18 当たらなければどうということはないカラス
日が落ちてきて、西の空はもう、茜色に染まり始めていた。
公園の中央にある滑り台の上に、白髪少年の姿があった。
やつは夕飯を必ず、近くの公園に行き、滑り台の上で食うという習性があった。
案の定、いつものように、てっぺんまで登って、夕飯を食っているようだ。
この公園の滑り台は、なかなか滑りがいがあって面白いところだ。いい感じに滑るのだ。俺にとっては、たまの息抜きをする遊び場でもあった。
だがやつが、ここで飯を食うようになって、その憩いの時間が汚された。俺が先に遊んでいたのに。迷惑な話だ。
滑り台をうろちょろする俺が、目障りなのか知らないが、白髪少年は何かしら物を投げてくる。おかげでやつが滞在している間は、滑り台で遊べなくなった。ムカついた俺は、仕返しをすることにしたのだ。
これは正当な反撃である。侵略してきたものに報復をするのは、当然のことだ。
あとになって、「そんなつもりはなかった」などという言い訳は通用しない。目には目を、歯には歯をである。
あいつは飯を食いながら、ぼけーっと何かを見ているから、実に狙いやすいのだ。俺があいつの晩飯を盗むたびに、逆上したあいつは、そこらへんにあるゴミを投げてくる。
とにかく白髪少年は口も悪いが、手グセも悪い。
だが、毎回俺に狙われているのに、まったく学習しない。
筋金入りのバカなのだろう。可哀想に。
まだやつのゴミが当たったことは一度もないが、最近はブロックの壁に向かって、でかいボールを足で蹴る練習をしていた。もうゴミを投げるのは諦めて、いずれは足でボールを蹴って、俺に当ててやろうと、虎視眈々と狙っているのだろうか。
だが絶対にあいつのボールが当たることはないだろう。なんてったって、白髪少年はノーコンなのだ。
俺にゴミを投げる時は、いつだって明後日の方向にばかり投げていた。なのにあんな大きなボールなんかを、俺に当てられるわけなどない。
誰かが言っていただろ。当たらなければどうということはないってやつだ。人間の脅威なんて、その程度のものだ。オオタカに命を狙われることに比べたら、屁でもない。
ちなみに俺は辛いものが苦手だ。白髪少年から横取りした夕飯の中に、唐辛子が混じっていた時は、ひどい目にあった。
やつは定期的に辛い料理を食べたくなるらしく、やつの夕飯を横取りするのも、ロシアンルーレット的な部分がある。
いかにも辛そうな料理は避けるように、できるだけ気をつけてはいるのだが、白い飯に具が挟まってるタイプのおにぎりなんかは、食ってみないことには、中身がわからない。
おかげで、何度も痛い目を見ている。だが、やつの夕飯はその危険を冒しても、余りあるほどに美味なことが多いから、横取りはやめられない。
俺も結構なギャンブラーだと思う。否定はしない。
白髪少年は三角座りのまま、もぐもぐと口を動かしながら、どこかをじっと観察している。
やつは一体、いつも何を見ているのだろうか。
滑り台の高さまで飛んで、細長い棒状の時計台に止まった。
白髪少年に目線を合わせてみた。
公園の周りには、緑の木々がたくさん生えていたが、ちょうど滑り台のてっぺんから見ると、視界が開けているようだ。
白髪少年の視線の先にあったのは、赤茶けたレンガの古い建物だった。本がいっぱい並んでいるのが窓から見える。図書室かなにかだろうか。
凝った飾り窓のそばには、少女が座っていた。本を読んでいるようだ。真っ白で、長い髪をしている少女は、夕焼けみたいに、澄んだ茜色をしていた。
その美しい少女を見ると、心臓がドキドキとした。なぜだかわからない。
もしかしたら、俺の好きだった白いカラスが、人間になったら、きっとこんな姿だろうなと、そんな風に思えたからかもしれない。
美しい少女は本から目を上げ、ふいにこちらを見た。
白髪少年は観察していたことが、バレたと思ったのだろう。慌てて身を隠した。だが、手に持っていたおにぎりを、下に落としてしまったようだ。
「あっ……」
白髪少年は地面に落ちた、おにぎりをじっと眺めている。
涙目になっているかもしれない。
隙ありっ。
俺はチャンスとばかりに、白髪少年の落とした食料を口にくわえると、安全な高さにある、木の枝まで飛んだ。
せっかく手に入れた食料だが、一口で食うにはでかすぎる。枝の根元に置いて、足と口ばしを使って、食べやすい大きさに分割することにした。
「こらっ、またお前っ!」
白髪少年は滑り台の上から、ゴミを投げてくるが、もちろんいつものように当たらない。
俺がいない隙に、こっそり食べようとするから、バチが当たったのだ。自業自得だ、馬鹿者めが。
勝利宣言をするかのように、俺はアホーと鳴いた。
