室に入ってきていた。


「こいつの書いた『異世界放課後』って本は、残念な運命を背負っててな、天災というアクシデントのせいで作者は死亡。完成していた本の発売は頓挫した」


 おっさんは、手に持っている銀色のライターを、手持ち無沙汰に開け閉めしては、キンっと高い音をさせながら、俺たちのほうに近づいてきた。


「最悪なことに、この作者様は、この世に未練たっぷりだった。その悲しみと苦悩、無念な気持ちが増大し、本人が思いもよらないほど、この白い本の世界が、力を持ってしまったってことかもな」


 前の席に座ったおっさんに向かって、先輩が口をとがらせる。


「なんか偉そうに説明台詞みたいなのぶっこんで、邪魔しないで、お父さん」


 ちょっと待て。お父さんって。


 あぁ、そうか。

 俺はずっと前から、この人を知ってたのに。


 あのライターの蓋をあける癖。格好いいから、「やり方を教えてくれ」と、頼んだ記憶がある。その時は確か、「ガキにライターはまだ早い、もう少し大人になってからだ」と、断られたんだ。


「おいおい、知らないのか。娘の恋路を邪魔するのが、男親の使命ってもんだ」

「そんな使命ないから」

「いいだろ、別に。そのぐらいしか、もうしてやれることがないんだから」


 おっさんは、先輩に向かって優しく笑ってから、俺の方を見た。


「すまんな、オレの娘が迷惑をかけて」


 おっさんは、そう言って困ったような表情を浮かべる。

 俺が初めて、先輩の家に、彼氏としてお呼ばれをした時も、この人は、同じような顔をしていたなと思った。


 先輩が俺の目をじっと見て、首をかしげる。


「そろそろ、全部思い出してくれてもいいんじゃないの。それとも、この王子様は、目覚めのキスでもしないと、起きてくれないぐらいに、おバカさんなの?」


 そう言って笑った顔が、いたずらっ子のように、目を輝かせながら、俺にホラ話を聞かせていた、あの日の先輩と同じだった。


 それに気づいた瞬間、頭の中の霧が晴れるように、一気にいろんな記憶が、蘇ってくるのを感じていた。




 先輩と出会ったのは、地元のクラブチームに入って、初めての試合後だった。


 監督の家に招かれて、勝利を祝うホームパーティーのようなものをしていた時に、監督の奥さんが作ってくれた料理が、あまりにうまくて食べ過ぎて、喉を詰まらせそうになった。


「大丈夫?」


 水を持って来てくれた、真っ白な美しい少女に、俺は目を奪われた。

 一目惚れというやつだ。


 まるで異世界の住人みたいに、現実離れしていて、そこだけ空気が違っていた。

 何度か話しかけようとしたが、ドキドキして声をかけられなかった。


 彼女は部屋の隅っこで、じっとしている。

 そんなおとなしい感じの子だった。誰とも話さず、ずっとなんだか悲しそうで、つまらなさそうにしてた。


 でも俺が、やけ食いをして、バカみたいに牛乳を飲んだ瞬間に、友達に笑わされて、鼻から牛乳を出したら、白い少女は、やっと笑った。


 その笑顔があまりに素敵で、俺はこの人を、もっと笑わせたいと思ってしまった。

 きっとこの時、俺は恋に落ちていたのだろう。


 でも、そんな先輩が、学校ではいじめられていることを知って、学年も違うくせに、俺は何度も助けに行った。先輩からしたら、迷惑な後輩だったかもしれない。


 中学を卒業してしまう先輩に、俺は告白した。


 けど、「同じ高校に入れたら、付き合ってあげるよ」と先輩に言われた。俺にとってはかなり無理めの偏差値だったため、死ぬほど猛勉強した。


 俺は無事に、目的を達成して、入学式の日に、再度告白して、正式に先輩の彼氏になった。


 学年は違うから、ずっと一緒にいられるわけではなかったが、靴箱にメモを入れて連絡を取り合ったり、俺の部活が終わるまで、図書室で待っていてくれる先輩と、一緒に帰ったりしていた。


 静かで幸せな日々だった。

 あの日がくるまでは。


 ずっと続くと思っていたのだ。先輩との未来が。


 ウエディングドレス姿の先輩が、黒い水に飲み込まれる瞬間が、フラッシュバックする。

 手を伸ばしたが届かない。


 いくら泳いでも、先輩の姿を見つけられなかった。

 何度も、何度も夢に見る。虚しい後悔だけが、繰り返される。


 胸が苦しくなって、耐えきれなくなった瞬間、気が付いたら、俺は泣いていた。




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