20 頭がクラクラするカラス
気がついた時には、俺は地面に落ちていた。
何をしている。俺はやつを追いかけていたはずなのに。
必死に俺は、白髪少年の行方を追って、再び空に飛び上がった。
俺が白髪少年の姿を見つけた時には、もうすでに少女は犬のようなものを抱きかかえて、じいさんの家を出てくるところだった。
今すぐにでも、白髪少年の頭をつつきたいところだが、体がフラフラしていて、それどころではない。なんとか近くの電信柱に止まって、見下ろすだけで精一杯だった。
「あの……これ」
少女が財布の中から、銀色のコインを差し出したが、白髪少年は受け取らない。
立ち去ろうとする白髪少年の服を、少女は掴んだ。
「この子のお家、一緒に探してくれないの?」
じっと見つめられ、白髪少年は困ったような顔をしている。
「あのさ、そいつの家、もうないんだって。飼い主と一緒に、流されちゃったんだって」
「そんなの嘘だよ。ひどいよ。探しに行くの面倒くさくなったから、そんな嘘つくんでしょっ」
少女は泣きそうな顔をしている。
「ちげーよ。そいつが言ってんだから、しょうがないだろ」
「この子が言ってるって、わんちゃんの言葉がわかるの?」
「……まぁな」
「本当に?」
「嘘じゃねぇよ」
「じゃあ、今なんて言ってるの」
「助けてくれて……ありがとうって。大事にしてくれた飼い主の次に、お前のこと、好きだってさ」
「そっか……良かった。ちゃんと飼い主さんに、愛されてたんだね」
本当に大事にされていたら、あんなゴミ捨て場に捨てられることなんてないだろう。
どう考えても、嘘としか思えない言葉を、あっさり信じるほどに、この少女は幼く、愚かなようだ。
少女は涙を浮かべた瞳を、キラキラ輝かせて、白髪少年を見つめている。
「人間以外の言葉がわかるなんて、すごいね」
「べ、別にすごくない」
白髪少年は、まんざらでもなさそうにしている。
どうせガキが言うことだ。適当な嘘をついているだけだろう。
きっと夕飯を食いっぱぐれて、腹も減っているだろうし、とっとと店に戻って、ソファーで横になりたいから、捜索活動を切り上げるために、この少女を騙そうとしているだけなのではないか。
やっぱりこいつは、ろくでもないやつにちがいない。
俺が鉄槌を食らわしてやらなければ。そう思うが、体に力が入らない。
「じゃあこの子も、帰るところないんだね」
「そうだな」
「なら私が、この子、もらってもいいかな」
「いいんじゃないか」
「わんちゃん、私と一緒に来てくれる?」
犬のようなものは、まるで合いの手を入れるみたいに、いいタイミングで「ワン!」と鳴いた。
「ありがと」
少女は嬉しそうに笑って、犬のようなものをぎゅっと抱きしめた。
「私もね、帰るお家、なくなっちゃったの。もう、ひとりぼっちで待ってるの、嫌なんだ」
少女は夕日が沈みかけて、茜色から紫へと色が移り変わっていく空を、目を細めて見上げている。
「ずっと高台にある病院に入院してたから、運良く私だけ助かったんだって。お父さんと、お母さんと、まだ赤ちゃんだった妹は、ずっと行方不明なの」
なぜだかわからないが、ふいに黒い水のことが頭に浮かんだ。
地面の揺れと、地響きのような音と。
頭がクラクラする。なんだこれは。
白髪少年から、かっぱらった夕飯には、やっぱり毒でも入っていたのか。
倒れそうになるのを、必死に足を踏ん張って堪えた。
「だから私も、ずっとひとりぼっちだったの。でも、これで寂しくないよ」
「……そうだな」
「お兄ちゃんも帰りたいの?」
「どうだろう、わかんねぇや。おれはここしか知らないから」
「なら良かったね。ちゃんとまだ、帰る場所が『ある』んだから」
白髪少年は、何も答えなかった。
少女が不安げに、白髪少年の顔を覗き込む。
「どっか痛いの?」
「痛くないよ」
「じゃあ、どうしてそんな顔してるの」
白髪少年はお腹も頭も、いろんなところが痛いみたいな、苦痛に満ちた表情をしていた。
「痛いの痛いの、とんでけー」
「大丈夫だから。おれの心配なんてしなくていいから。もうすぐ時間だろ。早く行けよ」
「……そうだね。じゃあ、ありがとう」
少女は犬のようなものを抱きしめたまま、大通りに向かって歩き出した。
路地裏から、大通りに出た瞬間のことだ。少女はトラックに跳ね飛ばされた。