2 意識高い系のカラス
目覚めたのは、ハンガーや木の枝で作られた、巣の中だった。
餌を持ってくるやつが、真っ黒なカラスだったから、きっと俺もカラスなのだろう。そのぐらいの認識でしかなかった。
親鳥に食わされる虫もミミズも、死ぬほど気持ちが悪かったが、本気で生きないと、その日のうちに死んでしまうから、我慢して食べるしかない。昨日まで隣で生きていた兄弟雛が、知らない間に冷たくなっていることもあった。ここはそういう世界らしい。
だから俺は生きるために、何でも食べる。
そのうち何を食べても、よっぽど酷いもの以外は、それなりに美味いと感じるようになってしまった。
慣れとは恐ろしいものである。鈍感になったんじゃない。味覚が進化したと言ってほしい。
なんでこんなことになっているのか。俺にだって意味がわからない。
昔のことは思い出そうとしても、真っ白な霧がかかったようになって、よく思い出せない。気がついたらカラスだったのだから、しょうがないというやつだ。
俺だって、好きでカラスに生まれたわけじゃないし、生まれた頃は俺だって、そこらへんにいる普通のカラスだった。
ガキだった俺は、くわーっと鳴きながら、口を大きく開けて、親から餌をねだっているだけで精一杯だったくせに、成長して、少しずつ体が大きくなると、「きっと俺はすごいやつになるはず」という気持ちでいっぱいになってきた。
なぜそんなことを思うようになったのか、自分でもよくわからない。たぶん、バカだったのだろう。誰にでも、若気の至りというやつはあるはずだ。少しは大目に見て欲しい。
すくすくと育ち、巣立ちをした後は、まだ繁殖していない若い奴ら同士でつるんでいた。たまに実家に帰っても叩き出されるし、つがいになっていない奴らはみな、やることもない。
だから日々、あちこちのゴミ捨て場を漁って、飯を食ったら、毎日ダラダラ過ごしていた。
なのにある日、ふと思ってしまったのだ。本当にこんなことをしていて、いいのだろうかと。俺はすごいやつになるんじゃなかったのか。
群れの中にいても、なぜだか自分だけが浮いているような気がしていた。誰もこの現状に疑問を持っていない。俺だけが何かが違うとずっと感じていた。
俺がいるべき場所は、本当はここではないのではないか。そんな気持ちがぬぐえなかった。
そんな時だった。この街にオオタカが現れると、仲間内で噂になった。実家を出たての若いやつらが、すぐに隣で、ギャーギャーと騒いでいるのが聞こえてきた。
細っちいやつが、やたらと神妙な顔でカァーと鳴く。
「オオタカの野郎、森の餌が乏しいからって、最近は街まで出てくるようになったんだってよ。迷惑な話だぜ」
丸っこいやつが、合いの手を入れるようにカァーと鳴き返した。
「隣町の群れのやつが、何羽かやられたらしいじゃないか」
細っちいやつと丸っこいやつは、特に群れの中でも、この手の騒ぎの中心になっていることが多く、俺は勝手に、この二羽を『ビビリコンビ』と頭の中で呼んでいる。いつも群れに噂話を持ってくるのは、こいつらだ。
「大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないだろ。ここもやべーんじゃねぇのか」
オオタカは俺たちカラスにとって天敵だ。
同じぐらいの体格のくせに、やつらは速くて強い。
二羽の声を聞いて、他の群れの若い奴らも、ざわついている。
「ねぐらに戻ってくるところを、待ち伏せして狙ってくるんだってさ」
「うわぁ、気が緩んでるところを狙うとか、姑息な感じだな。さすが猛禽」
「遭遇しちゃったら、どーすんの」
「そりゃ逃げるしかないっしょ」
もし街中で遭遇しても、俺たちカラスが集団で襲いかかれば、追っ払うこともできる。だが、運悪く群れとはぐれている時に見つかったら最後だ。仲間を呼ぶ暇もなく、やられてしまうことも多い。
一度でもオオタカを、目の前で見たことがあるやつなら、一目でわかるはずだ。やつにタイマンで勝利することなど、絶対に無理だと。
それはもう本能が、そう感じさせるのだから、どうしようもない。
まともな神経をしていたら、一羽でオオタカと、やり合おうなんて考えるわけがない。
「逃げきれないだろ、どう考えても」
「お前を囮にして、逃げるに決まってんだろ」
「最低だな、お前」
「冗談だよ。心配するな。囮なんて待ってる間に、どうせやられて終わりだよ」
「ダメじゃん」
群れの中でも、ペーペーの若い奴らを筆頭に、ビクビクしているやつも多かった。
だが、俺はどうせ自分が襲われることなんてないと、たかをくくっていた。タカだけに……って、つまらないダジャレを言えるぐらいには、俺は落ち着いている。
俺は仲間内でも、飛ぶのは速い方だったし、喧嘩でも負けたことはない。自分よりでかい犬の毛をむしったこともある。
きっと俺はやられることはない。そんな風に思い込んでいた。根拠のない自信というやつだ。
俺は意識高い系のカラスだったのかもしれない。
数少ない、まともな神経をしていない側のカラスだったということだ。
いつかオオタカと遭遇した時のために俺は、速さと回避力を磨くことにした。
より速く、より高く、華麗に旋回して、オオタカを翻弄してやる。
俺は毎日修行をした。誰よりも速くゴミ捨て場をめぐり、誰よりも遠くまで飛んで、街を警戒していた。
障害物を避けながら、いかに速く飛ぶか。それを繰り返し練習するのは、なぜだかとても気持ちが良かった。心が満たされるのを感じていた。
理由はわからないが、遠い昔にも、俺はこんな風に何かに没頭して、毎日練習をしていた気がする。それが何なのかは、俺にもよくわからない。ただそんな気がしただけだ。直感のようなものだった。
もしかしたら、昔、読んだことがある『かもめのジョナサン』みたいなものかもしれない。ジョナサンのように「できることは何で、できないことは何かを知りたい」という気持ちがあったのだろうか。
って、読んだことがあるって、なんのことだ。ジョナサンって誰だよ。少なくとも俺には、かもめの知り合いなんていない。
とりあえず、俺にはなすべきことがあったはず。その気持ちを埋めるために、俺はずっと飛び続けていた。
参考文献:「カラスの教科書」松原始 講談社文庫、「トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える野鳥のひみつ」川上和人/マツダユカ/三上かつら/川嶋隆義 西東社、「かもめのジョナサン」リチャード・バック 新潮文庫