さらにムカついたような顔をした白髪少年が、滑り台を飛び降りて、地面の石を拾って、次々と投げてくるが、やっぱり全然当たらない。
珍しく今日は、本気で怒っているようだ。
当たらなければ、いくら攻撃されようとも、どうということはない。もらったものは、ありがたく頂戴するまでだ。
俺は嘲笑うように、わざと白髪少年に見せつけながら、おにぎりに食らいついた。
だが俺はすぐに吐き出した。
辛い。むちゃくちゃ辛い。
耐えきれずに、水飲み場のところまで飛んで、必死に蛇口をひねって、すぐに新鮮な水で口をゆすいだ。
くっそー。よりによって今日の飯は、辛いやつだった。あの野郎、俺が辛いものが苦手なのを知っていて、わざとやりやがったな。
「ざまーみろ」
白髪少年が手を叩いて、喜んでいる。
「君、いつもそこで食べてるよね」
背後から声がした。
白髪少年が振り返ると、建物の窓際にいたはずの、美しい少女が立っていた。
「カラスと友達なの?」
「違うよ……あんなやつ」
首を横に振った白髪少年は、少し警戒しているようなそぶりを見せる。視線を泳がせ、落ち着かない様子だ。
なんともいえない空気に耐えきれなくなったのか、白髪少年はその場を立ち去ろうとした。だがその腕を、少女が掴んだ。
「なんで逃げるの」
「え?」
「少しお話しようよ」
「でも……このあと用事が」
白髪少年は腕時計に目をやった。
「少しだけだから。いいでしょ」
「じゃあ……少しだけ」
「ずっと君には、悪いことをしたと思ってたんだ。だから、お願い」
にっこりと笑った少女は、そのまま白髪少年を引き連れて、ブランコのところへ行った。少女がブランコに乗ると、白髪少年もおとなしく同じようにしたようだ。
お互いにブランコを交互に揺らしながら、しばらくして、少女が口を開いた。
「この世界はどう?」
「どうって言われても」
「面白い?」
「別に」
「じゃあ、つまんない?」
「わかんない。ここしか知らないから」
「そっか……ごめんね」
「なんで謝るの」
ブランコを止めた少女が、じっと白髪少年を見た。
「私、夢だったの」
「夢って?」
「本当は、作家としてデビューするはずだったのに、ダメになっちゃって」
「そうなんだ」
「私の書いた本は、人を食べちゃうんだって」
「それは……物騒な本だね」
「危なすぎるよね。だから、みんな燃やされちゃうの」
少女がしばらく黙っていると思ったら、肩を揺らしている。こらえきれなかった涙が溢れて、ポロポロと頬に流れ落ちていく。
白髪少年は、どうしていいのかわからないのか、困ったような顔で、オロオロしている。
「そんなに私の書いた物語って、みんなに捨てられたり、燃やされたりしなきゃいけないほど、酷いのかな」
「そんなこと……ないよ。きっと。それに、おれは、あんたの書いた物語、読んでみたいよ」
少女は涙を拭って、無理に笑おうとしていた。その笑顔はぎこちない。
「ありがとう。君は本当に、お父さんに似て、優しい子だね」
立ち上がった少女は、白髪少年の頭を優しく撫でた。
「本物の君に会いたかったな。ごめんね。ちゃんと産んであげられなくて」
白髪少年が何かを言おうとした時、腕時計からアラームが鳴った。
鳴り響く音に気を取られているうちに、少女の姿が消えていた。
彼女が座っていたブランコを、しばらく眺めていた白髪少年は、ふいに顔を上げ、俺の方を見た。
「何見てんだよ」
お前こそ、俺の視線の前にいるのが、悪いんじゃないのか。
ここは公園だ。自由の場所だ。どこにいようが、何をしていようが、俺の勝手だろ。
そう言うつもりで、俺はカァーと鳴いた。
「いっつも、いっつも、いい加減にしろよっ」
急にキレられても困るのだが。
「お前がしっかりしないから、あの人はずっと……」
意味がわからない。なんで俺の話になってるんだ。
とばっちりにもほどがあるのではなかろうか。むしろ今日は、あんな辛いものを食わされて、怒りたいのはこっちのほうだ。いい加減にしろよ。
抗議をするつもりで、アホー、アホー、アホーと通常より多めに馬鹿にしておいた。
「うるせー、ばーか」
捨て台詞を残して、白髪少年は公園を出て行く。
ムカついた。馬鹿とはなんだ。
こうなったら、一発つついてやらないと、気が収まらない。
俺はやつのあとを追うように、空へと飛び上がった。
だがその瞬間、急激に方向感覚を失って、地面に落ちそうになった。
なんだ。頭がフラフラする。腹も痛くなってきた。どうなってやがるんだ。
まさかあいつ、辛いものだけじゃなく、何かおかしなモノまで、俺に食わせたんじゃないだろうな。
意識が飛びそうになるほどの、急激なめまいに襲われた。