21 気がつかないカラス
俺は目を疑った。
なんでどうして、こんな酷いことが。ありえない。
駆け寄った白髪少年は、動かなくなった少女を、じっと見下ろしている。まるでその死を、初めから知っていたみたいに。
「これは全部、あの子が望んだことだよ」
望んだこと? 死ぬのが?
「そうだよ。彼女はずっと死にたがってる」
んなばかなことがあるかっ。
って、なんでお前、俺と会話してるんだ。俺はカァーしか言ってないぞ。
「しょうがないだろ。おれは特別なモブなんだ」
特別なモブってなんだよ。
「この世界にいる、どんな人間でも、動物でも、モノでも、そいつらの考えてることがわかる。魂の匂いがするんだ」
なかなかなメルヘンをぶっこんできたな。
「匂いが届く範囲にいるやつは、だいたい何を考えてるのかわかる。それがおれの能力だ」
だから、あのガラクタがいっぱいある家で、鼻をつまんでいたのだろうか。
俺と白髪少年の頭がイカれてしまったのでなければ、会話が成立している以上、本当のことなのかもしれない。
「おれが可哀想な子だから、いっぱい設定を盛ってくれたんだろうね。あの人は優しくて、意地悪だから。でも本当、そういうのって、余計なお世話なんだよな。もっと悲しくなるだけなのに」
あの人って、誰のことだ。
「まだわかんないのか。本当にバカなんだな」
おい、なんで急に俺をディスった。
俺のツッコミを無視して、白髪少年は話を進めるつもりのようだ。
「あの女の子、ここに来てから、ずっとそうなんだ」
ここに来てからって、引越しでもしてきたのか。
「毎日、毎日、飽きもせず、一緒に死ぬ人やモノを見つけては、ああやって日が暮れる前には、必ず死んじゃうの」
毎日死ぬって、またおかしなことを言い出したぞ、こいつ。
「死んだら、お父さんやお母さん、妹のところに行けるって、信じてるんだろうな」
どいつもこいつも、頭がぶっ壊れてるんじゃないのか。
「でも一人で死ぬのは怖いから、ああやって、毎日誰かを道連れにしてから死んじゃうんだ」
そんなことして、何の意味があるんだ。
「おれたちにとっては意味がなくても、あの子にとっては、意味があるんじゃない?」
いくら意味があったって、あんなこと。
「おれたちがどれだけ助けようとしても、結果は変わらなかった。だからもう、あの子が満足するまで、止めないことにしたんだ。この区域は、あの子の場所だから、好きにやらせるしかないんだよ」
白髪少年は、ついさっきみたいに、まるで身体中が痛いみたいな顔をしていた。もしかしたら、体じゃなくて、心が痛かったのかもしれない。
「悲しみは後になって、急にドンとやってくることもあるって、おっさんが言ってた。それに耐えられなくなっちゃう人が、この世界に引き寄せられちゃうんだろうね」
ふいに頭の中に、夕焼けに染まる部屋のイメージが広がった。
机がいっぱい並んでいる場所だ。
「取り込まれたら最後、本人に帰るという気持ちがない限り、永遠にこの世界から出られないのに。みんな来ちゃうんだよ。きっと耐えられないんだろうね。悲しみに、しんどさに、負けちゃうんだろうね」
カーテンが揺れて。
誰かが俺を見て、笑っていた。
「自分だけ助かったことを、罪悪感に思ってるとか、忘れるわけがないと思ってたのに。月日が経つと、わりと本人が思った以上に忘れていくとか、本当に人間って残酷だよね。それがまた、罪悪感につながるんだって」
わからない。なんだこれは。
頭が痛い。胸が苦しくてしょうがない。
「でもそれもまた、生きて行く人のための、神様のささやかな救済なのかもしれないって、おっさんは言ってたよ。なのに、それすら許せない人は、どんどん追い詰められて、白い本を呼び寄せて、食われてしまうんだ。この世界のモブになって、バカげた暮らしを繰り返す羽目になるのに」
お前、さっきから何の話を。
「でも無駄なのにね。あの女の子は主人公じゃないから。あの子がいくら死んだって、物語は終わらないのに。物語の隅っこで勝手に死んでても、誰も気にもとめないのに。無駄死にってやつだよ」
無駄死にって、そんな悲しいこと言うなよ。
「心配しなくても大丈夫だよ。ほら、すぐに生き返った」
白髪少年の言うように、血みどろだったはずの少女が、何もなかったかのように起き上がった。なんなんだ。こいつは不死身なのか?
少女の目からは、涙がいくつも流れ落ちた。
「やっぱり今日も、みんなに会えなかったよ」
「だから言っただろ。モブには、勝手に死ぬことも許されないんだから」
「そっか。ここにいても、しょうがないんだね。せっかくクッキーをもらって、美味しくて、嬉しかったのに。今日なら、もしかしてって思ったのに。やっぱりダメなんだね」
「そりゃ、本当に死にたいのなら、死ぬために用意されたモブにならなきゃ」
「どうして嬉しい気分は、一瞬なんだろうね。嫌な気持ちは、ずーっと尾をひくのに。なんか不公平だよ。逆だったらよかったのに」
少女は、壊れた犬のようなものをかき集め、ふらふらと歩いている。
白髪少年もまた、破片を拾い集めるのを手伝ってやっている。だが、拾い集めた犬のようなものは、もう二度とワンと吠えそうになかった。
「お前さ、いい加減、学習しろよ。主人公になれるのは、自分の人生だけだ。いくら他人の物語の中で活躍したって、いつまでたっても、ただのモブだって、何回も言ってんだろ」
少女が白髪少年の方を見て、ポツリと呟くように言う。
「ねぇ、知ってる? 魚も鬱になるんだって」
「は? 何言ってんだ、お前」
「天敵と一所の水槽にいれといたら、もう諦めて逃げることすらしなくなって、ずっと隅っこで、じっとしてるんだって。あのおじいちゃんが、教えてくれたの」
少女は涙を拭いて、空を見上げた。
「でもね、違う水槽に入れたら、また元気に泳ぐようになるんだって。私も、そんな風になれる日がくるのかな」
白髪少年も、同じように空を見上げる。
「……できるよ、きっと。だから、満足したなら、とっとと帰ってくれよ。待ってる人がちゃんといるだろ。心配させんなよ」
「そっか、わかった。もう帰るよ。バイバイ。ありがとね」
手を振る少女の体が、どんどん白くなっていった。
全身が真っ白になった瞬間、小さな白い本となって、地面に落ちた。
一体何が起こったのか。まさか、地面に食われてしまったのか。俺は思わず警戒するように、カァカァカァと鳴いてしまった。
「大丈夫だよ。元の場所に戻っただけだから」
何を言ってるんだ、お前。
「まだ気がつかないのか。本当に全部、忘れちゃったんだな」
忘れたって、何をだ。
ふいに、別の男の声が聞こえた。




