19 意地悪で優しい本
「本に……食われた?」
先輩の物騒な物言いに、背筋がぞくっとなった。
「もし、うっかり、その白い本を読んじゃったら……その人は、どうなるんですか」
「その本の中の、モブキャラにされちゃうんだよ」
「俺みたいに、もうすでにモブキャラ体質な奴が、これ以上モブにされるって、どうなんだそれ」
「なるほど、そっか。あんまり変わらないかもね」
「少しは否定してくださいよ」
「ごめん、ごめん」
階段を弾むように、先輩は上っていく。
ゆがんだ屋上の扉を、無理やりこじ開けると、曇天が広がっていた。少し雪が降り始めている。
まるであの日みたいに。
何かがおかしい。さっきはもう、暗くなっていたはずなのに。
今は『いつ』なんだ。
吹き抜ける風は、先輩の白くて長い髪をもみくちゃにする。
まるで飛んで行ってしまうのではないか。そんな風に思えて、慌てて手を差し出すが、先輩の体に触れることはできなかった。
「白い本は意地悪だから、吸い込まれた世界で、一番なりたくないモノに、姿を変えられちゃうんだってさ」
「一番なりたくないモノ?」
「きっと君なら、カラスかな」
前に一度、街中で残飯を漁るカラスを見た俺は、「もし生まれ変わることがあっても、絶対にあいつらにだけは、なりたくないな」と先輩に言ったことがあった。
それを覚えていた先輩が、てっきりまた適当に、思いついた設定を付け加えたのだと思っていた。
「でも白い本は優しいから、その世界で、一番会いたい人に会えるらしいよ」
「その白い本ってやつは、意地悪なんですか、優しいんですか。どっちですか。設定ぶれてませんか。大丈夫ですか」
「優しいから、意地悪なんだよ」
「意味がわかりません」
「君だって、優しいから、おバカなんでしょ」
「なんで急に俺のこと、ディスってるんですか」
「事実を述べただけですけど、何か」
先輩は首を傾げて、不思議そうにこちらを見ている。
その表情もいちいち可愛いから、やめてくれ。よけいに辛くなるだろ。
「いくら別世界のモブになったら、会いたい人に会えるって言われても、カラスかぁ……それだけは、勘弁してほしいかな」
「……でしょ? だから言ったのに。白い本は、読んだらダメだって」
俺が手にしていた本に、ちらりと目をやった先輩は、とても悲しそうな顔をした。
「君もずっと寂しかったんだね。だから、無意識のうちに、この本を呼び寄せてしまったんだよ、きっと」
いつの間にか先輩は、あの日みたいに、純白のウエディングドレス姿になっていた。
地面が大きく揺れ始めた。
何度も、何度も。
あの日も、そうだった。




